新興宗教団体の2世信者の姿を描いた「
2018年に公開された本作は、新興宗教の組織にして政権与党の政治団体でもある「種子の会」の信者を親に持つ2人の男と1人の女を巡る物語。自らの信念を疑いながらも団体の中で生きる則夫と大和、そして団体を離れシングルマザーとなった慈が、失踪した教団のカリスマで父親的存在の森山に再び会いに行くさまが描かれる。
監督を務めたのは、「へばの」「愛のゆくえ(仮)」の
ポレポレ東中野では上映後に「『宗教・政治・家族』を巡って」と題したトークイベントを連日開催。木村のほか、SF・文芸評論家の
木村文洋 ステートメント
映画「息衝く」を2010年頃から数多くのキャスト・スタッフ、協力者とともに製作し、2017年より上映してきました。本作は二世信者を主人公にした映画であり、私の10代の人生経験、親族、友人のことが根本にありました。スタッフとの共作で一個人の体験や問いを超え、様々な方の生きる課題を見つめる映画になったかと思います。いま改めて、この国の長年の信仰と社会との関係が問われています。ひとはなぜ迷いながらも自分以外のもの──家族、社会、信仰を必要とするのか。そしてひとは自分が生きている間の時間にどうにかできる分からない問題に直面したとき、なにを選んでその問題と関わりを持ち直していけるのか。いま改めて、この問いに見つめ返されている思いでいます。本作の再上映で、そうした問いを私たちの日常から考えていける機会にできれば幸いです。
宮台真司(社会学者) コメント
政教分離の意味は二つある。
第一:政治が特定宗教を贔屓しないこと。
第二:宗教が「信者なら××せよ」と政治動員しないこと。
後者が難しい。価値観に基づく政治参加は大切で、その価値観は宗教に由来してよい。だが「信者なら××せよ」は範囲を超えるのだ。どう超えるのかを一言で述べづらい。「息衝く」はその難しさに「社会」ならぬ「実存」の側から切り込む。宗教二世なら覚えがあろうが、「信者なら××せよ」という命令に従うことと、宗教的信念に従うことの、微妙かつ大きな違いは、実存の側から見て初めて判るのである。
木村文洋の映画作品
リンク
ポレポレ東中野 @Pole2_theater
新興宗教の2世信者描く「息衝く」がリバイバル、東京・大阪で緊急上映(予告あり / コメントあり) https://t.co/mZ0HRL57rQ