本作は、人生の岐路に立つ女性2人が織りなすささやかな物語。脚本家を目指しながら恋人の帰りを待つルイ、精神疾患によって舞台俳優の活動を離れている芽衣子の姿が描かれる。キャストには
濱口の監督作「偶然と想像」で助監督を務めた深田。濱口は「横浜に通い、ロケハンも撮影もして来た者として、本牧あたりの無機質で何処か人間の存在を小さく感じさせる『あの風景』を写し取る詩的な感性に素直に驚く」と述べている。そのほかのコメントは下記の通り。またこのたび、本作が6月4日より東京の池袋シネマ・ロサにて単独レイトショー公開後、全国で順次上映されることが決まった。
諏訪敦彦 コメント
居場所を失い、この世界から忘れられてしまう不安を抱えて、ふたりは惑星のように物語を彷徨う。しかし、その感情は安易なドラマに飲み込まれることなく、ひとつの光学装置となって世界へと折り返される。その無垢なる視線が発見するのは純粋な体験としての世界の光景=映画なのだ。
濱口竜介 コメント
横浜に通い、ロケハンも撮影もして来た者として、本牧あたりの無機質で何処か人間の存在を小さく感じさせる「あの風景」を写し取る詩的な感性に素直に驚く。ただ、小さくとも人は確かに存在している。やがて、この映画はいつの間にか(と言うほかない)二人の女性の実存を問うものに変貌していく。風景のなかにいた人が、ハッキリと浮き出てくる。この危うく美しい瞬間、この映画は詩であるよりも散文であることを果敢に選び取る。ここに監督・深田隆之の向かう先もあるのではないか。
井口奈己 コメント
奇跡的に出会っても同じ言葉を使っていてもすれ違い離れていく。何度でも何度でも、時間を使い場所を変えて繰り返す。画面から溢れ出る同録の、映ってはいないけど確実にそこにいるであろう人々の生活の音。遠くピントも合ってないところで遊ぶ子どもたち。一見無駄に見えるループだけど、そのループこそが「生きてる」ってことかもしれないし、面倒くさい事に巻き込まれてる、面倒くさい彼女たちの「希望」なのかもしれない。
深田隆之 コメント
横浜市に長く住んでいながら一度も行ったことがなかった本牧という土地。この本牧というエリアで映画を撮れないかと思ったのは2015年初めのことでした。本牧はかつてアメリカ軍に接収されながらその文化を吸収し、音楽を中心とした文化の発信地となりました。しかし、その後の鉄道計画の頓挫により、開発された巨大な建物が多く残るエリアとなっています。接収されていた痕跡も今はほとんど見えなくなり、“陸の孤島”と呼ばれるほどアクセスも悪くなってしまったこの土地に、わたしは歴史の地層とも呼べる複雑な魅力を発見していたのだと思います。「ある惑星の散文」の登場人物たちは様々な不安を抱える人間たちです。恋人との新たな生活が始まらない、自分自身は忘れられるかもしれない、そんな不安と本牧という土地が持つ時間の地層が呼応し合うのではないかと考えていました。終盤、映画館のシーンで芽衣子はささやかな生きる希望を見出します。このシーンはまさにマイカル本牧のがらんどうになった映画館から発想したシーンでした。わたしにとって、土地からシナリオを発想することは「ここには人がいるのだ」という映画を撮影する上での根幹を支えるものなのです。
深田隆之の映画作品
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北村有 | 映画ドラマ本 @yuu_uu_
『ある惑星の散文』、公開6月かー!たのしみ!待ちきれない! https://t.co/9zH4hCVpEl