洋画専門チャンネルのザ・シネマにて2月24日に放送される、ベン・スティラー監督・主演作「LIFE!」の吹替新録版。吹替ファン待望のこの新録版には、堀内賢雄ら豪華キャストが参加を果たし、物語にさらなる彩りと深みを与えている。
映画ナタリーでは、本作の放送を記念した特集を展開。劇場アニメ「この世界の片隅に」の台詞演出などを手がけ、「LIFE!」新録版を担当した清水洋史にインタビューを実施した。吹替演出家は“監督の代弁者”であるべきだと語る清水は、今回の収録にあたってあるキャラクターのセリフを変更した経緯を明かしてくれた。また後半には、吹替愛好家であるマンガ家とり・みきのコラムも掲載している。
取材・文 / 金須晶子 文 / とり・みき(P2コラム)
1947年の「虹を掴む男」を、ベン・スティラー監督・主演でリメイクした2013年製作のヒューマンドラマ。雑誌LIFEの写真管理部で働く妄想癖を持った平凡な男ウォルター・ミティが、写真家ショーン・オコンネルを探すため壮大な旅に出るさまをつづる。劇中では、ウォルターの現実逃避のための空想をVFX技術を駆使してダイナミックに描く一方、彼が体験する冒険の模様を本物の大自然をバックに映し出している。
ザ・シネマ新録版では、「ズーランダー」「トロピック・サンダー/史上最低の作戦」「ヤング・アダルト・ニューヨーク」でもスティラーの声を担当してきた堀内賢雄が、ウォルター役を務める。ショーン・ペン演じる写真家ショーン役は、劇場公開時の吹替版と同じく山路和弘が担当し、今回の放送のために新たに収録を行った。クリステン・ウィグ演じるヒロインには安藤麻吹が、シャーリー・マクレーン演じる主人公の母には谷育子が声を当てている。
清水洋史インタビュー
収録にベン・スティラーがいたらどんな指示を出すか考える
──洋画吹替の演出をする際、初めにどんな準備をされるんですか?
当たり前ですが、まずはひたすら作品を観ます(笑)。とはいえ観客目線ではなく、美術学生が絵の模写をするときの観察の仕方に近いかもしれません。ある絵画を模写しようと思ったら、筆の動きはどこへ向かっているか? 輪郭はどう出しているか? 画家は右利きか左利きか? 目の色には黒だけじゃなくて緑も入っているな、と本当に細かいところまで見て画家の筆致を再現しようとしますよね。それと同じで、映画の作り手側のプロセスをもう一度たどることを考えて観ます。例えば「LIFE!」で言うと、ベン・スティラーはなぜこういう言い回しのセリフにしたんだろう? どうしてこういう構成・画作りにしたんだろう?と1つひとつくみ取っていきます。アフレコ現場でも常に、もしここにベン・スティラーがいたらどんな指示を出すのか、どう表現してほしいのか、を頭の隅に置いてるような。表面的な作りはもちろんのこと、その価値観や美意識の本質まで敬意を持って理解しないといけない仕事だと思うんです。吹替版としての工夫を加えるにしてもその土台を踏まえないといけません。だから独善的な感想をもとに進めることがないよう、まずは作品をしっかり観るのが原則です。
──監督の代弁者になるということですね。「LIFE!」の日本語吹替版を新録するにあたって、ショーン役の山路和弘さんに向けて清水さんが用意されたメモを拝見しました。ショーンというキャラクターはセバスチャン・サルガド(ブラジルの写真家)がモデルになっているのではという清水さんの考察とともに、それを裏付ける資料がびっしり貼られ、役への理解がいっそう深まる内容でした。今回のために特別なリサーチをされたのでしょうか?
特別なことはないんですけど、もともと写真が好きなんです。撮るのも観るのも。ずっとモノクロフィルムで撮っていて、いろんな写真家の作品集も家に山のようにあります。「LIFE!」の主人公ウォルターはLIFE誌でネガを管理している技術者で、そのへんに関しては知らない分野ではなかったから、いつもより少し掘り下げて調べました。つい深入りしちゃったというか(笑)。まあ山路さんがそのメモを読んだかわからないですけどね。アフレコ現場で会ったとき、読みましたか?って聞いたら「ああ、読んだ読んだ!」って(笑)。
“ぼやきキャラ”のヘルナンドに違和感
──今回、ウォルターの後輩であるヘルナンドの言葉遣いを「です・ます」調に変更したそうですね。主要キャラではない彼のセリフにこだわった理由を教えてください。
劇場吹替版でも今回の台本でも、ヘルナンドはウォルターと対等な口調でしゃべる典型的な“ぼやきキャラ”のように理解されていました。ニューヨークの高層ビルの陽の当たるオフィスと対照的に、ウォルターたちは地下のネガ管理部で働いていて、最初の場面では現状への不満を漏らします。その結果、2人は隅に追いやられた閑職のような印象になるんですが、そこに少し違和感を覚えたんです。フォトジャーナリズムの時代をリードしたLIFE誌でフィルムを管理しプリントする技術者は本来“花形”であり、中でもウォルターは著名な写真家ショーンにプリント制作を一任されているパートナーですから。ウォルターを軸にストーリーを整理していくと、ヘルナンドはウォルターの本領をよく知る数少ない人物であり、彼を照らし出す存在にもなる。つまりヘルナンドの振る舞いによって、ラボマンとしてのウォルターの価値が決まるんです。映画のラストで観客が抱くであろうウォルターへの敬意をヘルナンドは先取りしている。ですから、ウォルターを描くうえでもそこを意識しないと、この映画をきちんと表現できないと思って口調を変更しました。観る人にとっては本当にささいなことですが。
──人物像から捉え直したんですね。
たとえばショーンから届いたネガを「マウントするか?」とヘルナンドが聞かれるシーンがあるんですけど。マウントというのはロール状態のネガを切ってホルダーにはめていく作業。それをやるか?と聞かれて英語では「Seriously?」と答えていて。台本では最初「いいの?」になってましたが、それを「いいんすか?」に変えたんです。そう答えると、ただ許可されたかどうかの確認でなく「僕なんかがやっていいんですか?」と、うかがうニュアンスがより出ますよね。あと作業が終わってネガを手渡すときに言うセリフも「できた」とあったのを「どうぞ」に変えました。もちろん翻訳として間違いではなかったし、物語全体の流れには関係ないディテールですが、その言い回しと演技で、ヘルナンドにとってショーンのフィルムに触れるのがいかに特別なことか、ひいてはどれだけヘルナンドがウォルターの仕事をリスペクトしているのかが感じられるかなと。
──ちょっとした言い回しで印象が大きく変わります。
ドラマのストーリーだけ追うんじゃなくて、人間同士の関係性にこそ大事なことがあるから、そこを豊かに肉付けしていきたいといつも思っています。
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賢雄さんとは「普通の男でやろう」と話した