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90年の生涯で3万点以上の作品を描いた浮世絵師・葛飾北斎の信念と人生を映し出す本作。北斎の青年期を柳楽、老年期を田中がそれぞれ演じた。また永山は戯作者・柳亭種彦役、玉木は浮世絵師・喜多川歌麿役、瀧本は北斎の妻コト役で出演する。
北斎が肉筆画「須佐之男命厄神退治之図」を奉納した牛嶋神社で柳楽らは祈祷を済ませてから、イベントに姿を現した。柳楽は北斎の絵に対し「悪いものを跳ね返し、断ち切るような力がある気がしています」と感想を述べ、「映画が持つ力で悪いものを跳ね返していければ」と話した。関東大震災での焼失後、復元されたという「須佐之男命厄神退治之図」を見た田中は「86歳のときに描いたものだと知ってちょっと驚いています。あちこちで活躍したスサノオにならって、本作もそうなってくれたら」と期待を込める。
続いて話題はそれぞれの役に及び、永山は「種彦は武家の人間で芸術を取り締まる立場でありながら、身分を隠して北斎さんとともに命懸けで発表し続けた人間です。現場で田中さんと初めてご一緒して、俳優である、人間である、そういったこと以上のたくさんのことを教えていただきました。田中さんがいらっしゃるだけで芸術なんだなとすごく感じました」と回想した。さらに「今日も泯さんが作ったお味噌をいただきました」と裏話も。隣にいた柳楽が「僕もいただきました! ありがとうございます」と笑顔で感謝すると、田中は照れたように笑みをこぼした。
北斎の青年期パートでライバルを演じた玉木は「才能がある人たちが集まり、それを取り仕切る(蔦屋)重三郎がいて……というのは、ある意味現代の芸能事務所のようで、重なる部分がありました」と比較。撮影については「柳楽くんの目がすごく印象的で、内に秘めた闘志を感じた」と振り返った。また「包容力と慈愛を持って演じた」と話したのは瀧本。「コトは妻でありながら母のようでもある。北斎さんは自分と闘い続けている人だと思ったので、少しでも安らいでもらえるような空間作りをできたらと」と述懐する。
「実在の人物を描く難しさはあったか」という質問に対し、橋本は「資料ではっきり残っているわけではないので、どうしたら魅力的でふさわしい人物になるのか考えました。最初に抱いた夢を貫き通す姿、そして何歳になっても始めるのに遅いことはないということは僕らにとってもヒントになるテーマだなと。そこは揺るがせず盛り込みたいと思ったんです」と力強く答えた。
終盤には、本作のキャッチコピー「絵で世界は変わるのか?」にちなんで、「芸術で世界を変えられると思うか」という問いが登壇者たちに投げかけられる。柳楽は「僕は思います」と即答し、「アートだったり映画だったり、表現するものを通して僕は勇気をもらえています。時代を超えて刺激を与えてくれるし、1人ひとりのモチベーションを変えていく力がある」と語った。一方田中はかなり悩みながら言葉を紡ぎ、「世界……それはいったいどういう世界を指すのか。みんなが何かに対して、まったく同じことをイメージするとはどうも思えない」「1人ひとりに届くものは絶対にある。ただそれが世界を変えられるか、という言葉がふさわしいのかはわからない。でも、力は絶対あると思います」と論を展開する。
橋本は「僕自身、監督を目指したのは子供の頃に観た映画の影響です。そういう意味では、僕自身の世界は変えられましたね」と言い、「僕の映画を観て監督を目指したと言ってくれた人も知っているし、影響を与えることができたのはすごいなと思う。ドラマや舞台でも同じことだと信じている」としみじみ。続けて「今は映画館が開いていない状態が続いていますが、言語道断だと思う。何の基準も理屈もないまま締め上げられ、映画に触れられない人が日本中にいるのは間違っている。そこについて考えてほしいし、劇場を開けたほうが世のためになると信じて映画を作っています」と弁舌をふるった。
最後に柳楽は「芸術はトンネルにライトを付けるような、出口へ誘導する力があると感じています」「1日も早くコロナが収束して、皆さんに笑顔が戻る日が来るといい。映画の力を信じ、発信していくことを止めずにがんばりたい」と挨拶。田中も「『HOKUSAI』に出していただいて、たくさんのことを勉強させていただいた。一番僕が『うん』と思えたのは、北斎という人はその時代の常識と真っ向から対峙したんだということ」とコメントする。そして「彼こそが人々を愛し、人々の体を克明に描写した最初で最後の人だったのかもしれない。ぜひ北斎に愛されに、映画を観に来てほしいです」と作品をアピールしてイベントの幕を閉じた。
「HOKUSAI」は5月28日より全国でロードショー。
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