“あの世”から戻ってきた前妻VS現妻──幽霊と人間の奇妙な三角関係を描いたロマンティックコメディ「ブライズ・スピリット~夫をシェアしたくはありません!」が、9月10日に全国公開される。
原案は1941年に発表され、当時2000回も上演されたノエル・カワードの戯曲「陽気な幽霊」。このたび80年の時を経て、英国の大ヒットテレビシリーズ「ダウントン・アビー」にも参加した監督エドワード・ホールによって現代によみがえる。
本特集では、コラムニストの辛酸なめ子にスピリチュアルな視点を交えてイラストとレビューを寄稿してもらった。世界中が閉塞感で覆われている今、とびきりの愛とユーモアであふれた本作を観て、心弾むひとときを過ごしてみては。
レビュー / 辛酸なめ子文 / 金須晶子
スピ小ネタも注目ポイント
もし夫の浮気相手が幽霊だったら……? 相手が人間なら夫に連絡先を消させたり、慰謝料を請求したりもできますが、神出鬼没の幽霊だとなす術がありません。作家のチャールズと妻ルースが困った状態になってしまったのは、霊媒師マダム・アルカティとの出会いがきっかけでした。劇場で開催された降霊ショーのシーンが興味深いですが、19世紀の欧米は心霊ブームで、実際にたびたび降霊ショーや降霊会が開催されていたようです。かつてアメリカで活躍していた女性霊媒師ブラヴァツキーを思わせるマダム・アルカティが登場。スピリチュアルやオカルト好きの人はテンションが上がる場面かもしれません。しかし霊媒師が神秘な力を発揮する前にインチキがバレてしまいます。
失意のマダム・アルカティの楽屋に訪ねていって声をかけたチャールズ。小説のネタになると思い、自宅での小規模な降霊会への参加をオファーします。降霊会では、マダム・アルカティは霊的ガイドのマイアなる存在を呼び出します。そのマイアは「ツタンカーメンの乳母」だそうで設定が細かいです。スピ系の人はなぜか古代エジプトが好き、というのは今も昔も同じなのでしょうか。スピ小ネタが多いのも注目ポイント。キャンドルに囲まれた厳かな雰囲気の中、会が始まると、質問に対してテーブルが音を立てるといったラップ音が発生。その後、停電やマダム・アルカティの体調の異変といったハプニングが発生し、チャールズに縁の深い幽霊が召還。なんとそれは7年前に亡くなった前妻のエルヴィラでした。
降霊会後、徐々に姿を現したエルヴィラ。幽霊が実体化するのにはかなりのエネルギーを要すると聞きますが、降霊会の時の雷鳴や暴風のパワーでチャージしたのでしょうか。突然の事故でこの世を去ったエルヴィラは、まだ生命力が残っていたのかもしれません。家の中でエルヴィラと会話していたら妻のルースに不審がられるチャールズ。ちなみに、配偶者が亡くなった霊能者の本にあったのですが、霊も実際に言葉として発しないと、基本、聞こえないようです。守護霊的な存在ならまだしも、最近亡くなった人はテレパシーではなく、人間と同じように声に出して会話しないと伝わらないとか。チャールズがエルヴィラに投げかけた暴言を、妻が聞いて自分が言われたと誤解してしまうシーンも、かなりリアリティあります。
戸惑っていたチャールズも、エルヴィラとルースという亡者と生者ではありますが、2人の美人に囲まれてまんざらでもなくなってきます。ルースとイチャつきながら、エルヴィラとデートしたり、小説執筆の手伝いをさせるチャールズ。これまでの作品のアイディアも生前のエルヴィラが考えていたのです。死んでからも幽霊の妻に無償労働させるなんて恐れ知らずな男です。もしかしたら、チャールズはいろいろな意味で女性を不幸せにするタイプかも、という疑念がわいてきます。
幽霊と一線を越えてしまったら?
チャールズとの再会でエルヴィラの気持ちも高まり、霊体と肉体の距離も接近。実際に幽霊との性的な行為は可能なのかというと、周りに何人か体験者がいるのでおそらくできるのでしょう。知人の男性も10代の初体験の相手は雪女に化けた色情霊だと語っていました。でも一線を越えたら、本格的に不吉なことが起こりそうです。美女の幽霊との肉体交渉と引き換えに、身体機能を失った人の話も聞いたことがあります。
チャールズとルースの関係に、疎外感を覚えたエルヴィラは次第にネガティブな感情を爆発させるように。登場シーンでは美しかったエルヴィラが「九相図(※注)」で朽ち果てていく姿のように、骸骨感が出てきたように見えるのは気のせいでしょうか。霊の世界では感情が増幅してしまうと聞いたことがあります。怒りや哀しみなどネガティブな思いで心が占められてしまうのでしょう。そんなエルヴィラに、チャールズはどう対処するのが正しかったのでしょうか。チャールズのように恐れたり嫌ったりする反応は、幽霊の哀しみを増大させるだけな気がします。エルヴィラに愛と感謝の念を送り、エルヴィラ寺院やエルヴィラ神殿を建てるくらいの気持ちでいないと、慰霊できません。もしかしたら夫婦だった時から、妻へのリスペクトが足りなかったのかも? チャールズのルースに対する態度も表面的で心がないように見えてきます。
パートナーが亡くなってから不成仏霊や悪霊にならないためにはどうしたら良いか? 生きている時から愛と尊敬を持って接するのが大切なのかもしれません。この作品は笑いながらも危機感を植え付けられて、身近な人間関係について考え直すきっかけになります。
※編集注:死体が朽ちていく経過を九段階に分けて描いた仏教絵画
- 辛酸なめ子(シンサンナメコ)
- 1974年8月29日、東京都生まれ。マンガ家・コラムニストとして雑誌、新聞、Webメディア、テレビなどで幅広く活躍し、独自の視点で幅広い層の支持を得ている。近著に「おしゃ修行」「魂活道場」「スピリチュアル系のトリセツ」「女子校礼讃」「無心セラピー」、小説「ヌルラン」「電車のおじさん」など。
上演2000回の名作戯曲がよみがえる
原案は1941年に書き上げられたノエル・カワードの戯曲「陽気な幽霊」。ノエル・カワードとは1920年代から1940年代にかけて活躍した、俳優・作家・戯曲家・脚本家・演出家・作曲家・歌手・映画監督といくつもの顔を持つイギリスのエンタテイナーだ。舞台は初演時に2000回上演され、1945年にはデヴィッド・リーンによって映画化もされた。新たな映画としてよみがえった本作でも、夫・幽霊になった前妻・現妻の三角関係が繰り広げられる。
男女の情念をロマンティックかつコミカルに描きつつ、予想外の急展開を迎えていくストーリーは痛快この上ない。英国らしく皮肉の効いたユーモアに笑い、タイムリミット付きの再会に切なくなる──未曾有の状況下でふさぎ込みがちな今、あなたの感情を豊かにしてくれる1本に違いない。
濃いキャラクターを演じ切った役者たち
プライドが高くて優柔不断、でもどこか憎めない男チャールズ。そんな主人公にはドラマ「ダウントン・アビー」シリーズのマシュー・クローリー役でブレイクを果たし、ディズニー実写映画「美女と野獣」の野獣役などでも知られるダン・スティーヴンスが起用された。
主人公を取り囲むパワフルな女性陣にも注目を。朗らかだが夫のハリウッド進出に野心を燃やす現妻ルースには「お買いもの中毒な私!」「華麗なるギャツビー」のアイラ・フィッシャー、毒舌家だが心はピュアな前妻エルヴィラには「ブリングリング」のレスリー・マンが扮した。そして彼女らを翻弄するきっかけとなった霊媒師マダム・アルカティ役で名優ジュディ・デンチが出演。うさんくさくエキセントリックなキャラでありながら、実は亡き夫を降霊させたいという願いを胸に秘めた役を丹念に演じている。
レトロでエレガントな世界観
1930年代イギリスを背景にした本作ではクラシックな装飾も見どころ。撮影には1930年代に建てられたアールデコ様式で、本物のアンティークのインテリアで彩られた豪邸が使用された。
衣装には可能な限り1930年代の素材が調達されている。コスチュームデザイナーのシャーロット・ウォルターは、女性たちのために衣装を作ることは光栄だったと振り返り、「エルヴィラは幽霊だからほかのキャラクターとは対照的に見せたかった。彼女のテーマカラーは黒と赤。ほかのキャストはかなりソフトなカラーにして、なじまないようにした」と説明。少々挑発的なエルヴィラのファッションと“理想の妻”像を思わせるルースの装い、キャラクターに合わせたファッションを見比べるのも本作の楽しみ方の1つだ。