石井岳龍が舞台「デカローグ」に感嘆、ポーランドの名匠が遺した珠玉の10編は“僕らの物語”

「トリコロール3部作」「ふたりのベロニカ」で知られるポーランドの映画監督クシシュトフ・キェシロフスキが1980年代に発表した「デカローグ」が舞台化。東京・新国立劇場で、4月から7月にかけて5つのプログラムに分けて上演中だ。旧約聖書の十戒をモチーフに、ワルシャワ郊外の集合住宅で暮らす人々の10編の物語がオムニバス形式で紡がれ、人間の弱さや普遍的な愛を見つめる。

このたび「狂い咲きサンダーロード」などを手がけた映画監督・石井岳龍が、舞台「デカローグ」プログラムCの5話「ある殺人に関する物語」と6話「ある愛に関する物語」を鑑賞。キェシロフスキを尊敬してやまない彼は、普遍的な問題を投げかける本作について「今の僕らの物語」だと感じたという。

取材・文 / 金須晶子撮影 / 清水純一

興味と期待と不安が入り混じっていた

──石井監督は2011年にTwitter(現在のX)で「デカローグ」について投稿し、「映画史上屈指の偉業」だと絶賛されていました。今回は13年近くも前のツイートを理由にお声掛けさせていただいたのですが……。

すっかり忘れていました(笑)。

──そうですよね(笑)。「デカローグ」が日本で舞台化されることはご存知でしたか?

はい。尊敬する脚本家の港岳彦さんがよく演劇をご覧になるんですけど、「素晴らしかった」と書かれているのを目にして「ああ、舞台になっているんだ」と。

──本日はどのような思いで観劇に臨まれましたか?

クシシュトフ・キェシロフスキ監督の作品はどれも好きで、本当に尊敬していまして。ドキュメンタリー出身であり人間の機微や隠された深い感情を捉えることに長けているし、映像に凝ってそれを表現する監督なので、どういうふうに舞台にするんだろうという興味と期待と、一抹の不安がありました(笑)。中でも「デカローグ」は特に凄味のある作品ですから。1980年代末のポーランドは民主化運動が広まった激動の時期。そんな時代に生きていた人間たちの物語を、現代の日本でどう描くんだろう?と、さまざまな気持ちが入り混じる中で観させていただきました。

石井岳龍

石井岳龍

自分の物語でもあるし、隣人の物語でもある

──観劇された直後ということで、まずは率直なご感想を。本日はプログラムCのデカローグ5「ある殺人に関する物語」とデカローグ6「ある愛に関する物語」をご覧いただきました。

2本だけじゃもったいない! 全部観たいです。オリジナル版に忠実な展開でありながら、巧みに演劇に移し替える工夫を感じました。観客に回答を差し出すのではなく、問いを持ち帰らせる。そのようなキェシロフスキ監督作品のエッセンスが、舞台になっても変わらず残っていました。

一番強く感じたのは“孤立”と“分断”について。私自身も興味があるテーマなんですけど、コロナ禍以降、孤立と分断がますます問題視されています。高度情報化やAIの発達も絡んでくる問題ですが、1980年代の話である「デカローグ」に込められたテーマはまったく古くない。むしろ現代の問題として感じられるのが驚きでした。これは、今の僕らの物語。自分の物語でもあるし、隣人の物語でもある。非常に普遍的で心にズシンと響きました。

あんなに“映画的な映画”なのに、映像抜きでその感覚が得られることにも驚きましたし、設定を日本に置き換えず、当時のポーランドのままという点も意外でした。映画と演劇どちらがいい悪いと比べられるものではないですが、改めて演劇の持つ力を感じました。演じる方、作っている方たちが優秀だからだと思いますが。

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。青年ヤツェク(福崎那由他 / 右)は、衝動的にタクシー運転手ヴァルデマル(寺十吾 / 左)の首をロープで絞める。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。青年ヤツェク(福崎那由他 / 右)は、衝動的にタクシー運転手ヴァルデマル(寺十吾 / 左)の首をロープで絞める。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。郵便局員トメク(田中亨 / 左)は、向かいに住む女性マグダ(右 / 仙名彩世)の部屋を夜な夜な望遠鏡でのぞいていた。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。郵便局員トメク(田中亨 / 左)は、向かいに住む女性マグダ(右 / 仙名彩世)の部屋を夜な夜な望遠鏡でのぞいていた。(撮影:宮川舞子)

──10編のうち「ある殺人に関する物語」と「ある愛に関する物語」は、孤立と分断が特に色濃く表れているエピソードのように思えます。

他者とのコミュニケーションから切り離されて、自分の方法でしか人と接することができない。そんな人物たちが描かれていますね。ただ私は、孤立と分断は、ひとつの試練とでも言いますか、安易には成り立たない“真の共生”を図るために、可視化された重要な課題だと思っています。当然、孤立も分断も危険だらけです。しかし、人間は他者や環境と断絶しては絶対に生きられません。作中には、許容できない人、あるいは極端な行動を取る人が登場しますが、心の奥底のどこかで「人とつながりたい」とひそかに叫び続けている彼らの声が聞こえてきました。

決して映画をなぞるだけでない、演劇的なアプローチ

──舞台ならではの視覚的な演出はいかがでしたか? プロジェクションマッピングといった現代的な手法もうまく溶け込んでいますよね。

的確に表現されていました。舞台上では映画のようにカメラでクローズアップすることも、視点の移動もできない。映像の力を捨て去ったところで「デカローグ」をどう組み立てるのか? 果たしてできるのか?と本当にちょっと怖かったんです(笑)。でも実際に観てみると「おお!」という瞬間がたくさんあり、作品テーマをコンセプチュアルに舞台美術や投影映像に可視化する、なるほどこういう方法があったのかと感服しました。

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。映像が緑がかったオリジナル版の特徴が、照明とプロジェクションマッピングによって再現されている。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。映像が緑がかったオリジナル版の特徴が、照明とプロジェクションマッピングによって再現されている。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。ガラスにひびが入る演出がプロジェクションマッピングによって表現されている。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。ガラスにひびが入る演出がプロジェクションマッピングによって表現されている。(撮影:宮川舞子)

──一方で「ある殺人に関する物語」の殺人のシーンはオリジナル版に忠実でリアルな描写でした。特に絞首刑のシーンは物理的に難しいのではと思っていましたが、ストレートに再現されていましたね。

「ある殺人に関する物語」を初めて観たときは、うなされるぐらいキツかったです。自分自身が絡め取られてしまうような感覚というか……ショックが大きくて。処刑のシーンではロープを張る人の冷静で丁寧なしぐさや、つり上げる滑車の音といった機械的な描写によって残酷さが際立ち、“死刑”という暴力、人が人を殺してしまうことのむごたらしさが、映像の生々しいリアルさとは異なる手法で強烈に残りました。舞台版は、余計な情報がない分、テーマがダイレクトに伝わってきます。

──「ある殺人に関する物語」は、“青年による衝動的な殺人”と“法による殺人”という2つの殺人が強く印象に残る作品です。

殺人のシーンはもちろんショックが大きいですが、舞台版はそこだけに重きを置いてないというか。死刑執行を前にした青年ヤツェクと弁護士ピョトルの対話が丁寧に描かれ、ヤツェクの心の奥の悲しみが胸に迫ってきました。映画をなぞるだけではなく、演劇的なアプローチで物語のエッセンスを表現されていたと思います。「ある愛に関する物語」の主人公トメクもそうですが、未熟ゆえの無知に対して、僕らは何ができるんだろう?と強く考えさせられました。

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。殺人を犯したヤツェクは死刑判決を受ける。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ5 ある殺人に関する物語」より。殺人を犯したヤツェクは死刑判決を受ける。(撮影:宮川舞子)

──「ある愛に関する物語」は向かいの団地に暮らす女性を望遠鏡でのぞき見する青年トメクの愛と悲劇の物語です。こちらもキェシロフスキ作品らしく淡々と進んでいきますが、舞台では客席からところどころ笑いが起きていたのが印象的でした。

限られた短い尺の中でドストエフスキー並みに重いテーマが描かれるわけですが、演劇になることで重さが中和されている気はしました。そもそも僕らは十戒という題材自体になじみがないですが、「デカローグ」では十戒そのものではなく、それを逆説的に捉えて、現代社会への問題提起として描いているからこそ、普遍性があって受け入れやすい部分がありますよね。

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。2階建てのセットを生かして、“のぞく”青年と“のぞかれる”女性のドラマが展開していく。(撮影:宮川舞子)

舞台「デカローグ6 ある愛に関する物語」より。2階建てのセットを生かして、“のぞく”青年と“のぞかれる”女性のドラマが展開していく。(撮影:宮川舞子)

──また「ある愛に関する物語」はラストが2パターンあることでも知られます。オリジナル版はドライな結末ですが、劇場公開用に再編集したロング版(「愛に関する短いフィルム」)では女性目線の幻想的なラストに変更されました。舞台ではオリジナル版を踏襲していましたね。

余韻の残るロング版も好きなんですけど、あれは映像だからこそできる表現ですし。オリジナル版は感傷がない分、考えさせられる問いの力が大きかったです。