映画ナタリー Power Push - 「シン・ゴジラ」公開記念特集
鈴木敏夫、庵野秀明を語る
7月29日に全国ロードショーとなる「シン・ゴジラ」。庵野秀明が総監督を務める本作の公開を記念し、7月28日から29日にかけて日本映画専門チャンネルで庵野の実写作品を集めた特集放送がオンエアされる。
映画ナタリーでは、「風の谷のナウシカ」から30年以上にわたり庵野と交流を持ち続けてきたスタジオジブリのプロデューサー・鈴木敏夫にインタビューを実施。初対面で受けた印象から今後の期待まで、思うところを余すことなく語ってもらった。
取材 / 岡大 文 / 伊東弘剛 撮影 / 佐藤友昭
僕、「シン・ゴジラ」のフィクサーです(笑)
──鈴木さんは、庵野秀明監督とは30年来の仲になるかと思うのですが、庵野監督の最新作「シン・ゴジラ」は、やはり気になりますか?
本当のこと言うとまずいかな(笑)。いやー、どこまでしゃべっていいんだろうな。庵野と東宝の関係性を作ったのは、どうも僕みたいなんですよ。それで庵野が「シン・ゴジラ」をやることになったらしく、「これ作れるようになったきっかけは、鈴木さんですよ」ってお礼を言われたんだけど、僕は忘れててね。あ、そうだったのかと(笑)。
──そんな経緯があったんですね。庵野監督にどなたかを紹介されたと。
東宝の(プロデューサー)市川南です。で、彼が「シン・ゴジラ」をやることになった。今、僕が彼から聞いているのは、これまでにない「ゴジラ」というよりは、最初の「ゴジラ」に戻ってみようかみたいな話。それ以上のことは聞いてないんだけど、「本当にゴジラが現れたら、日本の政府をはじめ、みんなどういう対応をするんだろう?」っていう物語のきっかけだけ聞きました。ゴジラ来襲もそうですけど、予測できない大災害が起きたときに組織がどう動くのかという話を聞いて、へえ、面白いとこ見つけるなと思いました。
──ポスターにも「ニッポン対ゴジラ。」とありますね。
そういう話なんでしょうね。市川南から何度も「庵野さんを紹介していただいてありがとうございました」って言われるので、よほどの傑作になったのかと想像しているんですよ。というわけで、僕、「シン・ゴジラ」のフィクサーです(笑)。
──(笑)。「ゴジラ」作品はこれまで追い続けてきたんでしょうか。
僕ら団塊の世代って最初の「ゴジラ」にはちょっと遅れてるんです。最初の「ゴジラ」に出会った人はもう70過ぎですよね。宮崎駿なんかはもしかしたら公開時に観ているかもしれない。僕らはその次の世代なんです。僕は本当のこと言うとやっぱり「モスラ」(1961年公開)が一番好きだったし(笑)。とはいえ、「ゴジラ」もずっと観てきたんですよ、当たり前のように。どういう「ゴジラ」になるかは観てのお楽しみですね。というわけで「シン・ゴジラ」の話は以上(笑)。
庵野はジブリに定期的に来てた
──では、庵野監督について伺います。
僕、話すことないんじゃないかな(笑)。
──最初にお会いになったときのことは覚えていらっしゃいますか?
それは「風の谷のナウシカ」のスタッフでしたからね。どうしてもそういう言葉が浮かぶんですけど、見た目からしてテロリストみたいでしたよね(笑)。それはものすごく強烈に覚えてます。その次に会うのがね、押井守の原作で「とどのつまり…」というマンガをやってたときに、そこのスタジオに居候していたのが庵野。ごそごそと机の下から出てきて「庵野です」って言われて(笑)。
──宮崎駿監督は「宇宙人みたいだった」と初対面の庵野監督の印象を語っていますね。
まあそういう感じですよね。僕がその次に会うのは「火垂るの墓」じゃないかな。いろいろやってるうちになんとなく顔見知りになったんですけど、そのテロリストよろしくな風貌のときはあんまり近付かなかったですよ、何されるかわからないから(笑)。「(王立宇宙軍)オネアミスの翼」のときはまだジブリが吉祥寺にあって、庵野たちは吉祥寺の神社のちょっと奥のほうで作ってたんです。僕らがたまに遊びに行くと、庵野が一生懸命やっていて、その様子をすごく覚えてますね。ああこういうものが作りたいんだなと思って。宇宙飛行士への憧れがはっきりと描かれていて、あの映画はやっぱり面白かったですよ。
──スタジオジブリの外でも交流があったんですね。
ただね、気が付くと彼はジブリに定期的に来ていたんです。半年か1年に1回。あるとき「エヴァ(新世紀エヴァンゲリオン)」のテレビ版が大成功してよかったなと思っていたら、庵野がふらりと遊びに来たんですよ。「実を言うと『エヴァ』で金銭が手元に入った」「それをスタッフに分けたいから合理的なやり方を鈴木さんに教えてほしい」と。俺にそんなこと言われてもと思いましたし、最初に決めておかないで途中から変えるのは大変だし。とはいえ、いろいろ意見は言いました。役に立ったかわからないですけど。そんなことを定期的にやってたんですよ。契約の話なんかが多かったのは、僕のことをそういう立場の人間であると思っていたからなんでしょうね。
──なるほど。
今なら時効だろうからしゃべっちゃうけど、あるとき「特撮映画を作りたい」と言われたことがありまして。関係者が集まっていろいろ議論をしたんですけど、結局破綻するんですよ。まあ庵野の責任だと思うんだけど、うまくいかなくて。その結果、代替案として庵野が出してきたのが「式日」という実写映画なんですよね。
──「式日」にそのような経緯があったんですか。
やってみたら面白かったですね。シナリオができて撮影の前に直接意見を聞かれたんですけど、僕は「アート系の映画なんだからもっと謎が謎を呼ぶ、ちょっと難しいラストにしたらどうかな」という提案をしたんです。そうしたら彼が「じゃあそうします」ってニコッと笑ったのをよく覚えています。そういうことがずっと続いていって、気が付いたらすごく長い付き合いになってますね。「ナウシカ」を作っていたのが1983年、そこから延々ともう33年の付き合い。「風立ちぬ」で主人公の声をやってもらいましたし。あれは本当に感謝してます。今となっては庵野以外思い付かない。彼にやってもらって、宮崎駿が本当に喜んで。庵野ももう50代の半ば、がんばってやってますよね。
次のページ » 気に入った、好きだという感情はいまだに変わらない
「24時間まるごと 祝!シン・ゴジラ」
日本映画専門チャンネル
7月28日(木)19:00~29日(金)22:00
庵野秀明が総監督を務める「シン・ゴジラ」が7月29日に封切られる。その公開を記念し、庵野がこれまでに手がけた実写5作品を連続放送。また「シン・ゴジラ」主演の長谷川博己、石原さとみ、芸能界屈指のゴジラファンとして知られる佐野史郎らゲスト10名が初めて鑑賞したゴジラ作品と、当時の思い出やエピソードを語る特別トーク番組「ゴジラ ファーストインパクト」全8回も一挙放送する。さらにゴジラ作品8本も放映され、その中にはシリーズで初めて全編4Kデジタルリマスターで送る「『キングコング対ゴジラ』<完全版>4Kデジタルリマスター」も含まれる。
庵野秀明実写映画 放送作品
「巨神兵東京に現わる 劇場版」
「式日」
「ラブ&ポップ<R-15>」
「キューティーハニー」
「流星課長」
©2012 Studio Ghibli
「ゴジラ ファーストインパクト」
日本映画専門チャンネル 毎週木曜 21:00~
8月までオンエアされる特別番組。ゴジラシリーズへの出演経験を持つ宇崎竜童、お笑いコンビ・ドランクドラゴンの塚地武雅ら計10名のゲストが初めて鑑賞したゴジラ作品と、鑑賞当時の思い出を語る。7月のゲストには「新世紀エヴァンゲリオン」のプロデューサーで庵野秀明との親交も深い大月俊倫、「シン・ゴジラ」主演の長谷川博己、石原さとみらが並ぶ。
なお、抽選で555名に特製ゴジラTシャツが当たる「ゴジラ初体験記」投稿キャンペーンが7月31日まで特設サイトにて開催中だ。
鈴木敏夫(スズキトシオ)
1948年、愛知県生まれ。慶応義塾大学卒業後、徳間書店に入社。週刊アサヒ芸能などを経て、1978年、アニメ雑誌・月刊アニメージュの創刊に携わる。同誌の編集を行いながら、高畑勲らとともに1984年公開の劇場版アニメ「風の谷のナウシカ」を製作。1985年、スタジオジブリの設立に参加し、以後「天空の城ラピュタ」「となりのトトロ」「火垂るの墓」「魔女の宅急便」を製作する。1989年からはスタジオジブリ専従となり、「平成狸合戦ぽんぽこ」「もののけ姫」「千と千尋の神隠し」「風立ちぬ」などをプロデュース。アニメ作品のほかに庵野秀明の監督作「式日」、樋口真嗣の監督作「巨神兵東京に現わる」といった実写作品も手がけている。6月17日、著書「ジブリの仲間たち」が発売。プロデューサーを務めたスタジオジブリ最新作「レッドタートル ある島の物語」が、9月17日に封切られる。
2016年7月28日更新