今回も“ワールド・イズ・マイン”を表現(柴﨑)
──山戸監督ならではのチャレンジングな演出も多く見られました。例えば、不自然なほどエキストラがいない場面があったり。
柴﨑 「溺れるナイフ」でも“ワールド・イズ・マイン”というか、自分たちだけの世界を描いていたから、今回もそれを表現したかったんでしょうね。
梅原 視野が狭くて未熟で自分たちの世界しか知らない。でも「その年頃はそれでいいんだよ」と言ってくれている感じがしました。「バカでいいんだ」というセリフもあるように、「そのままでいい」と背中を押してくれているような。
細谷 原作では社宅が舞台で、親同士のコミュニテイも狭いからもっと大変そうでしたよね。映画では初たちの話だけにうまく集約できて、大胆ながらも描きたいことがはっきりしている印象でした。
柴﨑 単なる「自分探しの物語」で終わらなかったのは、監督のセリフ力や言葉選びのうまさだと思います。特に、梓が初に尋ねる「心って、もっと、曖昧なものじゃないの?」という言葉が印象的。普通はこれぐらいの年齢では気付かない感覚だし、大人なセリフですよね。そのあとの「永遠に愛してるって思っても、次の瞬間、いらなくなっちゃう」という言葉も、怖いけどすごいセリフだと思いました。
──「21世紀の女の子」で山戸監督が手がけた短編「離ればなれの花々へ」の延長線上にあるような、セリフをたたみかける演出は見事でした。
細谷 肉体を通した躍動感のある言葉というのも、山戸監督ならではですね。「溺れるナイフ」ではバイクを走らせ、今回は疾走しながら。言葉だけなら文学作品でもいいんだけど、映像表現としての伝え方を追求しているんだと思います。それに若い役者たちの今しかない貴重な瞬間が切り取られて、フィクションだけどノンフィクションになっているんじゃないかな。
髙山 そうだよね。監督のやりたいことが現場でどんどんあふれてくるんだろうなって。大変だったと思うけど、役者さんたちのライブ感やセッションみたいなのが映像に凝縮されているなと。
梅原 序盤にある、駅の長回しシーンも必見です。「溺れるナイフ」では役者の素が見える姿を固定カメラで撮っていましたが、今回はまた全然違う。セリフの応酬と計画的な動きがカチッと合わさって、息つく間もない、それをやり切ったあと、タイトルロゴが出る。これは、一気に心つかまれました。また、衣装や音楽のこだわりも緻密で繊細です。すべて意味があると思うし、1つひとつ考えるのが楽しい。そういう映画的な楽しみ方も教えてくれる作品だと思います。
男性が女の子を理解するためのテキストにもなる(細谷)
──山戸監督は「たったひとりの十代の女の子へと、お手紙を書くように、この映画を撮りたいとずっと思っていました」とコメントされています。“たったひとりの女の子”にとって、この映画はどのように響くと思いますか?
梅原 カルチャーショックを受けるんじゃないですかね。10代の頃って、たぶんみんなそうだと思うんですけど、頭の中で「誰かに選ばれたい」って常に考えている。それなのに、「自分で選んでいい」とセリフを介して明確に言われたら、ハッとするんじゃないかと思うんです。
細谷 そうなったらいいですね。それに自分を好きになれるきっかけを絶対もらえるから、とりあえず観てって言いたい。そのきっかけになるシーンやセリフは人によって違うと思うけど、絶対に何か見つけられる映画だと思う。
柴﨑 共感だけじゃなくて、イライラしてもいいですよね。自分の中で揺さぶられて、今までなかった感情を持って帰れるはず。逆に男の人は、この映画を観てどう思うんだろう?
細谷 キャストに取材して印象的だったのは、堀さんが「自分の心も体も私だけのものなんだ」というセリフが好きだと言って。この映画は、1人の女の子がその感覚を獲得するまでの成長物語なんですよね。でも清水さんは「あのセリフ、正直言って男からすると当たり前のことなのでよくわからなかった」と言うんです。でも「そういう葛藤は男の本能としてわかりづらいから、この映画で知ることができてよかった」と話していました。
梅原 ああ、男性もその感覚をわかってくれるんですね。それはうれしいです。
細谷 うん。間宮さんも「この年代の女の子を傷付けると、一生の傷が残る。だから絶対に傷付けちゃいけないと改めて思った」とおっしゃって。もう、みんな優しみ!
一同 (笑)
細谷 だから、“女の子”ってまとめるのはよくないかもしれないけど、男性が女の子を理解するためのテキストにもなりそうな映画ですよね。
髙山 私は映画を観ている間、ずっと目が回る感覚で。だからアトラクションみたいにも楽しめるかも。デートで観に行ったら「あのシーンどういう意味だろう?」って会話が弾みそう。
柴﨑 女子同士でも絶対あれこれ盛り上がりますね!
2019年7月3日更新