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本作は1969年5月13日に東京・東京大学駒場キャンパスで行われた三島と東大全共闘の討論会の様子を切り取ったドキュメンタリー。当時の映像を用いながら、関係者をはじめとする13人の証言から全貌に迫っていく。東出昌大がナビゲーターを務めた。3月20日に封切られ、現在もロングラン上映中だ。
刀根は「放送では流れて埋もれてしまう。映画というパッケージにして残さないと、50年後まで残らないんじゃないかと。今自分にできる残し方で正直にさらけ出そうと思った」と制作の動機を語る。三島が自決した翌年、1971年生まれの豊島に監督をオファーした意図については「豊島監督は(東大出身で)駒場で4年間学んでいて、構えずにこの討論を解読してくれると思って。監督の映画は登場人物がチャーミングなので、三島や全共闘のメンバーの魅力も明確に伝えてくれると考えました」と明かした。
豊島は、東京・市ヶ谷での割腹事件(三島事件)に触れつつ「問題が大きすぎて、自分が臨めるわけないなと。でも(討論会の)三島由紀夫が生き生きと輝いている映像を観て、このとき彼はどういう状況だったのか?とたどるのであればできると思い、制作に踏み切れました」と振り返る。インタビューは豊島自ら行ったが、全共闘の論客・芥正彦への取材は最後の最後に実施。「三島と対等に話ができて、三島も認めているような人で、写真を見ると怖い! すごく叱られるだろうなと思ってたんですが、案の定叱られました……」と苦笑した。
イベントでは、本編からカットした内容にも言及。三島が結成した「楯の会」のメンバーだった3名へのインタビューについて、豊島は「楯の会と言うと、制服で行進して敬礼する、保守反動というイメージで。どんだけ怖いんだろう……と思っていたのですが、皆さん非常に紳士的でした。11月25日の事件について『もし自分が呼ばれていたら(割腹した三島を介錯し自らも自決した)森田必勝のようにできただろうか?』と50年ずっと問い続けている人もいれば、『なぜ自分は(市ヶ谷での決起に)呼ばれなかったのか?』という悔しさを持ち合わせていたり、その思いの重さが印象的でした」と述べる。「ただやはり全共闘との討論とは直接関係ないので、泣く泣く本編から落としました」と残念がった。
そして豊島は「討論の様子は書籍でも記録に残っていますが、それを読んだ人が映像で観ると『そういうことだったのか!』と思えるはず。つまり、文字では残せないことが残っている。例えば三島由紀夫がこう言ったとき、観客はどう笑うのか? 三島が何を見て笑っていたのか?が見えてきます」と“映像”が持つ力をアピール。刀根は「あの場にいて、あの熱い空間を作った皆さん、それを記録として残した皆さんに本当に敬意を表したいですし、私たちもこの熱量を下の世代に受け継いで、日々がんばらなきゃと思います」と語った。
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