復讐の果て、脳裏にこびりつく世にもおぞましい最後の景色 娘はなぜ、誰に殺害されたのか──。柴咲コウ×黒沢清「蛇の道」の不穏な魅力

「蛇の道」

「最高傑作ができたかもしれない」。「CURE/キュア」「回路」「岸辺の旅」「スパイの妻」を監督してきた黒沢清が自らそう語る映画「蛇の道」が、6月14日に全国で公開される。世界中の映画ファンから熱い視線を浴びる黒沢は、1998年公開の同名映画を全編フランスロケでセルフリメイク。新たに柴咲コウを主演に迎え、愛娘を何者かに殺された男と、偶然出会ったパリで働く日本人女性の“徹底的復讐”を描く。本特集では物語を彩る6人のキャラクターと、映画の見どころを解説。さらに“心を殺した復讐”という視点から「蛇の道」とあわせて観てほしい3本の映画をピックアップした。

文 / 奥富敏晴

映画「蛇の道」予告編公開中

僕の娘だ。殺された
マリー・バシュレ 8歳
セナールの森で遺体発見
死後約1週間経過
全身に16カ所の刺し傷
右手首と左手中指を骨折

娘を殺したのは誰…?真実が揺らぐ6人の肖像

新島小夜子(柴咲コウ)
新島小夜子柴咲コウ
パリで働く日本人の心療内科医。娘の死のショックで心を病んでいたアルベールに声を掛けたのをきっかけに、彼の復讐を手助けすることに。アルベールに親身なようでいて、どこか本心が見えない。
アルベール・バシュレ(ダミアン・ボナール)
アルベール・バシュレダミアン・ボナール
娘が殺された現実を受け止められず、復讐に駆り立てられる男。小夜子に言われるがまま拉致監禁した男たちには、執拗に生前の娘の映像を見せ、その遺体の状態と死因を淡々と説明する。
吉村(西島秀俊)
吉村西島秀俊
異国で暮らすストレスからか、精神的な要因とみられる頭痛、めまい、吐き気で小夜子のもとに通う日本人。うつろな表情で小夜子の診断に従うが、薬はまったく効かない。パリでの任期は残り2年。
宗一郎(青木崇高)
宗一郎青木崇高
何かしらの理由で小夜子と離れ、日本で暮らす夫。ときどきリモートでビデオ通話をし、2人だけの夫婦の形を模索している。別居にも理解を示すが、内心、小夜子には日本に帰ってきてほしいと思っている……?
ティボー・ラヴァル(マチュー・アマルリック)
ティボー・ラヴァルマチュー・アマルリック
人身売買のうわさがある児童福祉団体・ミナール財団で、かつて会計係として働いていた。小夜子とアルベールによって最初に拉致監禁される男だが、娘の死にどこまで関わっているかは不明。
ピエール・ゲラン(グレゴワール・コラン)
ピエール・ゲラングレゴワール・コラン
ラヴァルが名前を口にした、ミナール財団の陰の実力者。「ゲス野郎」と呼ばれるほどの危険人物らしいが、今は山で静かに隠遁生活を送っている。小夜子のことを「マドモアゼル(お嬢さん)」と呼ぶ。
生活反応あり  腹部と頭部に著しい損傷
複数の創傷と皮下出血
死因は広範囲にわたる出血
脳髄の3分の1を喪失
臓器の80%が摘出され
顔は原型をとどめず
歯型により本人と確認

リメイクではなく(恐るべき)完全版

まるでわからない。
何が真実なのか…不安に満ちた113分

娘の死に関与した財団の関係者たちを拉致・監禁する“徹底的復讐”は、本当にどこまでも真実がつかめない。アルベールと小夜子は「え、そこで拉致して大丈夫?」とこちらが心配になるほど、周囲に人がいる環境下で白昼堂々と拉致を実行。しかも、それを気に留める様子はみじんもない。犯罪のリアリティを超越した不可解な言動の数々に、観客は慌て、戸惑う。パリ郊外にある巨大な廃墟に拘束される男たち。彼らの証言は二転三転し、自分が助かるために口にした嘘、ただの言い訳のようにも聞こえる真実が入り乱れ、新たな事実をつかんだと思ったのも束の間、スルスルと手をすり抜けていく。そして愛娘を襲った陰惨な事実のみが、アルベールの口から何度も繰り返される不気味さ。娘は誰になぜ殺されたのか? 人身売買のうわさは本当なのか? この男たちは犯人なのか? いったい小夜子が手助けする動機はなんなのか? 復讐というシステムに絡め取られた人々が最後に見る景色は、私たちの脳裏にもこびりつく世にもおぞましい決定的な瞬間……! 何を信じたらいいか、右往左往する不安に満ちた113分。

柴咲コウ演じる新島小夜子。

柴咲コウ演じる新島小夜子。

ダミアン・ボナール演じるアルベール・バシュレ。

ダミアン・ボナール演じるアルベール・バシュレ。

「バトル・ロワイアル」を超えた!
獰猛な柴咲コウの存在感

黒沢清たっての希望で起用され、全編ほぼフランス語での撮影に挑んだ柴咲コウ。近年「ミステリと言う勿れ」「君たちはどう生きるか」など話題作に立て続けに出演している彼女だが、かなりミステリアスで物静かな小夜子役のオファーは「なぜ私に?」と監督に直接尋ねるほど意外だったという。しかし、徐々に本心が垣間見える小夜子のキャラクター、そしてフランス語での挑戦に惹かれ、主演を引き受けた。動機や目的を見せないまま、復讐をサポートしていく小夜子。その行動には一切の迷いがなく、黒沢も「柴咲さんの動きがすごい。獰猛です。『バトル・ロワイアル』を超えたんじゃないか。肉体のものすごさ。必見に値します」と絶賛する。一方、時折見せる慈愛に満ちた表情や夫と話すときのうつろな目が、小夜子という存在の謎をますます深めていく。柴咲が容赦なく同級生を殺していく中学生を演じた「バトル・ロワイアル」から24年、蛇のような目つきをした新島小夜子の危険な魅力に満ちた傑作が誕生した。

柴咲コウは撮影の1カ月ほど前からパリに滞在し、体を現地になじませたという。

柴咲コウは撮影の1カ月ほど前からパリに滞在し、体を現地になじませたという。

小夜子にはアルベールの心身を気遣うような一面も。

小夜子にはアルベールの心身を気遣うような一面も。

黒沢清はセルフリメイクを即決
「最高傑作ができたかも」

オリジナルの「蛇の道」は、「リング」で知られる高橋洋の捻りの効いた脚本、撮影を担った田村正毅による殺伐とした映像によって、言いようのない人間の狂気と複雑さを描き出した1作。フランスの制作会社CINEFRANCE STUDIOS(シネフランス・スタジオ)から「自作で何かリメイクを」と打診された黒沢は「蛇の道」と即決し、日仏共同製作として自身初のセルフリメイクをする運びとなった。オリジナル版との大きな違いは、舞台が東京からフランスのパリに、主人公が男性の塾講師から女性の心療内科医に変わった点。ヤクザ映画のスターとして名を馳せた哀川翔の強烈な魅力に対抗する存在として、黒沢がその鋭い目つきに惹かれたという柴咲コウに白羽の矢が立った。「リメイクではなく完全版」とは、黒沢が演出メモに書き記していた言葉。高橋洋が生み出した秀逸な脚本の魅力はそのままに、“異国に生きる日本人女性”という新たな人物像がさらなる深みをもたらす。黒沢自ら「最高傑作ができたかもしれない」と語った、恐るべき渾身のリベンジサスペンス。

「蛇の道」撮影現場より、柴咲コウ(左)と黒沢清(右)。

「蛇の道」撮影現場より、柴咲コウ(左)と黒沢清(右)。

小夜子たちの手によって監禁される男たち。

小夜子たちの手によって監禁される男たち。