左から山下直樹、松田“CHABE”岳二(CUBISMO GRAFICO、Neil and Iraiza、LEARNERS)、スガナミユウ

小さなライブハウスの挑戦 第7回 [バックナンバー]

“下北沢がカッコよかった頃”、ZOO / SLITSの時代はこうだった

元SLITS店長・山下直樹と松田“CHABE”岳二に聞く

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若気の至り

スガナミ 当時の下北沢の街の雰囲気はどうでしたか?

山下 夜中は真っ暗でしたね。ぶーふーうー(2014年に閉店した喫茶店)と松屋くらいしか夜中に開いているところがなかったんです。それと、松屋の前のところにあったドーナツ屋くらいかな。

CHABE あとは飲み屋ですよね。TROUBLE PEACHとか、古いロックの飲み屋さんがあって。

山下 うん。今みたいにチェーン店はそれほどなかったし。閑散としているというと違うかもしれませんが、そんなに人はいませんでしたね。

スガナミ そうだったんですね。若者の街、みたいな感じではなかったんですか?

山下 昼間はポロシャツの襟をピンと立てているような大学生がいっぱい歩いていたし、そういう大学生が飲んだりするような街ではあったみたいですけど。僕、1年半くらい前から髪を下北で切っていて、3週間に1回くらい来るんです。だからそのあたりを歩くんですけど、まあ雰囲気はあんまり変わらないかな。「こういう感じで朝店が終わって、自分からタバコの匂いが出ているのを感じながら帰ってたな」って思いながら歩いてますし。店を閉めたあと、しばらく下北に来なかった時期もあるんですけど、最近歩いていて、愛着みたいなものはあるんだなって感じていて。若いときに何もわからずに無茶苦茶なことをしていた土地なんで。それは忘れられないですよね。

スガナミ 無茶苦茶なこと(笑)。

山下 あんな狭い店でThe Ska Flamesにライブをやってもらって、駅のほうまで人が並んじゃったり。当たり前ですよね、前売りも出していないし、入場制限もしていなかったんだから。とんでもないことになりました(笑)。それと、レーベルを始めてThe Dropsの7inchアナログを作って、インストアライブで配ったりね。まあ思い付きです。思い付きでパパパッとやるのって、若気の至りじゃないですか。後先考えてないっていうか。

昼にラヴ・タンバリンズやフリッパーズ・ギターが出る店

山下直樹

山下直樹

スガナミ この前友達が山下さんのインタビュー記事を送ってくれて、そこで「どういうイベントを入れるかってことの基準についてはいろいろと聞かれるんだけど、店を運営していくっていうのはバンドをやる感覚に近いものがあって。やっぱりカッコいい人間とバンドを組みたいし、売れるために音を変えたりしないで、自分の理想を妥協しないでバカバカ売れるっていうのがやっぱり最高じゃない?」っておっしゃっていて。まさに、と思いました。

山下 まあ、それはね。

スガナミ 僕たちもせっかくこういう仕事をしているんだから、自分たちの楽しめる音楽をやりたいっていう思いがあるんです。例えば土曜日は昼、夜、深夜と分けて営業することがあるんですけど、昼はギターポップ、夜はハードコア、深夜はハウス、みたいにジャンルが雑多になることもざらにある。それがめっちゃ楽しい。

山下 僕のやりたかったこともまさにそういうことで。SLITSも昼に営業をやっていたことがあるんですよ。日曜日の昼、15時くらいから。当時のクラブで昼に開けるところはなかったんじゃないかな。

CHABE やっていましたね。僕、そこでラヴ・タンバリンズを初めて観たんです。当時はお客さんが15人くらいでした。

山下 初めのうちは、昼に店を開けてもなかなか来てくれなかったんですよね。でも下北沢だから絶対できるって自信はありました。西麻布とかはダメだろうけど、下北沢だったらできると思った。

CHABE 90年か91年にフリッパーズ・ギターが「アノラック・イズ・ノット・デッド」っていうイベントをやっていましたよね。僕が大学生のときで、昼に行きましたもん。アノラックを着ている人はディスカウントされる、とかそういうイベントでしたよね。確か。

山下 うんうん、すごいイベントだったんですよ。入り口にフリッパーズの2人が立って、お客さんが着ているアノラックをチェックしていくんです。「NME」の“アノラックの定義”みたいな記事をコピーして貼ってあって、それと照らし合わせながら、「それちょっと違うんだよ」とか言って(笑)。お客さんも喜んでいましたね。あれは本当に面白かった。

「ANORAK IS NOT DEAD」フライヤー(画像提供:山下直樹)

「ANORAK IS NOT DEAD」フライヤー(画像提供:山下直樹)

スガナミ 今はわりと昼に営業するクラブも多いですけど、当時はそういうイメージはなかったんですね。

山下 全然なかったです。僕、90年にイギリスに行ったときに、ジャイルス・ピーターソンのイベントを観たんですけど。それは昼にやっていて、めちゃめちゃ人がいて、みんな踊っていて、周りはフリーマーケットで。そのとき「これ、下北沢っぽいな」「がんばればできるんじゃないの?」って思ったんです。

CHABE 日曜の午後って初めてだったかもしれません。今はむしろ普通で、逆に日曜日にオールナイトをやろうとするほうが難しい。人が来ませんから。

山下 うん。でもスタッフにはつらい思いをさせたなって、いまだに思います。完全にブラックですよ。土曜日だってめちゃめちゃ人が来るのに朝までがんばってもらって、その次の日に14時とか15時とかに来いって……ひどいじゃないですか。まあそんな時代だったのかもしれないけれど。

「BLUE CAFE」フライヤー(画像提供:山下直樹)

「BLUE CAFE」フライヤー(画像提供:山下直樹)

ステージを作ってSLITSに

CHABE そういえば、お店にステージを作ったのはかなりエポックメイキングな出来事でしたね。あれはSLITSになるタイミングですか?

山下 うん。ライブハウスをいろいろと見ていて、うらやましかったんですよね。天井も高いし。ウチの店は天井が低くて飛んだらダクトにぶつかるくらい天井が低いし、狭いし。それでもライブをやってましたけど、見づらくて嫌だったんです。もっと見えるようにしたかった。で、がんばればステージらしいものを作れるんじゃないかって思って改装したんです。でも頭の中で「こういうのがいいんじゃないか」って考えたものを作っただけだから、音響とかを計算していなくて……ステージができて名前をSLITSに変えたんですけど、まずはリハをやらなければってことで、夜中にCOOL SPOONに来てもらって試しに音を出してもらったんです。それで演奏してもらったら、「これ、ちょっとやりづらいですね……」「あれ?」って(笑)。「ダメだな、素人の設計は」って思いましたね。暗雲でした。

CHABE 僕、月に2回くらいはライブをしていたんですけど、あんまりやりづらいってイメージはなかったんです。

山下 まあお客さんが音を吸ってくれてうまくいくパターンもあるし、あとは時代の雰囲気ですよね。いろいろな店でDJとバンドを分けなくなってきて、混ざってきていて。出演者もそういう意気込みで演奏しているから、あんまり気になってなかったのかもしれない。ただ当時、ライブとDJを一緒にやるようなほかの店に僕も行ってみたりしていたんですけど、どっちかって言うとDJがメインに思えるような店もあって、完全に混ざっている感じのところは少なかったですね。代々木チョコレートシティは一番混ざっている感じというか、「ここはクラブなのか、ライブハウスなのか」みたいな面白い感じはあったんですけど。自分もそういうのをいろいろと混ぜてやりたかった。

CHABE まあ、楽しい思い出しかなかったです。クラブでバンドを観るって、僕の中ではめちゃくちゃ新鮮でした。ライブのときって山下さんPAもやっていましたよね。

山下 何もやったことがなかったので本当に恥ずかしいんですけど。なんか、録音とかしてたな。DATにライン録音して全部残していて。だからありますよ、RHYMESTERのライブ音源とか。今ではレアなものがたくさんあります。いつかデータにして、本人たちに配ろうかな(笑)。 

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