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音楽好きを虜にした魔窟、ジャニスの37年の歩み(中編)
レコードの裏に発生したコミュニティと、渋谷系前夜に集まった重要人物たち
2018年11月16日 21:30 5
ジャニスを特別な貸レコード屋として1980年代に躍進させたのは“ここにしかない”特殊なジャンルのレコードだった、と前回書いた。それは東京・御茶ノ水という周辺に大学が多い土地柄から、メインの客層を“音楽好きの若者”に設定したことで選ばれたであろう偏った傾向だった。ではそれは具体的にはどんなものだったのか。80年代の傾向を記しておこう。
取材・
ジャニスの音楽的傾向
まず最初に“ディスコ”。1960年代末から地道に広がり続けていたディスコは、1978年公開の映画「サタデー・ナイト・フィーバー」の大ヒットで大衆化し、1980年代には若者の遊び場としてすっかり定着していた。そこに目をつけたジャニスは、当時の有名なディスコ・ツバキハウスに通って、店内に貼ってあった海外ディスコチャートをメモして帰り、そこに載っているレコードを買い集め、店頭に並べ出したのである。ツバキハウスの店長もその行為を面白がり快諾してくれたという。仕入先はCISCO(輸入卸の業者が始めた輸入盤店。有名DJらを多数輩出)やウィナーズ(朝まで営業していた六本木のDJ御用達の輸入盤店。日本で最初に12inchレコードを扱った)などだった。
次に“ニューウェイブ”。1970年代後半にパンクムーブメントが起きたのち、「ロックでなければなんでもいい」とばかりに多様な音楽性のグループが増え始める。パンクの精神でボサノバを、パンクの精神でファンクを、パンクの精神で環境音楽を……そうした動きをまとめてポストパンク / ニューウェイブと呼ぶが、パンクの精神でディスコをやった1983年のNew Order「Blue Monday」のヒットをきっかけに、ジャニスも本格的にニューウェイブを扱い始めた。取り扱ったアーティストの中心はイギリスとドイツ。仕入先は新宿のUKエジソン(イギリスの、特にハードコアに強かった輸入盤店。1994年頃から店名をライカエジソンに変えヴィジュアル系専門店に路線変更)やdisk union、御茶ノ水CISCO、銀座ハンター(大量の安価な在庫で有名だった老舗中古盤屋。プレミアの概念がなくジャケットに値札をホチキスで直接留めていた)など。
さらに日本の“インディーズ”。1978年に東京ロッカーズと呼ばれるパンクムーブメントが日本でも起きて以降、パンク / ニューウェイブバンドの自主制作盤の流通が盛んになっていた。自主盤はプレス数が少ないものが多く、あとからの入手は難しい。例えば有名なザ・スターリンの1stアルバム「trash」(1981年12月)。通販で1000枚が売り切れ、追加プレスの2000枚もすぐ完売し、その後一度も再発されていない幻の自主盤である。このレコードをジャニスは貸し出していた。もちろん取り扱いは厳重で、「禁・傷&紛失!」の張り紙が付けられ、「もし紛失したら7万円」との注意書きがあった。自主盤はまさに“ここにしかない”レコードだった。インディーズでVHSがリリースされるようになってからは音楽ビデオも扱い始めた。ちなみにLAUGHIN' NOSEやTHE BLUE HEARTSといったバンドのライブ録音のテープを提供してくれる客がおり、さすがにこれは無料でレンタルしていたそうだ。
ほかにもレゲエ、ワールドミュージック、海賊盤など、大手貸レコード店が決して力を入れないような隙間のジャンルを攻めていくことで、ジャニスは口コミによって独自の立ち位置を獲得していく。と言っても「Billboard」掲載のロックとポップスのチャート上位100位はすべて入荷するようにして、オーソドックスな音楽のリスナーを取り込むのも怠らなかったという。売り上げはそちらで確保し、それでマニアックな音楽棚を作っていく、というのがジャニスの基本方針だった。ディスコとロックの最新情報を集めたフリーペーパー「BOBBY」を毎月発行し、海外の音楽週刊誌「Billboard」や「Record Mirror」の輸入販売も行うなど、定期的に足を運びたくなるような情報面のサポートも忘れなかった。
レコード裏のジャニスオリジナルノート
だが、本当にジャニスをほかの店とまったく違う路線にした理由は、「JANIS ORIGINAL NOTE / 俺(私)にも云わせろヨ!コーナー」の存在だろう。ノートといっても冊子体で置いてあるものではなく、レコードのジャケット裏面に貼り付けられていた用紙である。ここにレコードを借りた人が自由にコメントを書けるようになっていたのだ。店側としては感想や情報交換などに使ってもらうことを想定していたのだろうが、それを超えて一種の音楽コミュニティのような存在になっていった。落書き、殴り書き、店への文句もありつつ、イラストが描かれることもあれば、写真が貼り付けられることもあり、批評に反論が重なって議論が起こることもしばしば。店への質問やリクエストがあれば店員がしっかり答えておく。このノート欄のために、ほかの貸レコード店ではなくジャニスを選んだ利用者は多かったはずだ。
特に1990年代に“渋谷系”と呼ばれることになるバンドのメンバーたちが、ジャニスに通っていたのは有名な話である。1987年頃、当時高校生だった
そのフリッパーズより先に、日本でイギリス直系のネオアコースティックを奏でていたバンド、Penny Arcadeのメンバーである石田真人や佐鳥葉子らもジャニスのユーザーだった。特に石田は“P”名義で多数のUKニューウェイブのレコードにコメントを残しており、それを読んで参考にしていたのがのちのbridgeのボーカリスト・大友眞美(現CHICAGO BASS)だったそうだ。すべて1980年代後半の出来事である。
なお、そうした人々と特に接点はなかったようだが、1987年頃からジャニスのブラックミュージック担当としてアルバイトをしていたのが音楽家 / 音楽プロデューサーの
1990年代にはさらにその下の世代がジャニスに出入りするようになる。さよならポニーテールの元ディレクターでジャニスのヘビーユーザーだった田口貴章氏は、あまりにも頻繁にノートに書き込んでいたため注目され、ジャニス店長の鈴木健治氏が雑誌に書いたコラムで取り上げられたこともあるそうだ。翻訳家の野中モモ氏、ライターの故・大塚幸代氏らもよく利用していたと聞いた。
話題に事欠かなかったジャニスのノートは、レコードからCDへの全面移行のタイミングで姿を消した。レンタルで使われノートが貼られたままのレコードは中古処分として売りに出され、今は散り散りになって当時のユーザーの家に眠っているはずである。このレコード時代がジャニスの第1世代と言えるだろう。
洋楽の新譜レンタル1年間禁止
1990年1月よりジャニスは池袋のサウンドボックスと姉妹店になった。サウンドボックスはジャニスより半年ほど前に開店した貸レコード店で、ソウル / ブラックミュージックの12inchレコードに強いのが売りだった。雑誌「月刊アングル」1982年5月号の同店店長のコメントによれば1982年春の時点で在庫5500枚。これは個人経営にしては多いほうで、売り上げも月300万円を超えていたそうだ。
提携により、ジャニスと同様のノートはサウンドボックスにも付くようになった。しかし、海外の12inch盤がメインだったためにCDレンタルへの対応が遅れていた同店は、1988年にレンタル店でCDがレコードのシェアを抜いたこともあって徐々に売り上げが落ち、1991年の改正著作権法による洋楽の新譜レンタル1年間禁止の影響を受けて1992年に閉店。再びジャニスだけになる。
この洋楽レンタル1年間禁止の決定は、レンタルという枠を超えて音楽シーン全体に小さくない影響があったと思われる。最新の洋楽CDは買うしかなくなった。そうすると、レンタルで済ませていたライト層の洋楽リスナーは必然的に減ってしまう。ここから洋楽は、大きなヒットを飛ばせるごく少数の人気ミュージシャンと、多数のマイナーなミュージシャンに二極化してしまった。1990~95年は円相場が超円高だったため、少しでも安く手に入れようと外資系ショップで輸入盤(大量に仕入れるため安くなる)を買い求めるリスナーはまだいたが、1995年4月の1ドル79.75円をピークに以後は円安が進み、輸入盤の値段も上がっていったことで、洋楽市場は縮小していく。
ジャニスも洋楽の新譜が扱えなくなることで、路線変更を迫られたと見られる。ジャニスが音楽雑誌に出稿していた広告は1992年1月を最後に見当たらなくなってしまうのだが、その最後のほうの広告を見ると、長期レンタルが可能なこと、中古販売に力を入れていること、ある特定ジャンルに強いですよという雰囲気を売りにしていることなどがわかる。もはや洋楽新譜入荷が売りにできないことから、旧譜やレア盤による“ここにしかない”品揃えがますます重要になってきたのだ。
中古販売専門店を新規にオープンさせた1990年代後半、店舗を移転して80sインディーズとテクノ方面を強化した2000年代、そして今年11月の本店閉店までの流れは、次稿で書きたいと思う。
<つづく>
- ばるぼら
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ネットワーカー。古雑誌収集家、周辺文化研究家。主な著書に「岡崎京子の研究」、「20世紀エディトリアル・オデッセイ」(赤田祐一と共著)、「日本のZINEについて知ってることすべて」(野中モモと共著)など。
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