文筆家、書店オーナー、雑誌「暮しの手帖」の元編集長など、さまざまな肩書きを持つ松浦。2011年に発表した旅にまつわる自伝的エッセイ集「場所はいつも旅先だった」と同名ながら、映画オリジナルの内容として、世界5カ国・6都市を自ら旅して1本のドキュメンタリー映画を完成させた。
ロケ地に選ばれたのは、アメリカ・サンフランシスコ、スリランカ・シギリア、フランス・マルセイユ、オーストラリア・メルボルン、台湾・台北と台南。朗読で脚本家・演出家の
公開決定に合わせ、松浦、小林、アン・サリーからコメントが到着。松浦は本作について「いつものように文章や言葉ではなく、映画という、僕にとって新しい手段で作ってみようと思いました。あなたと一緒に歩いているかのように」とつづった。また小林は「こんなふうに世界を旅すれば、不安や怖さを感じることもあるはず。けれどこの映画には、常に変わらない安心感がある。それはきっと、松浦監督の視点の軸が、自分じゃなくて相手にあるからだと思った」と伝えている。
松浦弥太郎 コメント
「ただいま」と言うと、
「どうだった? 旅」と聞かれる。
「うん、よかったよ」と答えるけれど、
何がよかったのかを話すのはむつかしい。
家族や友に、あの日あのときあの場所のひとときを話したいけれど、
よかったこととは、目の前で起きたことではなく、
僕の心のなかで起きた、静かな安らぎや、ほんのささやかな喜び、
やわらかくしなやかな気分とか、
そして、すべてへの感謝といういのちの灯火、
心地よい風に包まれたほんとうの自由、というような。
僕の旅は、そういうなんと言ったらよいか、
予定をつくらず、ただちがった街へゆく、
何をしにでもなく、何のためでもない、
ちがった街のちがった一日のなかにいるだけのしあわせ。
忘れていたひとりの自分に出会うために歩く、
まるで「針のない時計」のような旅だと思う。
そんな旅を伝えたくて、いつものように文章や言葉ではなく、
映画という、僕にとって新しい手段で作ってみようと思いました。
あなたと一緒に歩いているかのように。
旅の終わりの早朝、
その街のいちばん高いところへゆき、
遠くかなたにいるあなたへ大きく手を振る僕なのです。
小林賢太郎 コメント
こんなふうに世界を旅すれば、不安や怖さを感じることもあるはず。けれどこの映画には、常に変わらない安心感がある。それはきっと、松浦監督の視点の軸が、自分じゃなくて相手にあるからだと思った。この安心感をそのまま観る人に手渡す。そんな気持ちで、声を添えさせてもらいました。
アン・サリー コメント
予定を決めず気の向くまま流れに身を任せる旅。
大人の身動き取りづらさに加え、さらにコロナの世界になったことで、
自由に旅することは夢のようにさえ想える。
そんな今だから一層、かつての松浦さんの美しい旅の日々、
早朝と深夜の街歩きを追体験すると、
その情景と紡がれる言葉は深く胸に響いてくる。
もうコロナ以前の世界に戻ることはないのではないかと、
振り返れば無邪気だった日常への胸の疼きもどこかにある。
でも映画の最後、夜明けの場面と共に「あたらしい朝」が流れたとき、信じられる気がした。
今、この瞬間にもあの旅する日々は地続きで続いているのだと。
yukky @yukky_1016
文筆家・松浦弥太郎の初監督ドキュメンタリー10月公開、小林賢太郎が朗読で参加(コメントあり) https://t.co/JGBCtup6Xy