伝説的なレゲエミュージシャンであるボブ・マーリーの生涯を描いた映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」が、5月17日より全国で公開される。
プロデューサーに名を連ねたのは、ボブ・マーリーの妻であるリタ・マーリーと、子供のジギー・マーリー、セデラ・マーリーだ。「あの夜、マイアミで」のキングズリー・ベン=アディルがボブ・マーリー役、「007/ノー・タイム・トゥ・ダイ」のラシャーナ・リンチがリタ・マーリー役で出演。「ドリームプラン」のレイナルド・マーカス・グリーンが監督を務めた。
今回、映画ナタリーと音楽ナタリーで「ボブ・マーリー:ONE LOVE」の特集企画を実施。映画ナタリーでは、ボブ・マーリーを敬愛する窪塚洋介にインタビューを行った。窪塚は本作を通してボブ・マーリーの半生を「本当の意味で実感できた気がする」とうなずき、実際に自身がジャマイカを何度も訪れたからこそわかるリアルな空気感や、エンドロールで涙が止まらなくなった理由について語った。なお音楽ナタリーで近日公開されるインタビューには、SUPER EIGHTの安田章大が登場する。
取材・文 / 大谷隆之撮影 / 塩崎智裕
「ボブ・マーリー:ONE LOVE」
日本オリジナル予告公開中
自分にとって原点のような曲に思わぬ形で再会できた
──映画「ボブ・マーリー:ONE LOVE」は1時間47分のドラマに、ボブ・マーリーのオリジナル音源がたっぷり詰まっています。たった今、試写を観ていただいたばかりですが……まず、音響的にはいかがでした?
まじヤバかったです(笑)。やっぱり、シアターのいいシステムで聴くと違いますね。「ゲット・アップ、スタンド・アップ」「アイ・ショット・ザ・シェリフ」「ワン・ラヴ」、ほかにもたくさん。(劇中で)流れるのは耳になじんだ名曲ばかりだけど、どれもびっくりするくらい新鮮に響きました。レゲエならではの重低音も、家で聴くよりずっと生々しく感じたし。
伝記映画だから当然っちゃ当然なんだろうけど、とにかく音楽が素晴らしかったな。ボブ・マーリーという表現者の偉大さを、映画を通して再確認したというか。自分にとっては原点みたいな曲に、思わぬ形で再会できた感覚もあったんですよね。そこが俺には、すげーうれしかった!
──では改めて、本作の率直な印象から教えてください。
心から感動した、よくぞ作ってくれましたって感じです。好きなところはいっぱいあったけど、なんと言っても人物の掘り下げ具合かな。そもそもボブ・マーリーって、俺の中では、音楽の枠組みを越えた存在なんですよね。ヒーローって言葉を聞くと、ジョン・レノンと並んで真っ先に思い浮かぶ人。
──単なるミュージシャンではなく、生き方のレベルで影響を受けた?
まさに。もちろんそれって、俺だけじゃないですよね。それこそ世界中の人々が彼の音楽に励まされ、導かれ、今なお戦う勇気をもらってるわけじゃないですか? 巨大な国家権力からしょうもない世間の常識まで、抗う対象は人それぞれ違うとしても。
でもこの映画に出てくるボブ・マーリーは、わかりやすいヒーローでも“レゲエの神様”でもなかった。生身の人間としてとにかく迷って、苦しんで、傷付いてるじゃないですか。衝動に駆られ、ときには間違ったこともやってますし。あとは、奥さん以外の女性ともたくさん子供を作っちゃったりね。今の倫理観じゃ受け入れられない事実も、けっこうシビアに描かれていて。
──自分は奔放に生きながら、妻に対しては意外とヤキモチ焼きだったり。
それなりに身勝手な面もあるんだよね。彼の育った境遇とか、当時のジャマイカの社会背景を描いたパートも面白かった。でも俺はやっぱり、ボブ・マーリーが血の通った人間として生っぽく描かれていたのがうれしかったな。そこに一番心を揺さぶられました。逆に言うと、公私ともに巨大な葛藤を抱えていたからこそ、あんなに魂に響く曲を作れたんだなって。それがシンプルに実感できた映画でした。
ボブ・マーリーの音楽が訴えてるのは“誰かと敵対すること”じゃない
──ずっとボブ・マーリーを尊敬してきた窪塚さんにとっても、新たな発見がありましたか?
すっごくありましたね。知識として知ってたエピソードでも、やっぱり物語として疑似体験すると切実さが違う。それが映画の力であり芝居の力だと、俺は思っているので。今作で言うと、彼の生い立ちもそうだった。実はボブ・マーリーってジャマイカの黒人同士の子供じゃなく、お父さんがイギリス系の白人じゃないですか。
──はい。しかも出生時、父親ノーヴァル・マーリーは母親よりかなり歳上だったと。
要するに、かつてジャマイカを統治していた支配階級の男と、現地の若い女性の間にできた子供なんだよね。で、生まれてすぐに両親は別れちゃって。ボブ自身は父親をほとんど知らず、首都キングストンの貧困層エリアで育った。これはファンじゃなくても知っている有名な史実です。でも今回の映画では、彼にとってその出自がどれくらい重かったのかが皮膚感覚で伝わってくる。物語の中盤、若い頃のボブが恋人のリタに、自分の肌の色について話すところがありましたよね?
──出会ったばかりの2人を描いた、初々しい回想シーンですね。
そう。海岸沿いに、並んで腰掛けてね。そこでボブが恥ずかしそうに「君はこんなチョコレートブラウンの肌は好きじゃないよね」みたいなことを言うじゃない。サラッとした描写だったけど、かなりハッとしました。そうか、ジャマイカの黒人コミュニティでは、白人とのダブルである彼はずっと異質な存在だったんだなって。
──ああ、なるほど。
たぶん若い頃は、それで女の子にモテたりもしたと思うんだけどね(笑)。少なくともある時期までのボブが、自分の出自に引け目を感じていたことは映画を観てよくわかった。黒人解放を目指す「ラスタファリアニズム」という宗教運動に誰より熱心だったのも、その反動が大きかったような気がします。
──日本の観客にはわかりにくいラスタファリアニズムとの関係も、劇中でかなり詳しく描かれていました。もともとは白人支配者層の搾取に耐えかねた黒人の貧困層に広がった、ある種のルーツ回帰思想で……。
ボブはリタを通じてその教えに出会い、帰依していくんだよね。もしかすると最初は、そこに参加することで黒人のアイデンティティを確立したかったのかもしれない。でも、やがてその葛藤とラスタの教義が融合して、もっと普遍性のある表現につながっていくでしょう。今回の伝記ではそのプロセスも描かれていた。
──確かに。メインで語られるのはキャリア後半の1976年から1978年ですが、この映画ではそこにさまざまな時期の回想シーンが挟み込まれることで、主人公の人生が立体的に見えてきます。
ですね。改めて思ったんですが、ボブ・マーリーの音楽が訴えてるのは決して、誰かと敵対することじゃない。虐げられた者のレベルミュージック(抵抗の音楽)なのは間違いないけど、本当に言いたいことは、お互いの違いを越えてひとつになる大切さ。まさに「ワン・ラヴ」だと思うんですよ。
──そしてそのメッセージは、白人と黒人のダブルという生い立ちにも深く根ざしていたと。
俺はそう感じました。だからこそ、どんなひどい状況下でもヘイトに取り込まれず、ラブに軸足を置いた表現を貫けたんじゃないかな。これも本作ですごく印象的だったんですけど、さっきも話に出た、ラスタの教えに触れる海辺の回想シーンで、リタが知り合って間もないボブに「I and I(私と私)」という言葉を教えるじゃないですか。私たちは自他を区別する「you」や「me」じゃなくて、この代名詞を使って会話するんだと。
──短いけれど記憶に残るやり取りでした。あれもラスタファリアン特有の言い回しなんですか?
うん。レゲエ好きにとっては、けっこうなじみの深い表現で。実は俺自身、10代からずっと大事にしてきた言葉なんだけどさ。この映画だと、そういうキーワードもすべて自然なやり取りの中で出てくるじゃないですか? だから圧倒的に説得力が増すって言うか……。なるほど、あの楽曲のメッセージの背景にはこういう実人生があったんだなって。これからボブ・マーリーを聴く若い世代だけじゃなくて、昔からのファンも納得できる。少なくとも俺は、観る前よりもっと尊敬が増しました。なので、「ワン・ラヴ」に共鳴してた若い頃の自分に言ってやりたいです。周りから何を言われても、お前は間違ってないよって(笑)。
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初ジャマイカは1999年、青春の甘酸っぱい思い出
2024年5月2日更新