1977年に始まったぴあフィルムフェスティバル(PFF)のコンペティション部門・PFFアワード。世界でも珍しい自主映画のコンペティションであるPFFアワードは、現在の日本映画界で活躍する数多くの監督を輩出してきた。
映画ナタリーでは、2月20日からスタートするPFFアワード2019の作品募集にあわせて、2012年に同コンペの最終審査員を務めた行定勲と、「あみこ」でPFFアワード2017の観客賞に輝いた山中瑶子の対談をセッティング。世代の異なる2人の映画監督に、自主映画制作のエピソードや、PFFも注力している海外の映画祭事情について語ってもらった。
取材・文 / 村山章 撮影 / 入江達也
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1年以内に完成した自主映画であれば、年齢、性別、国籍、上映時間、ジャンルを問わない自由なコンペティション。4カ月に及ぶ厳正な審査を経て決定した入選作品は、ぴあフィルムフェスティバルで上映され、グランプリなど各賞が授与される。コンペティション形式になったのは1988年以降だが、過去の入選者や過去の受賞者には、石井岳龍、黒沢清、園子温、塚本晋也、佐藤信介、内田けんじ、石井裕也など現在活躍している映画監督が多数。若く新しい才能が集う場所として、一目置かれる映画賞だ。
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PFFが推進している活動の1つが、PFFアワード入選作品を海外映画祭で上映すること。これまでにカンヌ、ベルリン、ロカルノ、バンクーバー、ロッテルダム、釜山など280以上の映画祭に出品している。2018年には、PFFアワード2017グランプリ「わたしたちの家」や、PFFアワード2017観客賞「あみこ」が10を超える映画祭で上映。海外映画祭に参加した監督たちは、多くの映画人や世界の観客と交流し、その後の創作活動の力にしている。
PFFに落とされた経験はある(笑)(行定)
──山中監督は「あみこ」が2017年の観客賞を受賞、行定監督は2012年に最終審査員を務められていますね。
行定勲 はい。PFFとはそれ以外の関わりはないと言うか、ただ落とされた経験はあるんです(笑)。最終にも残らなくて、最初の段階で消えたんだと思うんですけど。僕は東京に出てきてすぐの頃、新聞配達をやってたんですが、新聞奨学生の仲間たちと8mm映画を撮っていたんです。「ブルーザー・ブロディが死んだ日」っていうタイトルで、ブルーザー・ブロディっていうプロレスラーが刺殺された日に、好きな女の子のところに新聞を配達してるっていう話で。
山中瑶子 それ、面白そうですね。
行定 仕方なく僕もその新聞少年役で出演して。片思いしている女の子は隣に住んでいる男のことが好きで、その男はハツカネズミを飼っている。でも、男がゲイだとわかって、僕も彼女も失恋するという。当時、ゲイの人たちがハツカネズミを使って自慰をするというプレイがあったんです。ニューヨークに行ったときに友達の家に泊まっていたら、隣に住んでいた大きな男の人がそのプレイをしていてパニックになって救急車で連れて行かれた。その記憶から書いた話だったんだけど、やっぱり理解されなかったんだよね。
山中 ははは!(笑)何分くらいの作品だったんですか?
行定 20分くらいかな。今だと1時間くらいの映画になるかなって思うんだけど、当時は技術がなくて無理でしたね。あと、音付けがうまくいかなくて、結局音を外してサイレントで出しちゃった。きっと審査員の人たちも「なんだこれ?」ってなったんじゃないかな。それでプロになろうと思ったんです。音とかちゃんと作れるように、プロにならないとって。
──当時、PFFは意識されていたんですね。
行定 映画監督の登竜門でしたからね。僕が一番好きだったのは成島出監督の映画とか。
山中 「みどり女」ですか?
行定 そうそう! かなり影響を受けたというか、おもしれえなって思って観に行ってました。あと橋口亮輔監督の「夕辺の秘密」とかも。
山中 私も当時観ていた監督がPFF出身だから意識してたっていうのはありましたね。橋口亮輔監督や、石井裕也監督の作品がDVD化されていたので。
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「あみこ」には、花火のように弾けているものがある(行定)