和歌山毒物カレー事件を追ったドキュメンタリー映画「
1998年7月に発生した同事件は、猛毒のヒ素を混入させたカレーが夏祭りで提供され、小学生を含む4人が死亡したもの。容疑者となった林眞須美は容疑を否認していたが、2009年に最高裁で死刑が確定した。今も彼女は獄中から無実を訴え続けている。「マミー」は最高裁判決に異議を唱え、保険金詐欺事件との関係を紐解いていく作品。予告編には目撃証言から浮かび上がる林の実像や、科学鑑定の妥当性を検証する様子が映し出される。「マミーがやったと思うか?」という言葉も収録された。
マンガ家の
テレビドキュメンタリーを制作してきた
映画「マミー」予告編
大島新(ドキュメンタリー監督)コメント
この映画はスクープだ。そして誤解を恐れず言えば、痛切なるエンタメ作品だ。「執行されてしまったら取り返しのつかないことになる」と思い、調べ始めた二村真弘監督の取材の深さはもちろん、撮影・構成・編集などの表現力も一級品。同業者として脱帽、と同時に嫉妬した。
押見修造(マンガ家)コメント
衝撃的な「映画」だ。事件の当事者の人々の、語る内容はもちろん、その語り口、声、身体は、こちらの安易な予断を悉く裏切っていく。家族の、親子の、夫婦の、人間の計り知れなさ。膨大な時間の中の絶望と、しかし、それに抗う力を感じた。
武田砂鉄(ライター)コメント
多くの人が「その話はもうやめてくれ」と逃げる。
なぜ、逃げるのか。なぜ、カメラの前で語らないのか。
各人の後ろめたさが渦となり、問いかけてくる。
西村カリン(仏「リベラシオン」紙 / 「ラジオ・フランス」特派員)コメント
マスコミが誰かの逮捕の場面を撮影し報道すると、視聴者はこの人が犯人と確信してしまいます。
警察と組んだマスコミが推定無罪の原則を無視することが冤罪の出発点です。
死刑囚がわずかでも犯人ではない可能性があったら、再審開始すべきです。
「マミー」という映画が多くの国民を考えさせ、より良い司法制度に繋がってほしい。
森達也(映画監督・作家)コメント
もしもあなたが、当時の報道をそのまま信じ込んでカレー鍋にヒ素を入れたのは林眞須美死刑囚に決まっていると思っているのなら、絶対にこの映画を観て衝撃を受けるべきだ。その後に考えてほしい。自分たちは何を間違えたのか。なぜ思い込んだのか。
角岡伸彦(ノンフィクション・ライター)コメント
あの人が殺(や)ってるしかない─。作中の市民の声は、多くの人々の考えであろう。
事件を一から洗い直した徹底取材が、私たちの固定概念を覆(くつがえ)していく。
誰がやったかではなく、やっていないのかを検証した超絶ドキュメンタリー。
ISO(ライター)コメント
あの頃9歳だった自分もまわりの大人も、報道陣に水を撒く林眞須美さんの姿だけを見て、彼女を“悪人”だと判断していた。報道陣が市井の人の私生活を土足で踏み荒らす異常さにも気付かずに。
これは当時“魔女狩り”に加担したすべての人に向けられた反証。メディアが無責任にも放棄したその後の役割を、すべて背負わんとする覚悟と執念が全編に漲っていた。本年の最重要作。
信田さよ子(公認心理師)コメント
不思議な映画だ。何重にも入れ子構造になったテーマが見る者を惑わせる。冤罪告発、息子と母の関係、不可思議な家族に加えて、監督自身が大きな存在としてせり出している。一度も画面に登場しない林眞須美が真の主役かもしれない。一筋縄ではいかない本作は、ドキュメンタリーのあり方を根底から問いかける問題作となるだろう。
丸山ゴンザレス(ジャーナリスト)コメント
和歌山カレー事件には被害者、加害者、報道、警察、検察……多くの関係者がいる。それぞれの立場から見え方が異なる事件である。では、自分は当時どう見ていたのか。今はどうなのか。本作を鑑賞後に見方を修正する必要があるのか、どうなのか。自問自答と決断を迫る作品だ。
町山智浩(映画評論家)コメント
林眞須美の保険金詐欺の「被害者」とされた夫が語る真実が衝撃。警察、検察、マスコミ、裁判官によるでっち上げ。こんなひどい話があるだろうか? ある。今の日本は他も全部、こんな状況だ。取材していた監督が怒りのあまり一線を越えてしまうほどに。
二村真弘の映画作品
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河添 誠 KAWAZOE Makoto @kawazoemakoto
マミーがやったと思うか?和歌山毒物カレー事件を追う映画の予告編 https://t.co/CJ56PX61pu