「仮面ライダーBLACK SUN」|タカハシヒョウリの血湧き肉躍る!新たな“大人向け仮面ライダー”を白石和彌が監督する意味とは?

「仮面ライダーBLACK SUN」全10話が、10月28日0時よりPrime Videoにて独占配信される。本作は1987年から1988年に放送された「仮面ライダーBLACK」のリブート作品。同作は「仮面ライダースーパー1」以来6年ぶりのテレビシリーズ作品にして“原点回帰”がうたわれ、主人公である仮面ライダーBLACKのバッタをモチーフとしたシンプルなデザイン、仮面ライダーと同格のライバルキャラクター・シャドームーンの存在、そして南光太郎 / 仮面ライダーBLACKと秋月信彦 / シャドームーンという2人の男が背負った過酷な運命を軸としたハードなストーリーなどが人気を博し、1988年から1989年には続編「仮面ライダーBLACK RX」が放送された。

その人気作を「孤狼の血」「凪待ち」などで知られる白石和彌がリブートすることが発表されると、特撮ファンのみならず映画ファンの間でも話題を呼んだ。さらにダブル主演として仮面ライダーBLACK SUN / 南光太郎役を西島秀俊、仮面ライダーSHADOWMOON / 秋月信彦を中村倫也が演じることや、Prime Videoが設定するレーティングでは「18+」という要素も加わり、新たな「大人向け仮面ライダー」への期待は高まっている。映画ナタリーでは本作の配信を記念し、特撮に造詣の深いミュージシャン・タカハシヒョウリ(オワリカラ / 科楽特奏隊)によるレビューを掲載。序盤を視聴したタカハシによると、白石が「仮面ライダーBLACK」をリブートする際の注目ポイントとしてはハードな世界観やバイオレンスの部分だけでなく、「“マイノリティとしての怪人”の群像劇」にあるという。

文 / タカハシヒョウリ(レビュー)

イントロダクション

創世王──怪人の頂点たる存在。その命が尽きるとき、選出された世紀王が力を継承する。時は2022年。国が人間と怪人の共存を掲げ、半世紀が過ぎた頃。人の姿で暮らす怪人たちは虐げられ、人間との衝突を繰り返す日々の中、両者の溝は深まるばかりであった。騒乱の時代、調和を夢見る少女は1人の男と出会う。

キャラクター

仮面ライダーBLACK SUN / 南光太郎(西島秀俊)
主人公。日蝕の日に生まれ、怪人たちの頂点である“創世王”の候補となるべく改造された。怪人と人間とのはざまで揺れ動く。
仮面ライダーSHADOWMOON / 秋月信彦(中村倫也)
もう1人の主人公で、光太郎と同じく創世王の候補。光太郎とは親友として育つが、その思想によって対立することになる。
平澤宏々路演じる和泉葵。
若き人権活動家
和泉葵
(平澤宏々路)
木村舷碁演じる小松俊介。
葵の同級生
小松俊介(雀怪人)
(木村舷碁)
中村梅雀演じるダロム。
三神官
ダロム(三葉虫怪人)
(中村梅雀)
吉田羊演じるビシュム。
三神官
ビシュム(翼竜怪人)
(吉田羊)
プリティ太田演じるバラオム。
三神官
バラオム(剣歯虎怪人)
(プリティ太田)
三浦貴大演じるビルゲニア。
ゴルゴム怪人
ビルゲニア(古代甲冑魚怪人)
(三浦貴大)
音尾琢真演じるコウモリ怪人。
ゴルゴム怪人
コウモリ怪人(大蝙蝠怪人)
(音尾琢真)
濱田岳演じるクジラ怪人。
ゴルゴム怪人
クジラ怪人(白長須鯨怪人)
(濱田岳)
黒田大輔演じるノミ怪人。
ゴルゴム怪人
ノミ怪人(蚤怪人)
(黒田大輔)
筧美和子演じるアネモネ怪人。
ゴルゴム怪人
アネモネ怪人(金鳳花怪人)
(筧美和子)
沖原一生演じるクモ怪人。
ゴルゴム怪人
クモ怪人(蜘蛛怪人)
(沖原一生)
ルー大柴演じる堂波真一。
総理大臣
堂波真一
(ルー大柴)
尾美としのり演じる仁村勲。
官房長官
仁村勲
(尾美としのり)
今野浩喜演じる井垣渉。
反怪人団体の主導者
井垣渉
(今野浩喜)
中村蒼演じる、1972年の南光太郎。
創世王候補
南光太郎(1972年)
(中村蒼)
芋生悠演じる新城ゆかり。
謎の女
新城ゆかり
(芋生悠)
前田旺志郎演じる、1972年の堂波真一。
総理大臣の孫
堂波真一(1972年)
(前田旺志郎)

タカハシヒョウリ レビュー

想像以上に感じる、「BLACK」をリブートする覚悟

「凶悪」「日本で一番悪い奴ら」「孤狼の血」「死刑にいたる病」……、人間の本能を刺激するバイオレントな身体描写で見る者を熱狂させてきた白石和彌監督が、仮面ライダーを撮る。しかも、あの「仮面ライダーBLACK」のリブートだと言うじゃないか。「予測不可能」という意味でも、近年「仮面ライダーBLACK SUN」ほどワクワクさせられた作品はない。

そもそも1987年に放送された「仮面ライダーBLACK」は、「原点回帰」をテーマとし、初代「仮面ライダー」を当時の最新技術でリブートすることを標榜して立ち上がった企画だった。言ってみれば「BLACK」は、昭和最後の時代に生まれた「シン・仮面ライダー」でもあったわけだ。

原作者の石ノ森章太郎先生は、「BLACK」に「仮面ライダー0号」のイメージを託し、スタイリッシュに生まれ変わった黒いボディのヒロイックさと、石ノ森作品に通底する「運命に翻弄される主人公の孤独と苦悩」は、当時の視聴者の絶大な支持を集めた。その人気が、ライダー史上唯一の続編「仮面ライダーBLACK RX」での2番組主役続投へと繋がっていく。大人になった今見ても、敵組織・ゴルゴム内の覇権争いとして描かれる怪人サイドの悲喜こもごも、そして宿敵・シャドームーンの鼻血が出るほどのカッコ良さは最高だ。

果たしてこの題材を、白石和彌監督、コンセプトデザインに樋口真嗣監督、特撮監督に田口清隆監督という“三神官”を筆頭とする布陣がいかに映像化するのか。創世王のような心臓の高鳴りが止まらないではないか。

西島秀俊演じる南光太郎。

そして、いよいよ「仮面ライダーBLACK SUN」がその全貌を我々の前に現そうとしている。まず驚かされるのは、白石監督がオリジナルの「仮面ライダーBLACK」の世界観を、純粋に魅力的な題材と捉えているのが伝わってくることだ。南光太郎=仮面ライダーBLACK SUN(演・西島秀俊)、もう1人の主人公とも言える宿敵、秋月信彦=仮面ライダーSHADOWMOON (演・中村倫也)だけでなく、BLACKの愛車であるバトルホッパーやロードセクター(「BLACK SUN」ではSHADOWMOONの乗車となるようだ)、そしてゴルゴムの三神官。さらには、原典でいぶし銀な存在感を発揮する剣聖ビルゲニアやクジラ怪人まで(え、アネモネ怪人まで?)、それぞれが現代版のハードな姿に生まれ変わりながらも、オリジナルの魅力的な要素を的確に抽出したキャラクターとして登場する。特に、原典「BLACK」の中盤でテコ入れのために登場しつつも、シャドームーン降臨へのかませ犬として清々しいまでの非業の死を遂げる哀戦士ビルゲニアに対する思い入れは並々ならぬものがあるようなので、「BLACK SUN」で冒頭から登場しているビルゲニアがどんな立ち回りを見せるのか期待が高まる(ビルゲニアにどんな結末が待っていても、泣けそうだ)。

三浦貴大演じるビルゲニア。

このように、想像以上に「BLACK」のリブートとしての覚悟を感じる「BLACK SUN」だが、そこはやはり白石和彌監督作品。序盤からテレビシリーズでは観ることができないであろうハードな世界観とバイオレンスアクションが爆発する。人間と怪人の共生を掲げて半世紀が経過しながらも、怪人への差別が日常的に存在し、それぞれのヘイトがグツグツと煮詰まっている日本。汚い仕事に手を染め、ボロボロの体に薬を流し込む衰えた南光太郎の姿。そして、肉体を破壊し、内臓を抉り出すように戦う怪人同士のバトル。これらのハードな手触りを体験すると、「仮面ライダーアマゾンズ」で切り開いた「配信での大人向け仮面ライダー」というテレビシリーズや映画とは別ラインのフォーマットに、白石和彌監督の「BLACK SUN」を配置した英断に拍手を送りたくなる。さらに、大人の色気溢れ出す西島秀俊、中村倫也両氏が変身ポーズ(!)をキメ、白石映画常連の実力派役者陣が脇を固める。このテイストで、いずれ西島秀俊VS中村倫也、そして仮面ライダーBLACK SUNと、三神官や仮面ライダーSHADOWMOONとの激突が実現するのだとしたら果たしてどんな映像になるのか……、「血湧き肉躍る」とはこのことだ!

舞台の1つである「1972年」が持つ意味

もう1つ注目したいのは、この「BLACK SUN」が「マイノリティとしての怪人」の群像劇として描かれている点だ。白石監督は、長編デビュー作である「ロストパラダイス・イン・トーキョー」から、常に社会の本流からはじき出された人々を描いてきた。「凶悪」の死刑囚、「日本で一番悪い奴ら」の汚職警官、「孤狼の血」のはみ出し者の刑事にヤクザ者たち……、だが仮にそれが文字通り「凶悪」で「悪い奴ら」であっても、その存在の全ては否定しないという視線が感じられた。「凶悪」でピエール瀧が演じる死刑囚・須藤は、人間の所業とは思えぬ殺人に手を染めながら、同時に情に脆く身内想いで、自分が殺した被害者に線香をあげて弔う二面性を持っている。僕は初めて「凶悪」を観た時、この須藤というキャラクターにどんな感情を抱いたら良いのかわからず、混乱したのを覚えている。人間は多面体で、どんな立場の人間であっても決して一面からだけでは描ききれない、という「当たり前の複雑さ」に白石映画は挑戦する。それゆえに、繰り広げられる愛憎が、絵空事では処理できないような質量を持って肉薄してきて、白石映画の暴力はより痛いし、悪い奴はより怖く、運命に翻弄される人々はより哀しいのだと思う。この「人間を映す視点の多面性でマイノリティ=怪人を描き出す」という点において、「BLACK SUN」はまさしく白石和彌作品だと感じさせられる。同時にそれは「改造人間の悲哀を描く」という、50年続く「仮面ライダー」の系譜の上にもあるのだ。

「仮面ライダーBLACK SUN」第1話より。

最後に本作における、2022年と1972年という、半世紀を隔てた舞台にも触れておきたい。白石監督は、反権力的な作品で60年代から映画界に一石を投じ続けた若松孝二監督を師と仰ぎ、1969年の若松プロの内情を描いた「止められるか、俺たちを」も監督している。かつて白石監督が若松監督から受けた影響として挙げていたのは、「権力側から物を見ない、市井の人々の視点から権力を見る」ことだった。

「BLACK SUN」では、それぞれのイデオロギーをぶつけ合うデモやアジテートのシーンが散見され、1972年を舞台にした怪人の人権闘争は明らかに学生運動の反権力的なエネルギーをイメージしているだろう。だが、若松監督が傑作ATG映画「天使の恍惚」を公開し、初代「仮面ライダー」が放送されていた現実の1972年は、「闘争の時代」の転換期となる年だった。年始に起きた連合赤軍によるあさま山荘占拠事件の終幕と、それに続いて明るみに出た連合赤軍内でのリンチ殺人が決定打となり、民衆の支持を失った学生運動は急速に退潮し、「大きな闘争的エネルギーの時代」から「個人の享楽的エネルギーの時代」へと転換していったのだ。白石監督が、果たしてこの転換期となる1972年に何を託して現代に放つのか。それは、闘争のエネルギーが途切れず、怪人というマイノリティの中でくすぶりつづけている「ifの1972年以降」の日本の姿なのかもしれない。

怪人がいない僕たちの日本の、ほんの薄皮一枚隔てたすぐ隣に、怪人がいる「BLACK SUN」の日本がゴロリと存在している。そんな質量を持った映像体験を、「仮面ライダーBLACK SUN」は届けてくれるだろうか。今、期待はピークに達している。

※本原稿は、1話のみ視聴した状態でのレビューとなります。

タカハシヒョウリ
4人組ロックバンド・オワリカラや、特撮リスペクトバンド・科楽特奏隊のボーカル&ギター。女性アイドルグループ・開歌-かいか-や、大槻ケンヂのソロプロジェクト・大槻ケンヂミステリ文庫への楽曲提供も行う。サブカルチャー全般、特に特撮への造詣が深く、文筆家として雑誌やWebメディアでコラムなどを執筆するほか、イベントや番組にも多数出演。2021年からはクリエイティブチーム・操演と機電としてさまざまな企画・プロデュースも行っている。

2022年11月2日更新