監督の
「ブルーを笑えるその日まで」は、12月8日より東京・アップリンク吉祥寺で公開。武田のコメントは下記の通り。
映画「ブルーを笑えるその日まで」予告編
武田かりん コメント
あの頃の私と君へ
「いつかタイムマシーンが発明されたら、大人になった私はきっと、今の私を助けにきてくれる」あの頃の私は、そんな空想を本気で信じて、ヒーローを待ち続けていた。
中学1年生のとき、ある日突然、ひとりぼっちになった。きっかけが何だったのか、今でもよくわからないが、きっとそれくらい些細なことだったのだと思う。クラスの女の子全員から無視をされて、聞こえるように陰口を言われた。背中にボールを投げつけられて、咄嗟に振り返ると、昨日まで友達だと言っていた女の子が笑っていた。親や先生は誰も話を聞いてはくれなかったし、水槽の中のような狭い世界でひとり、味方はどこにもいなかった。誰も聞いてくれないこんな声もう要らない。そう思っていたら、本当に声が上手く出なくなってしまい、それから中学校の3年間、誰とも話せず閉じ籠った。
それでも16歳になり、通信制の高校に通い出した。新しい環境でやり直そうとしたけれど、心の穴は塞がらないまま、いつもどこか寂しくて。未来ではタイムマシーンが発明されていて、いつか大人になった私が助けに来て味方になってくれるんだ...それがただの空想だったことにも、この頃にはもう気づいていた。タイムマシーンなんてこの世界に存在しなくて、いくら待っても大人になった私なんて現れるわけなくて、結局わかってくれる人なんてどこにもいない。17歳の冬、いろんなことに疲れてしまって、自殺した。
でも、結局痛い思いをしただけで死ぬことはできず、未来に希望を見出せないまま、進路を決めることになり、映画の道を選んだ。映画のエンドクレジットにはたくさんの名前があるから、この中の一人に私もなってみたいな...人と繋がりたいな...そんな安直な理由だったけど。ずっとひとりぼっちだったから、誰かと一緒にものづくりすることに憧れていたのだと思う。
それから、映像系の大学に進学し、助監督や制作部として、たくさんの現場を経験した。映画作りという同じ目標のために集まった人たちとなら、前より上手く話すことができたし、いつしか私は、明るく振る舞えるようになっていた。
その一方で、あの頃の不登校や自殺未遂の経験は、誰にも言えない1番の秘密だった。だからこそ、それがバレないように、とにかく明るく、笑っていたのだと思う。そんな他所行きの態度は大学生活を過ごす中ですっかり板についていた。
4年生になり、卒業制作で初めて監督をすることになった。39分の映画を制作した。それもまさに私の他所行きの性格が出ていたと思う。上部だけなら、楽しく、明るい映画。あの頃の記憶を上手く隠せれば、このまま上部だけは笑っていられると思う。でも、心のどこかで、いつもあの頃の自分が泣いているような、呼んでいるような、いつもそんな気分だった。そんな時、10代の死因で1番多いものが自殺だという記事を読んで、ショックを受けた。あの日たまたま失敗しただけで、もしかしたら私の人生もこんなふうに数字にされていたのかもしれないと思うと、とても他人事には思えなかった。あの頃の私が泣いている気がする、呼んでいる気がする。それは、気がするだけではない。あの頃の私は、きっと世界中にいて、今もひとりぼっちで泣いているのだ。そう思ったら、居ても立ってもいられなくなった。
大人になって、青春も青空も笑えるようになる日がいつか来る。そんな「生きていればいつかきっと」は、言葉だけではあの頃の私には届かなくて。だから、私は1番の秘密だったコンプレックスを手放して、あの頃見たかったものを、言って欲しかったことを、物語にしてみようと思った。
それは、青空や青春やあの頃の記憶を、私が、君が、笑えるようになる“その日まで”の物語だ。タイムマシーンは2023年になった今も開発されていない。でも、映画はきっと、それにだってなり得ると信じている。
「いつかタイムマシーンが発明されたら、大人になった私はきっと、今の私を助けにきてくれる」私は、助けに行く。映画というタイムマシーンに乗って、あの頃の私と君へ、この物語で寄り添いたい。
坊っちゃん @Ruby_S_Arms
『君が僕を知ってる』が流れる予告来た。監督のコメントと夏の映像、制服、12/8に吉祥寺で上映なことが合わさって鳥肌
渡邉心結×角心菜「ブルーを笑えるその日まで」RCサクセションの楽曲流れる予告公開 https://t.co/S8pwo3sKvU