進化する香港映画!世界市場への道を切り開く「Hong Kong Films @ Tokyo 2024」の模様をレポート / サモ・ハン、倉田保昭、谷垣健治の独占インタビューも (3/3)

“香港映画界の達人たち”サモ・ハン、倉田保昭、谷垣健治に直撃インタビュー
左からサモ・ハン、谷垣健治、倉田保昭

左からサモ・ハン、谷垣健治、倉田保昭

サモ・ハン インタビュー

──サモ・ハンさんが「一緒にやろう」と誘って1985年公開の「七福星」での共演が実現したそうですが、セミナーに一緒に登壇された倉田保昭さんはサモ・ハンさんにとってどういう存在でしょうか?

倉田さんは映画界の鬼才だと思ってます。普通のお芝居もうまいし、アクションもうまいし、難しい動きを自分が言っても彼は簡単にやってのける。広い映画界でもめったにいない素晴らしい人材だと思います。

サモ・ハン

サモ・ハン

──サモ・ハンさんが悪役を演じられて、谷垣健治さんがスタントコーディネーターを務めていた「SPL/狼よ静かに死ね」の撮影現場を取材したことがあります。あれから約20年が経って、谷垣さんがアクション監督を務めた「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」でもまたご一緒されました。香港映画界から見れば外国人である谷垣さんの活躍をどう感じていますか?

昔から香港映画界には人種や国境の壁みたいなものはありません。政治的なものも何もない。ただ実力さえあれば入れる、受け入れられる世界。彼にはその実力があったから受け入れられた、そういうことです。「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」では、健治さんが私の体のことを考慮してアクションを作ってくれたので、なんの苦労もありませんでしたよ。

取材に応じるサモ・ハン

取材に応じるサモ・ハン

取材に応じるサモ・ハン

取材に応じるサモ・ハン

──今後の香港映画界にはどういうことを期待しますか?

期待するとしたら、とにかく香港映画をもう一度ものすごく華やかだった頃に戻してほしいということ。やれるかどうかはもちろんわからないですが。香港映画の武術のエッセンスは今でも世界のトップだと思います。そこにAIやCGを使ってもいいと思っています。私は武道家としてやってきたので、自分の頭で考えて、自分の手足を動かして表現することを続けていくつもりですけどね。歳を取っても命懸けでやってますよ。

プロフィール

サモ・ハン

1952年1月7日生まれ、香港出身。俳優、武術家、アクション監督、映画プロデューサー、映画監督。10歳で中国戯劇学院に入学し京劇を学び、優秀な門下生たちで編成されたチーム「七小福」にジャッキー・チェンやユン・ピョウとともに選抜される。卒業後は映画業界に足を踏み入れ、子役として多数の作品に参加。1973年、ブルース・リーに声を掛けられ「燃えよドラゴン」に出演した。1977年に「少林寺怒りの鉄拳」で初監督と主演を兼任。スリラー、ホラー、コメディなどのジャンルを武術映画に取り入れ、香港アクション映画の創造的な方向性を広げていく。1998年にはアメリカのテレビシリーズ「L.A.大捜査線 マーシャル・ロー」に主演し、アメリカ国内に武術ブームをもたらした。そのほか代表作に「燃えよデブゴン」シリーズや「五福星」「香港発活劇エクスプレス 大福星」など。60年以上にわたる映画業界への貢献がたたえられ、2024年には香港電影金像奨で生涯功労賞を受賞した。

倉田保昭インタビュー

──サモ・ハンさんに会ったのは久しぶりなのでしょうか?

今年香港で会っています。行くと必ず会います。通訳もいないですから、お茶を飲んで、ちょっとおしゃべりをして、じゃあさようならって(笑)。ただメールで「おはよう監督」っていうのは毎日やっています。お互いに健康で変わりないということを確認するために毎日。去年ぐらいからは「一緒にやろうよ」と企画の話もしています。

倉田保昭

倉田保昭

──毎日というのはすごいですね。倉田さんにとってサモ・ハンさんは特別な人なのでしょうか?

メールはゴードン・チャン監督なんかともやってますけどね。でも、サモ・ハン監督とはもう知り合って54年ぐらいになりますし、尊敬していますよ。彼自身、香港でみんなに尊敬されている存在ですし。香港の映画界の人たちは、売れてる、売れてないとかは関係なく、皆がお互いにリスペクトしている。そういうところは何十年と変わらないですね。

──セミナーでも香港は特別だとおっしゃっていましたが、今でも香港の作品に出ることに対するモチベーションは高いですか?

そうですね。僕ら俳優にとってやりやすいんですよね。非常に自由でリラックスしていて楽しくて。緊張感なんてまるでない(笑)。NGを何回出そうがみんなで笑い合う。そういうところが僕に合ってますね。本番!静かに!というのにあんまりなじめない。

倉田保昭

倉田保昭

──これからの若い世代の俳優に対してどういう期待をしていますか?

若い人を見ていると、映画のためにアクションを習ったりしていますけど、順番は逆がいいんじゃないかと思うんですよ。それはアクションに限らずですけど、なんでもいいから自分の得意なもの、自慢できるものを持つ。僕の場合はそれが武術だったわけです。より長い目で見た目的意識を持って、まず自分の得意なものに取り組んでほしいと思います。

──倉田アクションクラブ出身の谷垣健治さんと一緒に登壇していかがでしたか?

ただただうれしいですね。谷垣が香港にいた頃、僕はよく冗談で「お前は優秀だけど、香港で日本人がアクション監督になるのは難しいんじゃないか」と言っていたんですよ。それを打破して、今はもう香港だけでなくアメリカ映画なんかもやっているんですから。彼の素晴らしいところは、情熱。僕のところに生徒でいた頃と今と比べてもアクションに対する情熱がまったく変わらない。それはもう才能ですよ。そういうところがすごいと思うし、人間としても素晴らしいと思いますね。

プロフィール

倉田保昭(クラタヤスアキ)

1946年3月20日生まれ、茨城県出身。日本大学芸術学部演劇科を卒業後、東映撮影所の研究生に。1967年、佐藤純彌監督作「続組織暴力」で銀幕デビューを飾る。1970年に香港のショウ・ブラザース社のオーディションに合格し、翌年「続・拳撃 悪客」で香港映画に初出演。活動の場を香港映画界に移し、1974年に「帰って来たドラゴン」を引っさげて日本凱旋を果たした。1976年に倉田アクションクラブ、1985年に倉田プロモーションを設立し、人材育成にも力を入れる。「七福星」でジャッキー・チェン、「セブンス・カース」でチョウ・ユンファ、「フィスト・オブ・レジェンド」でジェット・リー、「レジェンド・オブ・フィスト 怒りの鉄拳」でドニー・イェンと共演。1989年には自ら企画、原案、プロデュース、アクション監督、主演を担った「ファイナル・ファイト 最後の一撃」を発表した。2017年には中国映画「戦神 ゴッド・オブ・ウォー」で第24回香港電影評論学会大奨の最優秀男優賞を受賞。著書に「和製ドラゴン放浪記」がある。

谷垣健治インタビュー

──サモ・ハンさん、倉田保昭さんという大ベテラン2人とセミナーに登壇していかがでしたか?

光栄なことです。冗談じゃなく2人ともアクション映画の神様。本当に僕はあの人たちのアクション映画を観て育ってきたので、今日は「ファンの代表のような視点も持ったプロフェッショナル」として臨んだという感じです。

谷垣健治

谷垣健治

──今の香港アクション映画界はどういう状況だと感じていますか?

正直よくはないですね。昔と違ってアクション映画が常に作られているわけじゃないので。アクションの大作というと中国に行ったり、海外に出たりするので、香港ローカルで撮るアクション映画というのは少なくなっています。香港映画全体だと「毒舌弁護人~正義への戦い~」で興収1億香港ドルを超えたりとヒット作は出ているんですけど、近年ヒットしているのはアクションのない、いわゆるドラマ映画なんですよね。コメディとか。そういう中で今年「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」が大ヒット(香港で広東語映画作品として歴代1位の動員数を記録)したのは大きかったです。でも1つじゃ足りない。そういうのが年に5~6本作られないと新たなトレンドは生まれないと思うんですよ。昔のサモ・ハンさんの時代だと新作を撮るたびに記録が更新されていく感じだったじゃないですか。ああなってほしいので、「九龍城砦」がきっかけになって香港でいろんなアクション映画が作られるようになったらいいなと思います。

──アクション監督を務めた「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」ではどういう手応えを得ましたか?

2年前に撮った作品なので不思議な感じです。この前香港に行ったとき、タクシーの運転手さんが「ケンジさん? 『九龍城砦』面白かったよ!」と話しかけてきて、ああこんなに浸透してるんだなあと感じました。一種の社会現象ですね。もともとは「ALWAYS 三丁目の夕日」のような世界観に「HiGH&LOW」みたいなアクションがあったら面白いかも、ぐらいに考えてたんだけど、撮っているうちにマンガ的なアクションにしようと監督のソイ・チェンと話して変えていきました。「るろうに剣心」シリーズで、リアルとマンガの中間点を目指すというのは経験もありましたから、それをうまく生かせたと思います。

──サモ・ハンさんらベテラン勢だけでなく、フィリップ・ン(伍允龍)、テレンス・ラウ(劉俊謙)といった比較的若い俳優たちも出演していましたが、いかがでしたか?

熱意のある、気持ちのいい役者ばっかりだったんですよ。アクションをやったことない人もいましたが、だからこそそれをカバーするようなエネルギーでアクションをやってくれました。これがイップ・マンとかウォン・フェイフォンみたいな「達人」の役だったら難しいかもしれないけど、ストリートの若者たちという設定ですからね。彼らが特別な熱量を持ってアクションに臨んでくれることが役柄としては正解になった。コロナ期間中だったので撮影現場とホテル以外行くところがなくてよくも悪くも集中できたのもよかったのかもしれないですね。役者からアイデアをもらうこともあって、最後にフィリップ・ンが反撃されるシーンはテレンス・ラウのアイデアを僕と監督が「それいいね!」と拡大解釈して作りました。そういうチームワークというか、コミュニケーションのできる現場でしたね。

谷垣健治

谷垣健治

──そういう熱量があれば香港のアクション映画がまた盛り上がっていきそうですね。

チャド・スタエルスキ(「ジョン・ウィック」シリーズ)と「アメリカでは1990年代はカメラマンが監督になるのが流行って、2000年代はMTVの人が監督になるのが流行った。2010年代以降はアクション監督出身の人間が監督になる例が多い。それは当然でアクション映画のアクションシーンは実際俺らが監督してるんだから」という話をしたことがあるんですけど、アメリカでもアクション監督が力を持つようになって、カメラの操作も編集もするようになっている。図らずも香港の撮影システムに近付いているんですよね。香港における香港映画の環境もよりよくなってほしいですが、世界的には香港映画の影響は広がっていっていると言えるんじゃないかと思います。

プロフィール

谷垣健治(タニガキケンジ)

1970年10月13日生まれ。奈良県出身。 1989年に倉田アクションクラブに入り、1993年単身香港に渡る。香港スタントマン協会(香港動作特技演員公會)のメンバーとなり、ドニー・イェンの作品をはじめとする香港映画にスタントマンとして多数参加。2001年にドイツのテレビシリーズ「SK Kölsch(原題)」でアクション監督デビュー。2018年台湾の金馬奨にて「邪不圧正」(日本未公開)で最優秀アクション監督賞、2022年には香港の金像奨にて「レイジング・ファイア」で最優秀アクション監督賞を受賞した。主なアクション監督作品に「るろうに剣心」シリーズ、「G.I.ジョー:スネークアイズ」「シャクラ」など。「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」は2025年1月17日に全国で公開される。現在は自身の監督最新作「The Furious(原題)」を制作中。