五十嵐大介インタビュー
ファンとして待ちたいと思っていた
──まずアニメ版「海獣の子供」の感想を伺いたいと思います。もともと渡辺歩監督が原作と五十嵐先生の大ファンということもあり、今回の映像化には並々ならぬ熱量を持って臨まれたそうです。先生はご覧になっていかがでしたか?
お話をいただいてから完成まで5年ほど掛かり、途中はなかなか進捗がわからないときもありましたが、音入れやアフレコのタイミングで見せてもらっていました。でも、その時点ですでに鳥肌ものでしたよ。結局試写会には行けずじまいだったので、公開後に1人で劇場へ行って観たんです。冒頭のシーンから、事件が始まる前の一連のシーンですでに感動してしまいました。原作の空気感が出ていたので、本当に素晴らしかったです。
──空気感は監督も意識されていた部分だとおっしゃっていました。映像化にあたっては、「好きに解釈してほしい」とお任せされたとか。
そもそも映画とマンガは違う表現方法ですし、観ていただく対象も映画のほうが広いと思うんです。なので映画ならではの表現を求めるうえで、必要な改変があればしていただいたほうがいいと思っていました。
──絵コンテを見て、一部登場キャラクターのデザインを提案される場面もあったとお聞きしました。
そうでしたね。いろいろ案を見せていただいた中から私なりの意見を伝えさせていただいたりしたんですけど、監督の判断がまず第一であり、あくまで参考程度にという意味でお話ししていました。私としては監督をはじめとするスタッフの皆さんがどういう映像を見せてくれるのか、ファンとして公開を楽しみに待ちたいと思っていたので。
──公開後に劇場で一般の方とご覧になったとのことですが、上映後の雰囲気はいかがでしたか?
とにかく情報が多かったので、受け止めるまでに間が必要というか、まずは呆然としちゃう感じでしたね。泣いてる方もいらっしゃったんですが、全体の感じとしては圧倒されている雰囲気でした。
──ご覧になられて、もっとも印象的だったシーンは?
やはり一番頭に残っているのは、始まりの日常のシーンですね。琉花がハンドボール中にチームメイトにけがをさせてしまったところから職員室での時間の感覚や、光の表現に監督が言いたいことや重要なことが入っている感じがしました。海くんに出会う前の、琉花の心の動きを追いかけた一連の場面が好きですね。
表現の殻を破るきっかけに
──先生の原作も2009年の第13回文化庁メディア芸術祭のマンガ部門で優秀賞を受賞されました。メディア芸術祭にどういう印象をお持ちですか?
選ばれる作品がどれも興味深いので、そこにマンガとアニメ版の「海獣の子供」が並ぶのはとてもうれしいです。今回の受賞を機に、マンガ、アニメを問わずいろんな分野の方に観ていただければ、お互いに新たな刺激になるんじゃないかと思います。
──渡辺監督は「業界のトレンドを知る機会になる」という見方をされていました。
確かに、2009年に賞をいただいたときに、作品展でいろいろなものを見て刺激になりました。いろんな分野に触れられるし、横断的に見られるのはいいですよね。メディア芸術祭のような取り組みをきっかけに表現の幅の広さに触れて、それぞれ自分がやっている表現の殻を破るきっかけになっていくんじゃないかなと思います。
──今回、映画「海獣の子供」は、審査委員全員が高い評価を付け大賞が決定したそうです。理由の1つとして、ストーリーの深みと原作を忠実に表現していることが挙げられたそうなのですが、2009年の優秀賞受賞から約10年経ち、アニメ部門でも評価されたことをどう思われますか?
一昨年「リトル・フォレスト」が韓国で映画化されて、その前に日本でも映画になりましたが、いずれも原作が出てから少し経ってのことでした。時間が経っても評価されるのはうれしいことですが、ちょっと表現の仕方を見直したり、工夫する必要があるんじゃないかと最近思っていて。今読者に届く表現と、将来的に古くならない表現を両立できればと思っています。
──ちなみに、アニメ部門同様、マンガも最近海外からの応募が多いそうです。アニメやマンガは日本の“得意分野”として語られることが多いですが、近年日本以外のクリエイターも質の高い作品を多く発表していて、日本の作家たちも油断ならない状況なのではと感じます。五十嵐先生はこういった状況をどう思われますか?
私の印象では、全体の表現力やクオリティが上がったようにも思いますけど、一方でマンガの存在が当たり前のものになっているような感じです。以前は大友克洋さんのような最先端を走る方が目立っていて、マンガ独自のことをやっているイメージだったんですけど、今は全体のレベルが上がったこともあってか、とんがったイメージではなくなってきている気がします。
──なるほど。
私も全部の作品に熱心に触れているわけではないですし、いろんな取り組みをしている方はもちろんいらっしゃると思います。ただ、妙に信頼されているというか……いいことなんですけど。未知のものを求めるより、確実に楽しめるものとしてマンガが求められている感じがあります。でも逆に、表現として安定して見えるのは、変動前夜なのかもしれないです。嵐の前の静けさと言うんでしょうか。
──これから技術的に新しいことや、お言葉を借りれば“とがった才能”が出てくるのか、ということでしょうか。
全然違う分野から来た人がブレイクスルーするのか、マンガ表現そのものが今までと違う方向に進化していくのか……。すでに始まっているのかも。
次のページ »
双子の兄弟だと思っています
2020年3月30日更新