ドキュメンタリー映画「福島は語る」に続く「
同じく土井が監督した第2章では、原発事故の直後に大量の放射性物質が降り注ぎ、地域の大部分が「帰還困難区域」に指定された浪江町津島に焦点が当てられる。現在も多くの住民が帰れずにいる津島の歴史と、そこで生きてきた人々の記憶と感情が、総勢18名の3時間を超える語りとして記録された。土井は撮影・編集・製作も兼任し、リガードが配給する。
土井は制作のきっかけを「私を駆り立てたのは、一冊の裁判記録だった。そこには、32人の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と人の心の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。『あの原発事故は住民の人生をこれほどまでに破壊していたのか』と、私は強い衝撃を受けた。『この陳述集の声を映像で記録したい』それが映画『津島』制作の原点である」と語っている。
土井敏邦 コメント
「津島の記録映画を作りたい」と私を駆り立てたのは、一冊の裁判記録だった。そこには、32人の原告たちが裁判所で陳述した、家族の歴史、原発事故による家族と人の心の破壊、失った故郷への深い想いが切々と綴られていた。「あの原発事故は住民の人生をこれほどまでに破壊していたのか」と、私は強い衝撃を受けた。「この陳述集の声を映像で記録したい」それが映画「津島」制作の原点である。
2021年春から、私は陳述集に登場する原告たちを訪ね歩き始めた。横浜から福島まで車で往復し車中泊を繰り返す、ほぼ10カ月がかりのインタビューの旅だった。
“津島”は、人口約1400人の問題に終わらない。「多数派の幸福、安全、快適さのために少数派を犠牲にする」在り方への、津島住民の“異議申し立て”であり“抵抗”だともいえる。そういう意味で、“津島の存在と闘い”は小さな一地域の問題ではなく、日本と世界に通底する“普遍的なテーマ”を私たちに問いかけていると私は思う。
「『フクシマは終わったこと、なかったこと』にされてたまるか!」。映画の中で涙ながらに語る証言者たちの声の後ろに、そんな悲痛な叫び声を私は聞いてしまうのである。
土井敏邦の映画作品
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帰還困難区域・浪江町津島の歴史と記憶を収めた「福島は語る」第2章が3月公開 https://t.co/Bk2tfPCwRM