LicaxxxとSYOは新たな青春映画の誕生をどう観たか?新しさと懐かしさが入り混じり心に突き刺さる「HAPPYEND」特集

「Ryuichi Sakamoto | Opus」などで知られる新鋭監督・空音央の長編劇映画デビュー作「HAPPYEND」が10月4日に全国公開される。決して遠くないXX年後の日本を舞台とした本作は、友情の危うさを描いた青春映画だ。オーディションで抜擢された栗原颯人と日高由起刀が主人公のユウタとコウを演じ、スクリーンデビューを果たした。

映画ナタリーではDJやビートメイカーとして活動するLicaxxxと、映画ライター・SYOによるレビューで本作の魅力を深掘り。2人は新たな青春映画の誕生をどう観たのか? さらに德永明子が映画の世界観を切り取ったイラストにも注目してほしい。

構成 / 金子恭未子レビュー / Licaxxx、SYOイラスト / 德永明子

青春映画「HAPPYEND」予告編公開中

STORY

決して遠くないXX年後の日本、多種多様な人々が当たり前に暮らすようになっている一方で、社会には無関心が蔓延し、むやみやたらに権力が振りかざされている。そんな中、幼なじみで大親友でもあるユウタとコウは、音楽を楽しみ、悪ふざけに興じる日々を過ごしていた。ある晩、2人は学校に忍び込み、とんでもないいたずらを思い付く。それが四六時中生徒を監視するAIシステムを導入する騒ぎにまで発展。この出来事をきっかけに、コウは自らの将来やアイデンティティについて深く考えるようになり、楽しいことだけをしていたいユウタとの友情が揺らいでいく。

德永明子が「HAPPYEND」の世界を描き下ろし

プロフィール

德永明子(トクナガアキコ)

イラストレーターとして挿絵、キャラクターイラスト、マンガ、宣伝美術などを手がける。オリジナルキャラクター「あかるいねこ」の作者。映画が好き。

Licaxxx レビュー

みんな誰かとすれ違っている、だからみんなの心に刺さる

「HAPPYEND」場面写真

「HAPPYEND」場面写真

友達と言っても、仲がいい理由はそれぞれで、抱えている事情や、趣味趣向は違う。学校が一緒だから仲のいい子、共通の趣味があるから仲のいい子は、それぞれ話せる内容も異なる。でもあるときまでは、受験だ、恋愛だ、といったよくある話題しか自分の周りになくて、友達との間に距離を感じることもない。

そんな中で中学生や高校生の頃、学校の授業で聞いていた社会の話が、実は自分に直結していたことに気付くことがあると思います。教科書の中のことが自分ごととして降り掛かってくる。でも学校で教えてくれるのは概要だけで、社会とどう向き合うべきなのかは教えてくれない。そういった壁にぶち当たったとき、そしてそこで生まれる友達とのギャップが「HAPPYEND」ではとてもリアルに描かれています。

だんだん世の中が見えてきて、社会とつながったときに、じゃあ自分のこの小さな世界はどうするのか? そんな中で生まれてくる感情が、この作品の注目すべきポイントだと感じました。

ユウタとコウに生まれるギャップは誰しも身に覚えがあると思います。彼らの友情が変化していく様子は特別なことではなく、あるある。私はどちらの立場も経験しました。高2の夏から受験に本気を出す派と高3春から本気を出す派とか、そんなレベルのことで、みんなじんわりと誰かとすれ違っている。もちろん大人になったって気まずいすれ違いはあります。文化や映画の話はすごく合うのに、一歩踏み込んで社会の問題について話してみると立場がまったく違ったり。それは友達でも同業者でも。だから親友2人の関係性はみんなの心に刺さるものがあるんじゃないかと思うんです。

今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ(栗原颯人 / 左)と自身のアイデンティティ、社会に対する違和感について深く考えるようになったコウ(日高由起刀 / 右)。2人は次第にぎくしゃくしていく。

今までと変わらず仲間と楽しいことだけをしていたいユウタ(栗原颯人 / 左)と自身のアイデンティティ、社会に対する違和感について深く考えるようになったコウ(日高由起刀 / 右)。2人は次第にぎくしゃくしていく。

劇中で特に印象に残ったのは、ユウタとコウの友情が変化したことがわかる歩道橋のシーン。そしてなんでもない会話と芯を食った会話が混ざり合った2人のやり取りです。人と人の距離感の撮り方がうまいので、映画を観ていると実際に自分もその世界にいるような気になる。だから、目の前で見ているかのように、変化していく友情を感じることができます。

映画の舞台は、私たちが想像できるぐらいの近い未来。現代ではなく、近未来だからこそ、より物語を自分ごとのように感じられる気がしました。SF作品を観ているときにも感じますが、自分とちょっと違う世界の物語だからこそ、逆にテーマが自然に入ってくることってありますよね。非現実とも言えない未来という設定が私はお気に入りです。シンセサイザーを使った音楽は、1990年代のSFを想起させるような気になるアンビエント。レトロフューチャー的でかっこいい。

「HAPPYEND」では決して遠くはない未来を舞台に、我々の生活と地続きの世界がユーモラスかつシニカルに描かれる。

「HAPPYEND」では決して遠くはない未来を舞台に、我々の生活と地続きの世界がユーモラスかつシニカルに描かれる。

そして瑞々しさにあふれた作品の雰囲気と、デビュー作でしか出すことができないだろう主演2人のパッション、初々しさがマッチしている点も注目です。きっと監督も2人も、今後いろんな作品に携わることになると思います。何年後かにこの作品を観ると、何か感じるものがあるのではないでしょうか。

私はいろいろな映画が世の中に存在している必要があると思っています。そんな中で、鏡みたいに現実を見せてくる映画が好きです。高校生のときに衝撃を受けたのは押井守の「機動警察パトレイバー2 the Movie」。何年も前に作られた作品なのに、“今”のことが語られていた。

「HAPPYEND」も何年後かに観返したとき、「まだ今のことを描いているよ」と感じるような、味が出てくるような、そんな映画になっていくのではないかと思います。だから“いつでも”観てほしい作品。

政治的な考えをSNSで発信しなきゃいけない、“しなきゃいけない”はおかしい、でも発信しないのも微妙だし──そんなふうに、ちょっともやっとしている人たち、そして高校生や大学生に届いてほしい映画です。

Licaxxx

Licaxxx

プロフィール

Licaxxx(リカックス)

1991年12月25日生まれ、東京都出身。2010年にDJとしての活動をスタートさせて以降、FUJI ROCK FESTIVALなど日本国内の大型音楽フェスや、CIRCOLOCO@DC10などヨーロッパを代表するクラブイベントに出演を果たす。ビートメイカー、編集者、ラジオパーソナリティと活動は多岐にわたり、ビデオストリームラジオ「Tokyo Community Radio」を主宰。若い才能に焦点を当て、日本のローカルDJのレギュラー放送に加え、東京を訪れた世界中のローカルDJとの交流の場を目指している。

SYO レビュー

独創的なのに懐かしく、現実感の向こうに未体験のエモーションを掻き立てる

栗原颯人演じるユウタ(左)、日高由起刀演じるコウ(右)。

栗原颯人演じるユウタ(左)、日高由起刀演じるコウ(右)。

いい映画とは何だろう? 私見だが、その判断基準には現実との距離感が関係しているように思える。日常を忘れて没頭させてくれる娯楽大作も、いまを照射して傷心に寄り添ってくれる小品も、どちらも観客が生きる現実を把握したうえで様々な効能をもたらすように作られている。逆に言えば、現実を無視した作品はやはり我々の心に響きにくい。その中に、居場所を感じられないからだ。そうした意味では、新鋭・空音央の長編劇映画初監督作「HAPPYEND」は疑いようのないほど突出した“いい映画”に違いない。2020年代を生きる私たちが日々感じているであろう恒常的な不安──リアルな心を見事に掬い取りながら、「わかる」と「観たことない」が融合した斬新な設定×卓越したセンスに裏打ちされた映像&音楽表現で冒頭から末尾まで観る者を魅了し続ける。

しかも、本作にビビッドに込められた「時代の気分」と「私たちの想い」は決してドメスティックなものではなく、国や地域を越えて共感を呼び、響き渡るものだ。第81回ヴェネツィア国際映画祭のオリゾンティ・コンペティション部門にて迎えたワールドプレミア上映を皮切りに、第49回トロント国際映画祭・第62回ニューヨーク映画祭・第29回釜山国際映画祭への正式招待が続々と決定しているのが、その証左だろう。百年に一度の大地震がいつ来るかわからない不安を抱えるXX年後の日本を舞台に、とある高校とその周辺で起こる「AIによる監視システムの導入」「政治への不満から徐々に高まるデモの機運、比例してエスカレートする思想統制」「国力の低下と外国人の排斥意識」「経済格差の深刻化」といった“事件”の数々は、一つとして他人事ではない。いままさに、日本をはじめ世界各地で起こっている諸問題の延長線上にあるからだ。

ただ、本作は現実を鋭く見つめながらも物語的な“面白さ”を諦めない。これらの事件を前提として、物心つく前からの幼なじみで親友のユウタ(栗原颯人)とコウ(日高由起刀)の心にどんな変化が生まれ、どう生きようとしていくのか──普遍的な青春映画としての“成長”のドラマを繊細に描き出すのだ。ユウタは現実への諦めから享楽主義に走り、理不尽な権力者たちへの怒りが募るコウは距離を感じ始め、仲間たちも一人ずつ別々の進路を選択していく。高校生を主役に据えた作品の常套句である恋愛モノやスポ根モノとは一線を画し、「警察が市民にスマホを向けてデータ照会する」「速報ニュースを雲に投影する」等のSF的な設定を採り入れつつも、永遠に“このまま”ではいられない青春の儚さ、その芯を的確に捉えているバランス感覚が絶妙だ。

「HAPPYEND」場面写真

「HAPPYEND」場面写真

かつ、近未来が舞台といっても徒に派手な表現に走ることなく、「黄色のスポーツカーが中庭に直立している」といった“これぞ”というキラーカットに絞り、いまある現実風景を構図やカメラワーク、色調や陰影等の工夫を凝らして目を引くように見せている点も上手い。例えばオープニングカットは暗闇の中に無数の赤い光が明滅する→輝度が変化し、ビルの航空障害灯とわかるといった技ありの内容で、ユウタとコウたちが電車と並走するカットはロケーションの妙を感じさせ、一時停止してタイトルを表示させる演出はスパイク・ジョーンズ監督の「かいじゅうたちのいるところ」などにも見られるちょっと懐かしいもの。劇中に「新しさはもうないから昔の名作を探す」といったようなセリフが登場するが、最新鋭のワイヤレススピーカーやコギャル風のY2Kファッション、岡林信康の「くそくらえ節」などデバイス、ファッション、音楽に至るまで様々な年代や文脈を混合させたミックスカルチャー的な要素が際立っている。しかし雑多に散らかっていないのは、そこに強固な美学と物語上の必然性が感じられるから。全ての要素が“ありえるかもしれない近い将来”へと集約していくのだ。冒頭に述べた点ともリンクするが──独創的なのに懐かしく、現実感の向こうに未体験のエモーションを掻き立てる「HAPPYEND」。新時代の“いい映画”をぜひ劇場で目撃していただきたい。

SYO

SYO

プロフィール

SYO(ショウ)

映画、ドラマ、アニメ、マンガ、音楽などのジャンルで執筆するライター。トークイベントへの登壇実績も多数。装苑、sweet、BRUTUS、GQ JAPANといった雑誌のほか、多くのWeb媒体にも寄稿している。