第36回東京国際映画祭のコンペティション部門に出品されている
本作は、交通量調査員をしながら同居する母の介助をする達也と、植物状態の独居老人を世話するクラゲ、生と死をめぐる2つの物語を映し出すロードムービー。脚本作りから演出まで、即興を重視した手法が採用され、小辻とともに対話を重ねながら物語を構築したキャストには
このたび解禁された場面写真には、家の中で母に付き添って歩く達也の姿や、クラゲがベッドに横たわった老人の顔をタオルで拭く様子などが収められた。いち早く本作を鑑賞した
「曖昧な楽園」は東京・ポレポレ東中野ほか全国で順次公開。なお、本作は第36回東京国際映画祭がワールドプレミアとなり、10月26日と31日の上映後には小辻とキャストによる舞台挨拶・Q&Aが実施される。上映スケジュールなどの詳細は東京国際映画祭の公式サイトで確認を。
諏訪敦彦(映画監督)コメント
あなたがカメラの前に立ってくれて、私がそれを撮影する。あなたが映画のなかに存在することの感動。他には何もいらない。ただそれだけで奇跡的なことなんだ…。映画を撮っていてそう思えた瞬間があったことを思い出した。物語ることよりも大切な瞬間がある。死んでいることと生きていることの隙間を彷徨う者たちの静止したような時間が重ねられる中で、映画は彼らが「存在すること」と出逢おうとする。交通量調査をする達也にとって無為な時間に堆積する母親の抑圧が感情に点火する瞬間が訪れるが、雨とクラゲの場合、発火する感情もないまま死に接近し、生きているものと死にゆくものとの存在の差を測定するように彼岸への道行きを開始する。彼らは孤独であり、世界と断絶した闇の中にいるのかもしれないが、「曖昧な楽園」は希望を捨てない。映画=カメラはそれが誰であれそこに写る者を決して否定しない奇跡的な装置であることをこの映画がよく知っているからだと思う。この果敢な挑戦を讃えたい。
月永理絵(ライター / 編集者)コメント
時が止まったような巨大な団地。足元でかすかに点滅する光。車が行き交う灰色の道路。まるで遠い星のどこかを映したような無機質さにまず引き込まれた。そしてそこを行き交う人々はみなぼんやりと輪郭を失っていて、なるほどこれはSF映画なのだと確信したが、その確信は間違いだったかもしれない。でもたしかにここに映るのは、どこかには存在するがどこにも存在しない場所であり、私はその曖昧さに惹かれたのだ。
やまだないと(マンガ家)コメント
現実を生きる為の非現実。哀しみのない世界を夢みて悲しみを受け入れる。
高橋泉(脚本家)コメント
生きていない生。死んでいない死。その曖昧な時間が見事に紡がれる。
時折り青く燃え上がり、音を立ててパチパチと弾ける。送り火を見守っている時のように、気持ちが澄んでいく。
好みを超えて食らってしまった。
小川あん(俳優)コメント
実体を掴もうとするほど、するすると零れ落ちていく。思いを口にすると、自分の言葉じゃなくなってしまう。そんな時、内に残るのは“曖昧”な感覚。私は一生この感覚から逃れられないでいる。けれど、この映画はそんな“曖昧”が溶けていく。溶けて、音を立てず静かに消えていく。情緒の流れるところに。
仙頭武則(映画プロデューサー)コメント
「曖昧な楽園」には映画づくりに対する真摯な姿勢が映っている。それは、小辻陽平の日々を生きる姿。
小原治(ポレポレ東中野)コメント
生も死も、交わらない2つの物語も、翳りの中でスペクトラムに関わり合っている。
ショットの一つ一つ、その一秒一秒が、目の前からはぐれてしまった世界との関わりを取り戻そうとするかのように。
そこに映画の呼吸が生まれている。
全10,063秒。こんな呼吸を共にするために映画館の暗闇がある。
「曖昧な楽園」を映画館で味わってほしい。
ポレポレ東中野 @Pole2_theater
東京国際映画祭に出品された「曖昧な楽園」公開日決定、諏訪敦彦らのコメントも到着 https://t.co/uF2Akwt6mF