2018年8月30日。東京・御茶ノ水のレンタルCD&DVDショップ「ジャニス」本店が2018年11月をもって営業を終了する──そんなニュースがネット上を駆け巡った。中古販売の2号店は営業を続けるようだが、先のことはあまり決まっていないようだ。この報を聞いたかつての、そして現在のユーザーが「いかにジャニスで音楽体験が豊かになったか」を語り閉店を惜しむ声をあげる一方、音楽関係者が苦々しい心情を吐露していたのを見逃せなかった。レンタルCDという日本にしか残っていない独特の産業、その中でも特別な立場にあったジャニスという店の時代について、レンタル業終了を機に考えていきたい。
取材・
貸しレコード店の流行
レンタルCDショップ、昔の呼び名で言うと貸しレコード店という業種は、1980年6月15日に東京・三鷹で創業した「黎紅堂」がブームの始まりとされる。立教大学経済学部5年生だった大浦清一が、区立図書館のレコード貸出システムを見て、「クラシックではなく若者好みのロックやニューミュージックを中心にしたら需要があるのではないか」と考え、友人らとともに共に開店したもの。置いていたレコードは当初わずか860枚。それでも2カ月で開店時の借金を返済したほど順調な滑り出しだった。
同年11月に早くも直営店1号を、12月にチェーン店1号を作り、全国にフランチャイズ展開。この動きが「日本経済新聞」で取り上げられたのをきっかけに(1981年1月17日)、ますます客と支店が増えていく。東京・吉祥寺の「友&愛」(1980年11月創業、牛久保洋次氏)、京都の「レック」(1981年3月創業、岡村邦彦氏・仲川進氏)、神戸の「ジョイフル」(1981年創業、佳山昇氏)など続々と新しい貸しレコード店が生まれ、1982年春時点で全国に貸しレコード店が1200店舗、利用者700万人という規模になり、“レンタル”という行為が人々の生活の中に急速に普及していった。
この背景には、音楽再生環境の変化が要因としてあるだろう。代表例は1979年7月1日に発売されたソニーのポータブルプレーヤー「ウォークマン(TPS-L2)」のヒットだ。部屋でレコードを流すのではなく、録音したカセットテープを外出時に聴くという新しい音楽体験の登場により、聴きたい曲を自分でカセットテープに録音・編集するのが一般化した。高いレコードを買っても外で聴けないのだから、安い貸しレコードでいいという学生 / ライトユーザー層の需要を掘り起こしたのである。
ほかに、「ウォークマン」と同時期に流行していた高音質の大型ラジカセ(ソニー「エナジー」シリーズ、ナショナル「STATION」シリーズ、東芝「BOMBEAT」シリーズなど)の影響も見逃せない。自宅はもちろん、重量はあるが外でも聴ける。カセットなのにいい音で聴けるし多機能で便利、という点で、カセット派を後押しした。
加えて、貸しレコード店が起業しやすかった、というのも見逃せないポイントだ。黎紅堂は学生ベンチャー、友&愛やレックはサラリーマンの副業。その他の店も多くは「二十歳代後半の若者が脱サラし、手持ち資金で駅前裏通りの2階で開業」(「日経産業新聞」1989年12月1日)という零細経営の個人店だった。レイモンド・マンゴー「就職しないで生きるには」の翻訳本が晶文社から刊行されたのは1981年6月。音楽好きの若者が就職しなくても食べていける流行りの新事業として貸しレコード店はあった。そうした時代の流れの中で開店したのがジャニスだったのだ。
ジャニス開店
ジャニスのオープンは1981年9月21日。運営は「有限会社とちの木」で、創業者は鈴木健治氏(鈴木氏が2016年9月17日に逝去したあとは、共同オーナーの相馬博光氏が代表を務めている)。鈴木氏は1980年に、大阪の洋服屋が店の一角を使ってレコードを貸しているというラジオのニュースを聞いて、都内をリサーチし、自身でも開業を決意。当時は貸しレコードという業種が一般的ではなかったため、開店資金を借りにいった金融公庫には“喫茶店”として融資してもらうことにしたという。そのため、初期のジャニスには喫茶カウンターがあった。
現在のジャニスが高く評価されるポイントに“ほかの店にはないマニアックで豊富な品揃え”がある。しかし、開店当初置いていたレコードは自分や友人のものを合わせてたった300枚弱。人気のあった盤は寺尾聰「ルビーの指環」、大滝詠一らの「NIAGARA TRIANGLE Vol.2」、Boys Town Gang「君の瞳に恋してる」。前者2つはニューミュージック、残りはディスコの人気盤で、いずれも“大衆的”と言って差し支えない。
これが果たしてどのタイミングでマニアック路線になったのかは定かではないが、1984年から各音楽雑誌に載せるようになった店の広告には、すでに「GERMAN NEW WAVE」「PUNK」「AFRO JAZZ」「JAPANESE INDIES」などの文字が並んでいるので、早い時期からジャンルを手広く扱っていたのだろうと推測するしかない。当時の御茶ノ水周辺にはほかに「黎紅堂御茶ノ水店」「COSMOS」「音美 ONBI」といった貸しレコード店があり、それらとの差別化の意図があったと考えられる。
なお、鈴木氏の死去を受けて2017年に制作された冊子「鈴木健治 追悼集 鈴木健治さんが生きた貸レコードの時代とは何だったのか」には、ジャニスの創業に関する相馬氏へのインタビューが掲載されている。相馬氏はそこで、1982年頃は郊外の私鉄沿線駅の近辺は黎紅堂や友&愛のようなチェーン店系の進出が著しく、どうすればそれに対抗できるのかが当時の独立系個人オーナーの課題だったと説明。借りたものを返す必要がある貸しレコード店はやはり自宅近くにあるほうが便利であり、住宅地でない都心に店を構えていたジャニスはそのハンデを補うために「ここにしかないものを置く」という方針を決めたと語っている。
マニアック路線は決してジャニスだけの特徴ではなく、ニューウェイブや現代音楽、日本のインディーズなどを扱っていた先駆的な貸しレコード屋として1980年末に開店した東京・高円寺「パラレルハウス」は参考にしただろうし(「爆音映画祭」で知られる樋口泰人氏が働いていた)、初期はソウルミュージックを扱いつつ途中からニューウェイブ路線を強めた東京・池袋「サウンドボックス」(「LOS APSON?」の山辺圭司氏が働いていた)も同傾向の店として並んで語られることが多い。
改正著作権法と報酬請求権の隙間
1984年から広告を載せるようになった、と書いたが、これには理由がある。1981年10月30日、急増する貸しレコード店を恐れたレコード会社13社が、大手貸しレコード店4社を相手に、複製権侵害によるレコード使用禁止処分を求める訴えを東京地方裁判所に提出した。この裁判は最終的に1984年5月25日に改正著作権法の公布(1985年1月1日施行)で決着となったが、この決着がつくまで、多くの零細貸しレコード店は訴えられるのを恐れ、雑誌で広告を打つなど表向きは目立った動きをしなかったのである。ただし、裏ではレンタル業界が一丸となって日本レコード・レンタル商業組合(現=日本コンパクトディスク・ビデオレンタル商業組合)という団体を組織し、JASRAC、RIAJ(日本レコード協会)、日本芸能実演家団体協議会(芸団協)と金額面で話し合い合意を得るなど、大きな役割を果たしている。
改正著作権法のポイントは「貸与権」と「報酬請求権」という新たな権利の創設にあった。これにより、貸しレコード店は晴れて合法的な商売と認められたのである。貸与権とは、発売から1年間は権利者がレコードをレンタルをするかしないかを決められる権利。報酬請求権とは、2年目以降はレンタルを禁止できないが対価を求められる権利である。言い換えれば、権利者はレンタルを禁止できず、あくまでレンタルの開始時期を決められるだけで、あとはお金を請求する権利しかないのである。
結果として、新人や寡作アーティストのアルバムは翌々月末までレンタル禁止(特別料金を払えば可)という期間設定、アルバム1枚を1回貸すごとに50円払う価格設定、に落ち着いた。その後1990年代に入ってから価格は上がり、アルバムは発売から3週間は禁止に、洋楽は全面1年禁止になったりと変化はあるが、レンタル全般の歴史については本題ではないので、別の書籍などを参照してほしい。
本稿で重要なのは、報酬請求権は文化庁が指定する団体しか行使できないと著作権法で決められている点だ(著作権法第95条の3)。その団体とは先ほど出てきたRIAJと芸団協。このRIAJに所属してない中小規模レコード会社は報酬を請求できないし、芸団協に所属していないミュージシャンはやはり報酬を請求できないのである。JASRACに自作品を登録しておらず、大手レコード会社で作品を出しておらず、芸団協に入っていないインディーズのミュージシャンは、発売から1年経った自作CDが貸しレコード店に置かれた場合、法律上、使用料を請求する手段がない。ここに法律の隙間があり、ジャニスの“マニアックな品揃え”を象徴する自主制作盤は、実質的に使用料を請求されないからこそ選ばれたのではないか、と推測できる(注:あくまで推測)。
<つづく>
- ばるぼら
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ネットワーカー。古雑誌収集家、周辺文化研究家。主な著書に「岡崎京子の研究」、「20世紀エディトリアル・オデッセイ」(赤田祐一と共著)、「日本のZINEについて知ってることすべて」(野中モモと共著)など。
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