津川雅彦が心不全のため78歳で死去

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津川雅彦が8月4日に心不全で死去していたことが、所属事務所への取材で明らかになった。78歳だった。

2016年10月、第29回東京国際映画祭のレッドカーペットイベントに出席した津川雅彦。

2016年10月、第29回東京国際映画祭のレッドカーペットイベントに出席した津川雅彦。

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1940年1月2日生まれ、京都府京都市出身の津川。日本映画の父と言われる牧野省三を祖父に持ち、父が沢村国太郎、母がマキノ智子、兄が長門裕之という芸能一家で育つ。津川は子役として活動しながら、1956年に「狂った果実」で本格的に俳優デビュー。石原裕次郎の弟役を務め知名度を上げる。日活の看板俳優となったのち、松竹へと移籍。松竹ヌーヴェルヴァーグとして知られる大島渚の「太陽の墓場」「日本の夜と霧」、吉田喜重の「ろくでなし」「甘い夜の果て」などへ出演を果たした。

1970年代にはドラマ「必殺」シリーズの悪役で再ブレイクを果たし、1980年代からは伊丹十三監督作の常連俳優に。「マルサの女」で第11回日本アカデミー賞最優秀助演男優賞を獲得したほか、「あげまん」「スーパーの女」などに出演。そのほか「プライド 運命の瞬間」の東條英機役、NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」の徳川家康など数々の映画やドラマで活躍し続けた。

2006年にはマキノ雅彦名義でメガホンを取った「寝ずの番」で映画監督デビュー。監督としてはそのほか「次郎長三国志」「旭山動物園物語 ペンギンが空をとぶ」を発表している。妻は4月に亡くなった朝丘雪路。そして女優の真由子が1人娘だ。彼女が生まれた際、津川は我が子の誕生でもたらされた大きな感動に対し、父親として何かできることはないかと考え玩具販売店「木のおもちゃのグランパパ」を設立した。

映画監督の金子修介は、自身のTwitterで「驚きと悲しみで少し気が遠くなるような感じがしてます。何本も出て頂き、たくさん遊んでもらいました……アサヒビールピュアゴールドのCMで知り合い、学校の怪談3、ガメラ3、GMK、デスノート……ありがとうございます。楽しかったです。ご冥福をお祈りします」と追悼のコメントを投稿した。

葬儀はすでに近親者のみで済ませており、後日、お別れ会が執り行われる予定だ。

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