ロシアの監督
1793年に開館したフランスのルーヴル美術館で撮影された本作は、ドイツによる侵略を受けた第2次世界大戦期を軸に、現在と過去を往来しつつ同館に刻まれた歴史を描く。公式サイトおよびYouTubeにて公開中の予告編には、ルーヴル美術館に収蔵された名画や彫刻の数々やナポレオン、フランスを擬人化したイメージであるマリアンヌなどの姿が流れるようなカメラワークで切り取られている。
「エルミタージュ幻想」でロシアのエルミタージュ美術館をワンカットで捉えたソクーロフは「ルーヴル美術館で映画が撮れるチャンスが持ち上がったとき、すぐに乗り気になった。エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、プラド美術館、大英博物館で、アートフィルムを連作で撮ることが私の夢だった」とコメント。また「本作は、失われてしまったものへの鎮魂歌であり、人間の勇気や魂、そして人類をひとつにするものへの賛美歌である」と作品について語っている。
アレクサンドル・ソクーロフ コメント
美術館について
美術館のコミュニティというのは、文化的な世界において恐らくもっとも安定した部分だ。美術館がなければどうなるだろう? 美術館は、過去の偉大で壮麗な文化を我々に見せてくれる。それは、我々が今日作り出せる何物よりも壮大で賢いものだ。ルーヴル美術館、エルミタージュ美術館、プラド美術館、大英博物館のレベルは常に圧倒される。エルミタージュ美術館に初めて行ったのは27歳のときだった。私はとても無学な家の出身で、とても無知だったのだ。
パリからはルーヴル美術館、あるいはロシアからエルミタージュ美術館、こうした歴史的建物がなくなるとどうなるだろうか? 海に浮かんだ方舟を想像してみよう。人々や偉大な作品たち──本、絵画、音楽、彫刻、さらに多くの本、記録などまだまだ積まれている。方舟の木材は耐えきれず、ひびが入り始める。我々は何を救うだろうか? 命? それとも物言わぬ、掛け替えのない過去の証明か? 本作は、失われてしまったものへの鎮魂歌であり、人間の勇気や魂、そして人類をひとつにするものへの賛美歌である。
ルーヴル美術館で映画が撮れるチャンスが持ち上がったとき、すぐに乗り気になった。エルミタージュ美術館、ルーヴル美術館、プラド美術館、大英博物館で、アートフィルムを連作で撮ることが私の夢だった。我々の依頼に対して、ルーヴル美術館の管理部門が熱心に対応してくれたことは喜ばしいことだった。そしてカメラマンのブリュノ・デルボネルと仕事をする機会を持てるというのは、純粋に楽しいことだった。彼は卓越した巨匠であり、偉大な芸術家だ。こうした状況の組み合わせはそれだけで驚嘆すべきことだ。
ストーリーに関して
パリは、美術館の都市、人間主義に深く根ざした都市であり、文化の中心地である。第二次世界大戦でパリが爆撃を受けていたとしたら、それはあらゆるものの終焉、取り返しのつかない出来事であった。しかし奇妙なことに、それは起こらなかった。パリ以外のあらゆる場所で、すべてが爆撃を受け燃やし尽くされる一方、兵士たちは略奪し、軍のトラックは戦利品を持ち去っていったが、パリは、救済の安息地だった。ドイツ占領時代のパリの古い写真では、兵士がカフェに腰を降ろし、劇場へ向かう姿が見られる。通りには自転車に乗ったり散策したりするフランス人の若い男女がいた。それは輝かしい平和が降って湧いたかのようだ。
敵同士のように見えるが、敵ではなく、互いに多くの共通点があったルーヴル美術館館長ジャック・ジョジャールと、ナチス占領軍を代表するヴォルフ・メッテルニヒ。第2次世界大戦中において、彼らが出会い、衝突し、そして助け合った時期が本作の大半を占める。この2人はほぼ同じ年齢であり、美術品を守り、保存するという同様の使命感を抱いていた。戦争という最も困難な状況であり、それほど影響力が大きいとは言えないこの2人が、武力攻撃を中断し、ルーヴル美術館の偉大な芸術コレクションを保存することに成功した。ソビエト連邦、ポーランドあるいはその他の東欧諸国で、似たようなことがまったく起こらなかったのがなんとも深く悔やまれる。
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