「怒りのデス・ロード」から神化、驚くべき新作「マッドマックス:フュリオサ」誕生!ORIHARAがイラスト描き下ろし、高橋ヨシキのレビューも

21世紀最高のアクション映画と名高い「マッドマックス 怒りのデス・ロード」の公開から9年。アニャ・テイラー=ジョイ主演でフュリオサの“怒り”の原点を描いた最新作「マッドマックス:フュリオサ」が5月31日に全国で公開される。

人生のすべてを奪われた若きフュリオサが、2人の独裁者が覇権を争う狂気に満ちた世界と対峙する物語。前作がわずか3日間の出来事を圧巻のスピードで描いた一方、今作はフュリオサの怒りが充満する15年間にも及ぶ叙事詩となった。

映画ナタリーの特集では、Adoのイメージディレクターとして知られるイラストレーターのORIHARAが〈発芽〉をテーマにフュリオサを描き下ろし。さらに本作から〈驚異の感覚〉をもたらされたという映画評論家・高橋ヨシキにレビューを寄稿してもらった。

コラム / 大畑渡瑠イラスト / ORIHARAレビュー / 高橋ヨシキ

映画「マッドマックス:フュリオサ」予告編公開中

「怒りのデス・ロード」を深化させる驚くべき前日譚「フュリオサ」

母親の記憶や片腕を失った過去…フュリオサが持つ“怒り”の原点

バイオレンス・カーアクション・ムービーとして誕生し、1979年に第1作が公開された「マッドマックス」シリーズ。当たり前のように犯罪が許され、核戦争や石油危機に見舞われた世界を舞台に、復讐心に支配された警官マックスがアンチヒーローとして君臨する姿が描かれてきた。その彼の内に眠る“怒り”は2015年、ウェイストランドを舞台とする「マッドマックス 怒りのデス・ロード」として継承。本作でマックスとともに戦闘集団ウォーボーイズとの争いを繰り広げたのは、イモータン・ジョーの独裁の中で部隊を統治していた大隊長フュリオサだった。9年の時を経て公開される「マッドマックス:フュリオサ」では、彼女がなぜジョーの支配下に置かれたのか、前作でわずかに語られた母親との記憶や、片腕を失った過去が前日譚としてつづられる。描かれるのは、やがて髪を切り捨て、頭をそり上げるフュリオサの“怒り”がため込まれていく15年間。その熱量は1作目「マッドマックス」と同じエネルギーを持って、観客を彼女の復讐劇に同行させる。

シャーリーズ・セロンが演じた大隊長フュリオサ(左)と、アニャ・テイラー=ジョイが新たに演じた若き日のフュリオサ(右)。©2015 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

シャーリーズ・セロンが演じた大隊長フュリオサ(左)と、アニャ・テイラー=ジョイが新たに演じた若き日のフュリオサ(右)。©2015 Warner Bros. Entertainment Inc. All rights reserved.

幼い頃に“緑の地”からさらわれたフュリオサ。映画の序盤には、母親から受け取った愛情や正義感もじっくりと描かれる。

幼い頃に“緑の地”からさらわれたフュリオサ。映画の序盤には、母親から受け取った愛情や正義感もじっくりと描かれる。

爆発、横転、炎上のオンパレード!15分間のノンストップアクション

「マッドマックス 怒りのデス・ロード」では、バイク集団によるチェイスや、フュリオサらが乗るウォータンクを中心とした攻防が疾走感たっぷりに映し出された。「マッドマックス:フュリオサ」でも爆発、横転、そして炎上のオンパレードは健在で、むしろ描写力は格段に進化。火炎放射器による攻撃や地面スレスレの危険シーン、グライダーを用いた敵との空中戦などが次々と繰り広げられるほか、白塗りの兵隊ウォーボーイズたちも期待通り、縦横無尽に動き回る。撮影期間78日、毎日200人のスタントを動員したという15分間にも及ぶ怒涛のノンストップアクションが展開される場面には、胸が熱くなること間違いなし。ウォータンクの後部にある秘密兵器にも注目だ。さらにフュリオサの背後から炎が迫る圧巻の場面や、拳のみを武器に相手と向かい合う直接対決も。ドラマを丁寧に描く脚本と、フュリオサの感情に従って必然的に生まれるアクションのバランスが美しく、一貫して放たれる彼女の眼力から逃れることができない。

唸り声をあげる兵隊ウォーボーイズ。ボスへの果てなき忠誠心と、バリエーション豊富な戦術が物語を盛り上げる。

唸り声をあげる兵隊ウォーボーイズ。ボスへの果てなき忠誠心と、バリエーション豊富な戦術が物語を盛り上げる。

「マッドマックス:フュリオサ」でもアクションの要となる真新しいウォータンク。後部には秘密兵器も。

「マッドマックス:フュリオサ」でもアクションの要となる真新しいウォータンク。後部には秘密兵器も。

2人の独裁者と“新たな戦士”、若きフュリオサを取り巻くキャラクター

フュリオサ役の交代も功を奏し、リーダーとしての貫禄を醸し出していたシャーリーズ・セロンから、幼い表情が残るアニャ・テイラー=ジョイへとバトンが渡ったことによって、闘争心にまみれた若きフュリオサの動物的な部分がより色濃く表現されるようになった。彼女の前に立ちはだかるのは、クリス・ヘムズワース演じる宿敵・ディメンタス将軍。狂暴で野卑、そして若干の父性も匂わす彼の存在が、無垢な少女を戦士フュリオサへと成長させる源となっている。そしてバイカー軍団を率いる彼は、シタデル砦でイモータン・ジョーと対峙。フュリオサは覇権を奪い合う2人の独裁者の対立の行方を左右する鍵となっていく。中盤には彼女に協力する“新たな戦士”も登場。マックスよりは少しおとなしめな彼とバディとなる経緯や、コンビネーション良好な銃撃アクションを繰り広げる場面にも心躍らされる。さらに前作で描かれることのなかったガスタウンや弾薬畑の全貌も明らかに。狂気と死に満ちた世界の仕組みが鮮明に浮かび上がる、ファン待望の前日譚となった。

クリス・ヘムズワース演じるフュリオサの宿敵・ディメンタス将軍(右)。中央には“新たな戦士”の姿も。

クリス・ヘムズワース演じるフュリオサの宿敵・ディメンタス将軍(右)。中央には“新たな戦士”の姿も。

故ヒュー・キース=バーンのあとを継ぎ、ラッキー・ヒュームが演じたイモータン・ジョー。

故ヒュー・キース=バーンのあとを継ぎ、ラッキー・ヒュームが演じたイモータン・ジョー。

ORIHARAがフュリオサを描き下ろし!
ORIHARAが怒れるフュリオサを描き下ろし!

コメント

前作である「Fury Road」を拝見してフュリオサという女性の強さ、脆さを感じ今作で彼女に芽吹く怒りや憎しみ、悲しみ、そして「Fury Road」という未来から【発芽】をテーマに制作を進めました。緑の地にとっての未来であり種であるフュリオサの新たな旅路を見届けるのがとても楽しみです。

プロフィール

ORIHARA(オリハラ)

Adoを筆頭にデジタル上に生きている人間のイメージディレクターを得意とする。現代のヘアメイクでありスタイリストである。イラストレーター面では妖しさ、美しさ、儚さなどの反面力強い眼や特徴的な影、仄暗さのある絵を得意とする。

「フュリオサ」の重層性がもたらす〈驚異の感覚〉

寄稿 / 高橋ヨシキ

優れた「続編」というものは、その元となる作品に対する批評として機能する部分が必ずある。なおここで「続編」というのは「正編より後に作られた作品」という意味であり、「マッドマックス:フュリオサ」のように、あるいは「ゴッドファーザー PART II」(1974年)のように、物語が「前日譚」であるかどうかは関係ない。

続編において批評性が重要となるのは、それが再び〈驚異の感覚〉をもたらすために必須だからだ。巷に溢れる凡百の続編が決定的に〈驚異の感覚〉を欠いているのは、批評性に背を向けているからに他ならない。理由は簡単で、「前作がヒットしたのだから、その路線を死守することこそが次なるヒットに結びつくはずだ」とか、「新しい領域に踏み込むことで、せっかく手にしたファンにそっぽを向かれたら困る」といったふうに、現状維持が第一目標になってしまうのである。それでは反復と、せいぜい要素の量的な拡大しか望めないわけで、いかにも退屈な続編映画が次々と誕生することになる。

「マッドマックス:フュリオサ」より、アニャ・テイラー=ジョイ演じるフュリオサ。

「マッドマックス:フュリオサ」より、アニャ・テイラー=ジョイ演じるフュリオサ。

ジョージ・ミラー監督はそのことに非常に自覚的なフィルムメーカーで、過去の「マッドマックス」シリーズにおいても、また「ベイブ 都会へ行く」(1998年)や「ハッピーフィート2 踊るペンギンレスキュー隊」(2011年)においても、常に単なる反復や量的変化を良しとせず、前作と異なる新たな領域を拓く続編作りの姿勢を示してきた。それは前作で「何が語られたか」ではなく「何が語られなかったか」に注目する鋭い批評眼のなせる技でもある(「何が語られたか」に引っ張られると、なかば必然的に続編は同語反復的にならざるを得ないだろう)。

さて本作は原題に「A Mad Max Saga」とあるように、「英雄伝説」や「叙事詩」の一部であることを非常に強く打ち出した作品だ。ジョージ・ミラーはもともと神話や伝説の体系に多大な興味を寄せている監督で、「40,000 Years of Dreaming」(1997年)というドキュメンタリー作品では自分の「マッドマックス」を含むオーストラリア映画の歴史そのものを神話的な物語構造の中に位置づけてみせたし、2022年の「アラビアンナイト 三千年の願い」では正面から「人間にとって〈物語〉はどのような意味を持つのか?」というテーマに挑んで瞠目すべき映画を作り上げた。本作は「サーガ」としての「マッドマックス」神話体系を(原題通り)決定づける作品だと言えるが、これまで以上に内容の抽象性は高まっている。それも当然で、ここで希求されているのは〈神話〉そのものに耽溺することではなく、〈物語〉が人間の可能性を引き出す力を認識することなのである。その点で本作は明白に「アラビアンナイト」とテーマ的に通底するもので、ここにきてミラー監督の作家性もより一層明確に示されることとなった。

「マッドマックス」シリーズの新作を9年ぶりに発表したジョージ・ミラー。(写真提供:Abaca Press / Reynaud Julien / APS-Medias / Abaca / Sipa USA / Newscom / Zeta Image)

「マッドマックス」シリーズの新作を9年ぶりに発表したジョージ・ミラー。(写真提供:Abaca Press / Reynaud Julien / APS-Medias / Abaca / Sipa USA / Newscom / Zeta Image)

「フュリオサ」はその重層性もまた驚愕に値する。表面的なストーリーはそれを総体として見る限りそれほど複雑ではないが、ひとつひとつのエピソードがそれこそフラクタル図形のように意味の入れ子構造となって相互に絡み合っており、そのことが〈驚異の感覚〉をより際立たせている。観客に突きつけられるのは無数の要約不可能なアンビヴァレンスだ。たとえば、これは絶望の物語なのか、それとも希望の物語なのか?というようなシンプルな問いかけすら本作には適用できない。幼くしてかどわかされたフュリオサは、過酷極まりない環境でサバイバルすることで「強く」なったのだろうか? あるいは「壊れて」しまったのだろうか? こうした全てについて、本作は「完全なイエスと完全なノーが矛盾なく同居することが可能である」という、ほとんど悟りにも似た感覚をもたらしてくれるが、それこそがまさに〈神話〉の持つアシッドな力である。

そういう作品だからこそ、本作の言葉に対するアプローチもまた極めてユニークなものだ。乏しい語彙しか持ち得ないウォーボーイズが、それゆえに単純な概念しか理解できない、というオーウェル的な問題提起は前作「怒りのデス・ロード」でも既に示されていたが、本作では語彙や言い回しの違いがそれぞれのキャラクターの精神性だけでなく、その行動原理や哲学を端的に表すものとなっている。〈物語〉とは、〈神話〉とは、「誰が、何を、どう言ったか/それを誰が、どう伝えたか」ということに尽きるのである。

フュリオサのセリフも非常に少なく、台本にはたった30行しかなかったという報道も。

フュリオサのセリフも非常に少なく、台本にはたった30行しかなかったという報道も。

まったくもって信じがたいことに、こうした全てがアポカリプス後の荒涼とした砂漠地帯の覇権を巡る狂気の戦いを通じて描かれる。我々は〈驚異の感覚〉に陶然としながら、人間の生を神話のうちに見るのである。

プロフィール

高橋ヨシキ(タカハシヨシキ)

1969年生まれ、東京都出身。雑誌を中心に、テレビ、ラジオ、インターネットなどメディアを横断して映画評論を行うほか、アートディレクターとして書籍の装丁、CD・DVDのパッケージデザイン、映画ポスターなども手がける。著作は映画評論集「悪魔が憐れむ歌」シリーズなど多数。2022年には初長編監督作「激怒」を発表した。