ドキュメンタリー「
1970年代に三菱重工爆破事件をはじめ、旧財閥系企業や大手ゼネコンを標的とした連続企業爆破事件を相次いで起こした日本の武闘派左翼グループ・東アジア反日武装戦線をテーマにした本作。「狼をさがして」では出所したメンバーやその家族、彼らの支援者に取材し、東アジア反日武装戦線の思想の根源を紐解いていく。
今回の会見には、配給会社である太秦の代表取締役・
まず横浜シネマリンでの初日となる4月24日に、劇場近くに街宣車2台が現れる。この件については警察からは事前に活動が行われる旨が劇場や配給サイドに伝えられていた。続いて昭和天皇の誕生日にあたる4月29日に数多くの街宣車が列をなし、劇場付近をルートに入れて活動している。
そしてあつぎのえいがかんkikiサイドから小林が聞いた話によると、4月30日に警察から劇場に「団体が5月8日、9日に道路使用許可申請をしている」という連絡が入ったという。5月8日はあつぎのえいがかんkikiでの初日だった。それを受け、翌5月1日早い時間にあつぎのえいがかんkikiの支配人は小林へ「上映を中止したい」と強い意志を伝える。小林は理由を「スタッフ並びに来場者の安全を何より優先したいため」と説明を受けたと述べ、「団体の行動は表現の棄損に当たるため受け入れられない、と思いつつ、支配人の判断を翻す根拠を私も持ち得ていないと考えた」と語る。また「一方的に劇場を責めるのでなく、私自身の問題でもあります」「忸怩たる思いです」と言い、準備対応をもっと厚くすべきだったと振り返った。
その後の5月7日、上映を続けていた横浜シネマリンには街宣車から降りてきた2人組が来訪し、責任者への面会と上映の中止を求めている。スタッフは彼らを建物外へ連れ出し、警察へ通報。警察、小林が現場へ駆けつけて2人と対話した。しかし翌日5月8日も劇場付近では団体による街宣活動が実施されている。
馬奈木は、彼らの街宣主旨が「本作の内容は東アジア反日武装戦線による一連の活動を容認するものである」「本作の上映料が東アジア反日武装戦線の活動資金源になっている」「あつぎのえいがかんkikiは中止をしたにもかかわらず、横浜シネマリンが上映を続けているのは許せない」といったものであると説明。しかし作品内容、上映料に関する訴えについては馬奈木がはっきりと否定した。そして「ミニシアターは多様な表現、価値観が流通する場所として機能していると考えます。言論によらないある種の圧力に対して、表現の自由に携わる担い手の1つが屈することになってはいけない。ただそれを映画館だけに背負わせていいのでしょうか。そういった圧力があってはいけないと社会通念として確立していくことが求められると思う」と論を展開していく。なお上映に反対する団体は1つではなく、複数が動いているという。
会見中、話題は映画内容や公開意義にも及んだ。本作を初めて観たときのことを小林は「本当に驚きました」「私の会社ではこれまでにアジアにおける近現代史を扱った作品を多く公開している。観てしまった以上やらねばならない作品だと思った」と回想。「東アジア反日武装戦線の思想をたどりながら、彼らの目指したものや失敗したこと、そして失敗後に彼らがどのような生を営んでいたのかを描いた作品です。思想をただ肯定的に映したものではない」と強い口調で伝え、「加害に気付いた人々が加害者になってしまった。そういうことがあり得るんだと。どういうふうに彼らがものを考え、自己総括していったのか非常に興味があった」と思いを口にする。監督であるキム・ミレには、会見を終えてからまとめて事態を報告すると語った。
太田も「東アジア反日武装戦線のメンバーは、日本社会がほとんど気付いていなかったことを正面から問題提起しました。しかしそれを政治的行動の中で実践したときに、あまりにも重大な過ちを犯した」「今まで多くの人々が封印してきた、衝撃的な事件だった。生半可には考えられない」「だが過去と向き合わなければ、今直面している問題は解きようがないと、この映画を媒介にして学び取らなければと思います」とメッセージを送った。
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