「香港パビリオン」セミナーレポート
「Hong Kong Films @ Tokyo 2024」の会期2日目、10月31日には著名な映画人たちの登壇イベントが開催された。ここでは「香港パビリオン」による2つの特別セミナーの模様をレポートする。
⾹港-アジア映画共同製作助成制度受賞プロジェクトの成功事例紹介
参加者
- スタンリー・クワン(関錦鵬 / 映画監督・プロデューサー)
- 松永大司(映画監督)
- ジュン・リー(李駿碩 / 映画監督・脚本家)
- 古賀俊輔(プロデューサー)
- ヴィンシー・チュク(卓韻芝 / 映画監督・脚本家)
本セミナーには、香港映画育成ファンド「香港-アジア映画共同製作助成制度(HK-Asian Film Collaboration Funding Scheme)」で受賞し、約900万香港ドル(約110万米ドル)の助成金を獲得した映画2作品の製作チームが参加。「酒色男女」(洋題:All the Things We Have Done Wrong That Led Us to This)をプロデュースするスタンリー・クワン、監督を務める松永、脚本家のジュン・リー、そして「38.83」をプロデュースする古賀俊輔、監督および脚本を担当するヴィンシー・チュクが、香港と日本の映画共同制作で直面するであろう課題や戦略について議論を交わした。
ジュン・リーいわく「酒色男女」は香港人と日本人の恋物語。ジュン・リーが英語でシナリオを執筆し、松永と意見交換しながら練り上げていったという。「ルージュ」「ロアン・リンユィ 阮玲玉」などの監督として知られるスタンリー・クワンは「主役2人が魅力的で、エンディングも涙がにじむぐらい感動しました」と脚本を絶賛する。
「エゴイスト」のヒットが記憶に新しい松永は「酒色男女」の撮影を来年に控える今、「映画作りにおいてプロデューサーと脚本家の存在は大きい。昔からスタンリーさんの映画に惹かれてきたので、先生のような方にプロデューサーになってもらえた感覚です。香港映画で観てきた景色の中に立ったとき、どんな景色が撮れるんだろうとわくわくします」と合作への期待をあらわに。一方で「文化の違う人たちと映画を作るのは大変」とも切り出し、「アジアの素晴らしいフィルムメーカーたちと出会い、新しい可能性を探していきたい。今回みたいに最初からスタンリー・クワンさんと組んだりするのは難しいけど、こういう映画の作り方もあるんだと示していかなければならない。新しい可能性を見出すことが、自分の世代がやらなければならないことの1つ」と決意を新たにした。
香港映画「離れていても」でスタンリー・クワンと共同プロデュースの経験があり、「香港の流れ者たち」の監督も務めたジュン・リーを、松永は「ジュンは助成金の制度とかに詳しくて本当にすごい」と称賛。「日本のフィルムメーカーは僕も含めてもっと勉強したほうがいい。映画作りにはお金が絶対必要なので。資金を集めて、映画を作って、お金を生み出すという構図は無視できない。このプロジェクトは僕にとって大きな挑戦ですし、今回に限らずこういう試みを続けていきたい」と語る。ジュン・リーは「『酒色男女』は15年にわたる長丁場の物語。こんなにまっすぐなラブストーリーは私だけではいちから書けませんでした」と共同作業の楽しさに声を弾ませ、「ストーリーは日本と香港、そして第3の場所も大きく絡んできます。ヨーロッパやアジア地域から協賛者・企業を探している最中ですので、引き続き資金集めをしていきます」と状況を報告した。
ヴィンシー・チュクは「38.83」について、自身と祖母の関係性を題材にした作品だと説明。「祖母との物語を映画にできるのは、私の人生において重要なマイルストーン。祖母とは日本で何度も一緒に旅をしました。2人とも平凡な性格ではなく、価値観がすれ違うこともありますが、多くを学び合ってきました。このように異なる世代の人と温かみのある関係性を築けるのは、社会において貴重なことでは」と祖母への愛情をのぞかせる。
「今日の空が一番好き、とまだ言えない僕は」など数多くの作品にプロデューサーとして携わってきた古賀は、日本での撮影について「なかなかロケの許諾が下りないし、クレームもたくさん来る(笑)。それをどうやって切り抜けるか、作り手側のノウハウが必要になってきます」とアドバイス。「でも各地域にフィルムコミッションがあるのでロケハンがしやすい。昔は足で一生懸命探し回りましたが、今は写真や動画を提供してもらえるので、現地へ行く前にイメージをつかめます」と利点も挙げた。さらに合作における課題点を「国が違えば育ち方も学び方も違う。映画に限らずどんな業界でも、掛け違いがたくさん起きると思います。でもそれは重要なこと。いいところだけ採用して、それをアジアの撮り方として成立させられたらいい。お互い新しいチャレンジに挑むのはハードルが高いが、それを越えるためのスタッフィングや仕組みを整えていくのが我々の立場です」と語り、来年の撮影に向けてこれから本格始動することを伝えた。
観客からの質問コーナーでは「日本映画界において海外合作の成功例を積み重ねてこられなかった要因は?」との問いが投げかけられる。古賀は「日本は新人を育てず、回収目的の利益しか生み出してこなかった。そこには投資か出資かという海外との考え方の違いがあると思います。日本の製作委員会方式は、自分たちのビジネスのために出資するというやり方。今後は投資という概念を持った仕組みを作っていければ」と持論を述べる。スタンリー・クワンは「脚本が一番大切な要素。無理に合作を目指すのではなく、自然な形での協力が重要です。文創産業発展処(CCIDAHK)が提供する資金は、香港の若手監督の創作を促すためのものです」と付け加えた。
カンフー映画の過去・現在・未来:伝統の探求と未来への展望
参加者
- サモ・ハン(洪金寶 / 俳優、武術家、アクション監督、映画プロデューサー、映画監督)
- 倉田保昭(武術家、俳優)
- 谷垣健治(アクション監督、映画監督)
本セミナーでは、香港アクション映画界の巨匠サモ・ハンとともに、俳優の倉田保昭、アクション監督の谷垣健治が、武術映画の進化やさらなる創作の可能性を切り開くトークを繰り広げた。
「燃えよデブゴン」シリーズや「五福星」「プロジェクトA」「SPL/狼よ静かに死ね」「イップ・マン 葉問」などで知られるサモ・ハン。俳優から武術指導、監督、プロデューサーへとキャリアを広げ、香港映画界のスターの1人として多大な功績を残している。幼少期から京劇や武道の修行を積み、多くの作品に携わってきたサモ・ハンは「さまざまな師匠たちに育ててもらい、ここまで進んできました。私が唯一恩返しできるのは努力。それしかありません」と自らの歩みを振り返り、さらに「香港の武術のエッセンスは世界でナンバーワン。これは否定できない」と胸を張る。一方で、アクションのエキスパートたちが報われない時代を経て、アクションチームに映画賞を与える部門が生まれてきたという業界の変遷にも触れ、「賞の有無にかかわらず武術家やフィルムメーカーたちは一生懸命です。すべてのカンフー映画やアクション映画を製作している皆さん、武道家の皆さん、アクション指導している皆さんの貢献がリスペクトされないといけません」と念を押す。
倉田は数多くの香港アクション映画に出演し、「七福星」でサモ・ハンやジャッキー・チェン、「セブンス・カース」ではチョウ・ユンファと共演。初めて香港映画に出演した1970年代に思いを馳せ、「武術をメインにした映画がこんなに作られているとは。ここはすごいところだなとびっくりしました」と振り返る。「なんでこんなアクションばかりやっているんだろう?とだんだん不思議になってきました(笑)。NGが出ると30回以上撮り直すこともありますし。でも、それだけ徹底しているということ。ごまかしはない」と現地の制作現場で刺激を受けたことに言及し、「78歳の私が今でも現役でいられるのは香港アクションを身に付けたからだと思います」と深い感謝を示した。また1970年代に香港映画で活躍したのち、日本に戻るも仕事がなかなかもらえなかった頃、サモ・ハンやジャッキー・チェンに「俺たちとやろうよ」と誘われて「七福星」への出演が決まったことも述懐。「そのときに『香港でもう一度勝負したい』という気持ちが湧いてきました。本当に香港さまさまです」と力を込めた。
単身で香港に渡って経験を積み、「るろうに剣心」シリーズのアクション監督をはじめ国内外の作品に携わる谷垣は、このたび第37回東京国際映画祭で日本初披露された香港の大ヒット映画「トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦」でもアクション監督を務めた。同作にはサモ・ハンも出演しており、谷垣は「よく兄貴(サモ・ハン)に言っていたのは『(同作のアクションは)その1つひとつの要素はご自身が昔作ったアクションのアレンジですよ』って(笑)。やっぱり感覚として体の中に刻まれているんですからね。子供の頃から」「結局、海外のどの制作現場に行っても、みんなあの頃の香港映画から影響を受けているんです。カンフー映画は、世界中どの国にもあるチャイナタウンみたいな感じ。サモさんは全世界に影響を及ぼし続けてきたんです」と敬意をあふれさせる。
Q&Aコーナーでは、この貴重な機会に客席から多くの質問が寄せられた。「若い世代に観てほしいアクション映画は?」というリクエストには、サモ・ハンが「ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー」「ペディキャブ・ドライバー」「おじいちゃんはデブゴン」を挙げる。倉田は自身の印象深い作品として「七福星」をはじめ、ジェット・リーと共演した「フィスト・オブ・レジェンド」、“今は亡き親友”コリー・ユンが監督した「クローサー」と回答。谷垣は「1970年代なら『少林寺VS忍者』、1980年代なら『ユン・ピョウ in ドラ息子カンフー』、1990年代なら今日の気分では『酔拳2』。2000年代以降なら『トワイライト・ウォリアーズ 決戦!九龍城砦』を観てください!」と答えた。
映画のストーリーとアクションの見せ方についての質問には、谷垣が「監督のやりたいことをアクション面において具現化するのが僕らの仕事なので、僕ら(アクション監督)はその中でどうやってさらに面白くするか注力するだけ。ストーリーに則しながらも観客の印象に残るアイキャッチングなアクションをプラスできれば」と説明。さらに「るろうに剣心 伝説の最期編」のクライマックスの戦闘シーンが1対4だった理由を問われると、「大友啓史監督が『プロジェクトA』の1対3を超えるには1対4だと言ったので」と裏話を明かした。
そして「香港映画をより世界で輝かせるために私たち(ファン)ができることは?」という質問も。サモ・ハンは「香港映画のチケットを買って観てください。これが一番簡単な方法です。1人10枚買って、映画館を貸し切りの満席にしてください(笑)」と茶目っ気をのぞかせながら繰り返し呼びかけ、「観客の支持なしに私たちは輝けません。引き続き創作できるように支えてください」と願いを込めた。