各界の著名人に“愛してやまないアーティスト”について話を聞くこの連載。7回目に登場してくれたのは、フードエッセイストの平野紗季子だ。彼女は「もはや神格化しすぎて、ayuを通り越したayuを見てる」と話すほどの
取材・
泣きながら「SEASONS」を聴いていた
普段は食にまつわる文章を書いているので語る機会もほとんどないのですが、ayuが大好きです。小中学生の頃はTeam Ayu(ファンクラブ)に入会し、10代前半の多感な時期を浜崎あゆみという存在と共に過ごしてきました。今日持ってきたタオルは2006年の「a-nation」で買ったものです。今にも「BLUE BIRD」が流れてきそうですよね。母親が実家で洗面所用タオルとして使ってたんですけど(笑)、今日のために取り返してきました。当時は大量のayuグッズを持っていましたが、大学時代に起こったayu離れによりCDからDVDから写真集からayupanに至るまでほぼすべて処分してしまって。このタオルが唯一の生き残りですね。今は当時のこんまりマインドを後悔しています。
ayuに本格的にハマりだしたのは2002年頃かな。何気なく聴いていた「SEASONS」(2000年6月リリースの16枚目シングル)の歌詞に衝撃を受けました。「SEASONS」ってミリオンヒットを飛ばしていたayuの絶頂期を代表する1曲で、発売当時は「ayuかわいい、いい曲」くらいにしか思っていなかったんですが、よくよく聴いていくと歌詞が暗い。眩しいほどのスポットライトと賛辞を浴びて、全身ラメラメだから余計に輝いちゃって、無敵の女神様にしか見えないその人が「今日がとても悲しくて 明日もしも泣いていても そんな日々もあったねと 笑える日が来るだろう」とサビで歌っていて、そのギャップに動揺したんです。「え、あゆも悲しいの?」って。それで「私も悲しいんだよ?」ってめちゃくちゃ共鳴しちゃったんですよね。
このSEASONSのMV、喪服姿で歌うayu。ファンの間では「vogue」「Far away」と合わせて「絶望三部作」と言われているんです。
当時小学校ではモーニング娘。が爆発的に流行っていて、休み時間になると仲良しグループできまってモー娘。のパフォーマンスのマネをしてたんです。そのグループのリーダーがMちゃんという子で。「Mに逆らったら次の日から学校で生きていけない」と、恐れられるほどの独裁者でした。Mの気に障る行動をした子のあだ名が次の日から“おかめ納豆”に変わってたり。だからとにかくみんな彼女を恐れてたんです。で、彼女はゴマキ(後藤真希)が大好きで。実は私もゴマキが好きだったんですが、“推しかぶり”は重罪なので隠れキリシタンのごとく上履き袋の裏にこっそりゴマキのバッチを付けてました。「本当はゴマキが好きなのに……」と思いながら紺野(あさ美)推しのフリをしてたんです(笑)。でも密告者のせいで私のゴマキ好きがバレ、Mにいよいよハブられた日には人生が終わったと思いました。そんなとき、この絶望、孤独に寄り添ってくれたのがayuだったんです。学校帰りのバス停でひとりMDプレイヤーで「SEASONS」を聴きながら涙を流して「今日がとても悲しくてもがんばろう」って思いました。決して明るくはない、かといって深刻さを極めるほど暗くもなかった小学生の私は、ayuに救われるという体験をしたんです。
自由研究のテーマは「ayu」
多感で無垢な時期に出会ったのもあってか、相当ayuにのめり込みました。当時はプロデューサーという存在の意味がわからなかったので、ayuがライブでたびたびMax松浦に感謝しているのも謎だったし、ayuの作品も言動も衣装もパフォーマンスもそのすべてが浜崎あゆみ本人のクリエイションだと信じてました。ayuが生み出すものはすべてayuのメッセージ。だからayuがCDジャケットで泣いていれば涙の意味を探すし、彼女の影や闇を歌詞やインタビューの断片から触れるたびにもっと深く彼女を理解したいと思うようになって、中学時代の自由研究では「浜崎あゆみ」をテーマに選んだほどです(笑)。みんな「ゲンゴロウについて」とか「お箸の歴史について」とか適当に題材を選んでる中でひとりだけayu……。浜崎あゆみがなぜカリスマ的魅力を放つ存在となったのか、真剣に研究していました。最終レポートは原稿用紙10枚が目安なのに、ひとりだけ80枚超えで提出しちゃって……先生も戸惑ってましたね。あれは私の人生の集大成的な作品。2年A組の「A」には、もちろんayuの鳥居みたいな「A」マークを施してます。当時はすべてのAをayuのAマークにすることに誇りを感じていたので、英語のテストで減点されたりしていました。
(持参した自由研究のページをめくりながら)懐かしい。「彼女は知る人ぞ知るトップアーティスト」って、序文から間違えてますね(笑)。たぶん「誰もが知ってる」と言いたかったんだろうな。ayuの生い立ちから始まって、歌詞の考察、「浜崎あゆみが整形しているかどうか検証するコーナー」……。だからなんなんだっていうコンテンツが続きます。この図とかも、今見ると本当に謎ですよ。「過去の浜崎あゆみ→汚れた世の中に失望している」→「現在の浜崎あゆみ→汚れた世の中で強く生きている」って、図解の意味がなさすぎる(笑)。
自由研究は最終的に「浜崎あゆみはこの世界の闇とそこに差す一筋の光だ」的な答えに行きつくんですが、ayuって幼少期に傷を持つ設定なんですよね。小さい頃父親が失踪、ネグレクト気味の母のもと祖母に育てられ、家族の愛に飢え、居場所もなく、人を信じられずに大人になった。そんな孤独な少女がMax松浦に見出され、エンタテインメントの世界でカリスマとして成長していく……。だから光り輝く彼女の内側にはいつも闇があり、その側面が見えるたびに「あ、ayuは私たち側にいてくれてるんだ」って勇気づけられるんです。「もしもこの世界が勝者と敗者との ふたつきりに分かれるなら ああ僕は敗者でいい。いつだって敗者でいたいんだ」(No More Words)って歌詞は象徴的ですね。私はいつも歯医者に行くとこの歌を思い出します。
それと同時に、ayuの達観しているような捨て鉢のような冷めた視点にも憧れを抱いてました。絶頂期にいながら「確かにひとつの時代が終わるのを僕はこの目で見たよ そして次は自分の番だってことも知っている本当は」(Duty)とか「君を咲き誇ろう 美しく花開いた そのあとはただ静かに散っていくから」(vogue)とか。国語の授業で祇園精舎の鐘の声、諸行無常の響きあり……って出てきたときには「平家、ayuじゃん」って思いました。時代を代表する歌姫が、自分が消えゆく定めであることすら堂々と歌い上げる刹那な態度がカッコよかったんです。
ショービズの世界に居場所を求めた不器用さ
でもそう言っときながらayuは今年で21年目です。めちゃくちゃ息が長いじゃないかと。同時代の歌姫がママになったり新たな道を決めて華麗にステージを去っていくのに、ayuはまだライブの会場の規模を小さくしてでも、散々叩かれてでも、ステージで歌い続けてるんですよ。かつて今にも消え入りそうな儚さを背負っていたのに、なんでなんだろう?って考えてみると、”居場所探し”っていうキーワードに行き着くんですよね。やっぱり“居場所探し”を抜きにayuのことは語れない。
「居場所がなかった 見つからなかった 未来には期待出来るのか分からずに」(A song for XX)。初期のayuはそう幼少時代を振り返ります。あるドキュメンタリー番組(日本テレビ系「スーパーテレビ情報最前線」)に出演したときにも、番組関係者からなぜ歌い始めたのか?という質問に「なんだろう……居場所が欲しかったから……?」と虚ろな瞳で答えています。でもそれから数年、紆余曲折を経たayuは、自身の半生を綴ったと言われている6枚目のアルバム「MY STORY」(2004年12月リリース)の「Replace」で「僕は君へと 君は誰かに伝えて欲しい ひとりじゃないと」と歌っているんですよね。
当時このアルバムを聴いて「ayuにも居場所ができたんだなあ」と、感慨深かったのですが、見方を変えれば、こんなにも移り変わりの激しいショービズの世界に居場所を求めてしまったこと自体が切ないし、それこそが浜崎あゆみの不幸で不器用な生き方そのものなのかもしれないと思います。数年前「Numero TOKYO」のインタビューでayuが女性の幸せについて話しているのを読んだんですが「一般的な家庭の幸せが愛や喜びであふれている形の象徴だとしたら、私にとってのそれは、音楽やステージをゼロから築き上げる作業で満たされていく 」というようなことが書いてあって、「あゆみ~!」と、なりました。そんなこと言われたら、ayuに「もうがんばらなくていい」なんて言えないですよね。
ただ正直なところ個人的な感情としては、ayuが孤独から連帯へと変化していったあたりで芯にあった熱は冷めちゃったんです。ついに希望を見出したayuを喜ばしく思う反面、ayuの物語が終わってしまったと感じてモチベーションを失ってしまって……。孤高の少女が人の温もりに触れ人並みに涙を流せるようになった。その先にはもう、特別な物語は見いだせないじゃないですか。だってそれは、普通になるってことだから。
人間臭さや生々しさも含めて愛おしい
それでライブもだいぶ足が遠ざかっていたんですが、2015年にほぼ10年ぶりに行く機会があって。そのときは、正直自分が何を思うのか不安でした。果たして感動できるのかって。だけど場内が暗転してayuヲタの男性が「ayuー!!」って野太い声で叫んだのを聞いただけで大号泣してしまって(笑)。まだayu出てきてないのに。早まりすぎた……と動揺しつつ、こんなにも無防備に感情をさらけ出せてしまえるなんて、私の中で浜崎あゆみという存在が真に青春そのものだったことを実感しました。
ひさしぶりに観たayuは輝いてました。ayuはやっぱりとても小さくて。昔から小さいあゆが巨大なステージで力の限り歌う姿が好きでしたが、体のサイズに見合わぬ存在感が増していて貫禄を感じました。さすがayu一座の座長です。一切手を抜かないダンス、情緒豊かな表情筋。一挙手一投足からこの舞台を必ずや成功させんとする使命感が伝わり、その全身全霊のがんばりに心が震えましたね。
それからすごく素敵だったのが、かつてのayuはただただ輝かしいスターでしたが、今はものすごく人間味あふれた等身大のスターというか、そこも含めた魅力があふれていたこと。だって大画面にテロップで「時代がどれだけ変化し続けても ずっと変わらないものがここには ひとつあるから」って表示されるんですよ(「The Show Must Go On」の歌詞)。「ここが私の居場所なんだ! みんなのことが大好きだ!」っていうayuの思いが強烈に伝わってくる。昔はこのような演出はなかったので新鮮だったし、その生々しいメッセージが愛おしかったです。
「平成の」と冠された多くの歌姫が、平成が終わる前に続々と舞台から去っていきました。引き際美しく完璧な歌姫像も確かにカッコいいのですが、そうはなれない不器用なところがayuらしい。ayuはハッピーエンドのその先を果敢に歩んでいくのだと思うし、その姿は同じように現実を生きる私たちに勇気を与えてくれているような気がします。ayuが今日も同じ空の下で、ボイトレしたり筋トレしたり、たまにちょっと絶望したり、それでもがんばろうって前を向いたりしていると思うと私まで励まされる。
平成を超えた先で ayuがどんな物語を描いていくのか。私はayuがステージの上にいたいと願う限り、その姿を最後まで見届けたいです。それはayuに救ってもらったことのある人間ならば、誰もが持ちうる感情ではないかと思います。
最後に歌っていいですか?「Boys & Girls」と「SURREAL」、もちろん本人映像でお願いします。ああayu、本当にかわいい。
平野紗季子
ひらのさきこ 1991年福岡県生まれのフードエッセイスト。ayuと同郷であることが心の誇り。小学生時代から食日記をつけ続ける“ごはん狂”で、学生時代に日常の食にまつわる発見と感動を綴ったブログが話題になり文筆活動をスタートさせる。著書に「生まれた時からアルデンテ」がある。浜崎あゆみの歌詞は6thアルバム「MY STORY」までの歌ならほぼすべて諳んじることができる。
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