滝藤賢一が語る「アイリッシュマン」|個性派俳優が見つめた名優たちの細かな芝居、目指すはジョー・ペシ

CHARACTER

フランク・シーラン(ロバート・デ・ニーロ)
フランク・シーラン
(ロバート・デ・ニーロ)
1920年、フィラデルフィアに生まれたアイルランド系カトリック。第2次世界大戦では計411日間、前線で戦った。イタリア語が堪能。その殺しの腕と人望でマフィアのラッセル・ブファリーノと親密な関係を築き、当時絶大な権力を誇ったジミー・ホッファの信頼も獲得した。
ジミー・ホッファ(アル・パチーノ)
ジミー・ホッファ
(アル・パチーノ)
時の政府に「この国で大統領に次ぐ権力を持った男」と言わしめた全米トラック運転手組合・チームスターズの会長。口癖は「連帯」。好物はアイスクリーム。酒を嗜まず、同席者にも飲酒を認めない。1975年7月30日に失踪。
ラッセル・ブファリーノ(ジョー・ペシ)
ラッセル・ブファリーノ
(ジョー・ペシ)
ブファリーノ・ファミリーのボスでマフィアの全国委員会でも尊敬を集める重鎮。食へのこだわりが強く、好物はプロシュートブレッド。車内での喫煙を許さない。実在のラッセルは、マフィア映画の金字塔「ゴッドファーザー」の脚本に最終OKを出した人物でもある。
アンジェロ・ブルーノ(ハーヴェイ・カイテル)
アンジェロ・ブルーノ
(ハーヴェイ・カイテル)
ラッセルと旧知の仲にあるフィラデルフィア・ファミリーのボス。暴力ではなく話し合いによる問題解決を好み「穏やかなるドン」とも呼ばれた。1980年、部下の裏切りに遭い殺害されている。
ビル・ブファリーノ(レイ・ロマーノ)
ビル・ブファリーノ
(レイ・ロマーノ)
ラッセル・ブファリーノのいとこで、チームスターズの顧問弁護士。フランクをラッセルに紹介した張本人。映画の冒頭から2人がデトロイトに向かうのは、ビルの娘グレース=アンの結婚式に参列するため。
トニー・プロベンツァーノ(スティーヴン・グレアム)
トニー・プロベンツァーノ
(スティーヴン・グレアム)
通称“トニー・プロ”。ニューヨークを拠点にするジェノヴェーゼ・ファミリーの一員で、チームスターズでは第560支部の支部長も務めた。同じ刑務所に入っていたジミー・ホッファと年金のことで揉める。

これぞ実録!知っておきたい「アイリッシュマン」の世界

ジョン・F・ケネディ暗殺事件のニュースを目にするフランク・シーランたち。

「I Heard You Paint Houses」

2003年に83歳で死去したフランク・シーラン。2004年に刊行された映画の原作である「アイリッシュマン」は、晩年の彼が自らの半生やジミー・ホッファ失踪事件の真相を語った独白形式のノンフィクションだ。原題「I Heard You Paint Houses(あちこちの家にペンキを塗っているそうだな)」は、ジミー・ホッファがフランクに向けて放った言葉。銃撃の際に吹き飛ぶ血が家屋の壁にかかることから、「家のペンキ塗り」は裏社会の隠語で殺しを意味する。彼は「問題を処理する」「すべきことをする」といったあいまいな言葉で数々の殺人行為を告白した。

全米トラック運転手組合 チームスターズ

ジミー・ホッファ(写真提供:GLOBE PHOTOS, INC. / ゼータ イメージ)

全米中のトラック運転手が所属する労働組合。ジミー・ホッファは1957年から1971年にかけて会長を務めた。当時アメリカの物流を握っており、彼らがストライキを起こせば「アメリカが止まる」とまで言われた。しかし、ギャングやマフィアなどの犯罪組織と癒着した組合では、脅迫、ゆすり、横領といった汚職が横行。用心棒を雇い、爆破や放火、暴行、殺人などによる支配体制を敷いたホッファは、アメリカ労働組合の歴史においてもっとも物議を醸した指導者と言われている。組合の年金基金は、マフィアが甘い汁を吸うのに好都合で、ラスベガスのカジノをはじめとした投機的事業に10億ドル以上が融資されていた。

ロバート・ケネディ

ロバート・ケネディ(写真提供:Benjamin E. Forte / CNP / Newscom / ゼータ イメージ)

1961年から1964年にかけて、実兄である大統領ジョン・F・ケネディの政権下で司法長官を務めた人物。ギャングとの関わりを噂された父や兄と異なり、マフィアを「アメリカの内なる敵」とみなし、政府を率いて組織犯罪の撲滅を率先して行った。特にマフィアと親密であったジミー・ホッファへの追及は妥協を許さず、数々の罪状で起訴。長い裁判の末、ホッファは有罪判決を受け懲役13年の刑を宣告された。1963年までに300人近くが有罪判決を受けている。ホッファからは「金持ちの子供」と忌み嫌われ、兄ジョン・F・ケネディが暗殺された際にも「もはや一介の弁護士に過ぎない」と痛烈に皮肉られた。

ジミー・ホッファ失踪事件

4年間服役したのち、時の大統領リチャード・ニクソンの恩赦により、1971年に釈放されたホッファ。組合に戻ると代役のはずだったフランク・フィッツシモンズが委員長のポストを死守したため、復帰工作に奔走した。しかし周囲の賛同を得られず、1975年7月30日に突然の失踪。遺体も見つからないまま、1982年に死亡宣告がなされている。関与を疑われた9人のマフィアが逮捕されたが、いずれもホッファ失踪とは関係のない罪状で収監された。事件から27年が経過した2002年、真相は不明のままFBIも捜査の幕を閉じたが、2年後に「アイリッシュマン」の原作本が出版され、その内容は波紋を呼んだ。

参考文献:チャールズ・ブラント「アイリッシュマン」(早川書房)