「選挙」「港町」「精神0」を手がけた
同作の舞台は、想田が「牡蠣工場」「港町」を撮影した瀬戸内海に臨む岡山・牛窓。彼は27年間暮らした米ニューヨークから同地に移り住み、高齢化が進む伝統的なコミュニティ、猫と人が織りなす四季折々の豊かな光景、そしてその中心にある五香宮にカメラを向けた。なお、“猫神社”とも呼ばれる五香宮には多くの野良猫が住み着いており、猫好きの住民や来訪者に愛される一方で、糞尿の被害に眉をひそめる住民もいるという。
このたび解禁された予告には、海や桜といった自然の風景や、牛窓で暮らす猫と子供たちの交流が映し出されるほか、猫をめぐる住民同士の話し合いの様子も収録された。
本作をひと足先に鑑賞した小林は「排除とか共存とかの一線を決めないところに平和があるのかなあ。嵐の日でも猫が腹をだして眠るのはひとの傍らなんだなあ」とコメント。ほしは「正解がない課題でも話し合い続ける場を設けられる豊かさに小さな政治の希望と温もりを感じて心に温かい光を灯してもらえたようです」とつづる。そのほか文筆家・俳優の
「五香宮の猫」は10月19日より東京のシアター・イメージフォーラム、大阪・第七藝術劇場、10月25日より岡山のシネマ・クレールほか全国で順次公開。なお10月18日には、想田が牛窓で生きる野良猫や人間と自然、これからの社会を考察したフォトエッセイ「猫様」が発売される。
ドキュメンタリー映画「五香宮の猫」本予告
内田樹(思想家 / 武道家)コメント
どうして想田さんは「猫の映画」なんか撮るんだろうと不思議に思っていたけれど、これは最初から最後まで非情なまでに「人間についての映画」だった。猫が目の前にいる人間の本性を容赦なく映し出してしまうとはこの映画を観るまで知らなかった。
小川紗良(文筆家 / 映像作家 / 俳優)コメント
共生は、容易いものではない。子どもも、大人も、住民も、旅人も、参拝者も、ドキュメンタリー作家も、それぞれの思いで境内に集い、小さな命と向き合う。そのプロセスが「猫視点」で見えてくる、肉球のようにやわらかな町の記録。
小林聡美(俳優)コメント
ひとの暮らしに猫がいる。
猫がいるからひとが来る。
排除とか共存とかの一線を決めないところに平和があるのかなあ。
嵐の日でも猫が腹をだして眠るのはひとの傍らなんだなあ。
坂本美雨(ミュージシャン)コメント
長い年月、この石段を登り降りしてきた人々。
その足元を、猫たちがするすると行き交い、人々を繋いでいる。
人間、猫、魚、植物…あらゆる生きものの命が光る瞬間がここにある。
武田砂鉄(ライター)コメント
今、この社会の喜怒哀楽はゴツゴツしているけれど、
この作品の喜怒哀楽はなぜか柔らかい。なんでだろう。
星野概念(精神科医)コメント
植物、微生物、昆虫、動物、人…
種も、個も、みな、体感する世界が違うので、共生ってとても難しい
でも地域でみんなで暮らすわけだから諦めるわけにはいきません
生きとし生けるものが幸せで、安らかで、自由でありますようにと願い続けて、謙虚かつ気楽に生活したいと改めて思いました
ほしよりこ(マンガ家)コメント
のどかな晴れの国の景色と、草花と生き物を神と共に守るお年寄り、こどもたちと旅人たち。誰のものでもない猫たちが刺繍糸のようにそれぞれの関係をステッチして海辺の町の中をキルトのように繋げていく。正解がない課題でも話し合い続ける場を設けられる豊かさに小さな政治の希望と温もりを感じて心に温かい光を灯してもらえたようです。
松村圭一郎(文化人類学者)コメント
小さな港町の再現しえない一回性の出来事。そこには、ネット上を飛び交う、文脈から切り離された「情報」とは異なる、地に足の着いた人びとの「知恵」が映り込んでいる。
森千香子(同志社大学教授 / 社会学者)コメント
神社という場で、猫を媒介に、ひとと動物、植物が織りなす小宇宙が広がっていく。
提起されるのは「自分たち」の境界線をどこに引くのかという問いだ。「自分たち」とは集落の人間か、外の人間も含めるのか。わかりあえない人間はどうするのか。人間だけでなく動物も含めるのか。
映画はやがて、他者と棲み分けるのではなく、ともに「棲みあう」地平とはどのようなものなのか、という新たな問いを拓いていく。
安田菜津紀(Dialogue for People副代表 / フォトジャーナリスト)コメント
時に厄介者扱いされたり、癒しを求められたり、観光客の呼び込みを期待されたり、そして、捨てられたり──高齢化する小さな集落の猫たちの姿を追うほどに、こんなにも重層的な社会が見えてくるなんて。
想田和弘の映画作品
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AKITO @ptmgmpd
想田和弘のドキュメンタリー「五香宮の猫」予告、小林聡美・ほしよりこらのコメントも - 映画ナタリー https://t.co/QF7UPaCJjy