3月17日に79歳で永眠した
1939年11月17日に兵庫県で生まれた内田は、1959年に日劇の「ウエスタンカーニバル」でデビューして以降、ロックンローラーとして活躍。俳優としても多くの作品に参加しており、近年では2017年製作の「星くず兄弟の新たな伝説」にロックの神様役で出演している。また、年越しオールナイトイベント「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」のプロデュースをライフワークとし、2018年の第46回で「朝日のあたる家」など4曲を歌い切ったのが最後のステージとなった。
妻で女優の
自身の葬送について生前から希望を伝えていた内田。葬儀委員長を務めた元ザ・スパイダースの田邊昭知をはじめ業界をともに開拓してきた仲間が運営することや、青山葬儀所で開催することに加え「メジャーに盛大に!」という希望通り、会場には自身のイラストとともに「内田裕也 Rock'n Roll葬」と書かれた巨大な看板などにぎやかな装飾が施された。祭壇は、
開式直後には、第46回「NEW YEARS WORLD ROCK FESTIVAL」の映像とともに、内田の「僕は今、あの世にいます。Rock'n Rollで生きて、Rock'n Rollで死んでいけたことに感謝いたします」というセリフが流れる。弔辞では、まず親交の深かった
続けて、
最後に喪主を務めた娘・
囲み取材には、崔と本木のほか、
時折冷たい風が吹き込む場面もあったが、穏やかな日差しに恵まれたお別れ会には、
戒名は「和響天裕居士(わきょうてんゆうこじ)」。「響」と「和」は也哉子と本木の希望で組み込まれ、「和」には天上でも音楽を奏で続け平和を願う意味が込められた。なお「響」は世に響かせるという意味があり、樹木には世を映し出す「鏡」を用いた「希鏡啓心大姉」という戒名が付けられている。
内田也哉子 謝辞全文
本日は大変お忙しいところ、父、
私は正直、父をあまりよく知りません。「わかりえない」という言葉の方が正確かもしれません。けれどそれは、ここまで共に過ごした時間の合計が数週間に満たないからというだけではなく、生前、母が口にしたように「こんなにわかりにくくて、こんなにわかりやすい人はいない。世の中の矛盾をすべて表しているのが内田裕也」ということが根本にあるように思えます。私の知りうる裕也は、いつ噴火をするかわからない火山であり、それと同時に、溶岩の狭間で物ともせずに咲いた野花のように、清々しく無垢な存在でもありました。
率直に言えば、父が息をひきとり、冷たくなり、棺に入れられ、熱い炎で焼かれ、ひからびた骨と化してもなお、私の心は、涙でにじむことさえ戸惑っていました。きっと、実感のない父と娘の物語が、はじまりにも気付かないうちに幕を閉じたからでしょう。けれども、きょう、この瞬間、目の前に広がる光景は、私にとっては単なるセレモニーではありません。裕也を見届けようと集まられたお一人、お一人が持つ、父との交感の真実が、目に見えぬ巨大な気配と化し、この会場を埋め尽くし、ほとばしっています。
父親という概念には、到底、おさまりきらなかった内田裕也という人間が叫び、交わり、噛みつき、歓喜し、転び、沈黙し、また転がり続けた震動を、皆さんは確かに感じ取っていた。
「これ以上、お前は何が知りたいんだ」
きっと、父もそう言うでしょう、、、。
そして、自問します。私が唯一、父から教わったことは、何だったのか? それは、多分、大袈裟に言えば、生きとし生けるものへの畏敬の念かもしれません。彼は破天荒で、時に手に負えない人だったけど、ズルイ奴ではなかったこと。地位も名誉もないけれど、どんな嵐の中でも駆けつけてくれる友だけはいる。
「これ以上、生きる上で何を望むんだ」
そう、聞こえてきます。
母は晩年、自分は妻として名ばかりで、夫に何もしてこなかった、と申し訳なさそうに呟くことがありました。『こんな自分に捕まっちゃったばかりに、、、』と遠い目をして言うのです。そして、半世紀近い婚姻関係の中、折り折りに入れ替わる父の恋人たちに、あらゆる形で感謝をしてきました。私はそんな綺麗事を言う母が嫌いでしたが、彼女はとんでもなく本気でした。まるで、はなから夫は自分のもの、という概念がなかったかのように。勿論、人は生まれもって誰のものでもなく個人です。歴とした世間の道理は承知していても、何かの縁で出会い、メオトの取り決めを交わしただけで、互いの一切合切の責任を取り合うというのも、どこか腑に落ちません。けれども、真実は、母がその在り方を自由意志で選んだのです。そして、父もひとりの女性にとらわれず心身共に自由な独立を選んだのです。
二人を取り巻く周囲に、これまで多大な迷惑をかけたことを謝罪しつつ、今更ですが、このある種のカオスを私は受け入れることにしました。
まるで蜃気楼のように、でも確かに存在した二人。私という二人の証がここに立ち、また、二人の遺伝子は次の時代へと流転していく、、、。
この自然の摂理に包まれたカオスも、なかなか面白いものです!
79年という永い間、父がほんとうにお世話になりました。
最後は、彼らしく送りたいと思います。
Fuckin' Yuya Uchida,
don't rest in peace
just Rock'n Roll!!!
2019年4月3日 喪主
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