観客に作品を楽しんでもらうだけでなく、映画の多様性を守るための場所でもある映画館。子供からシニアまでが集まる地域のコミュニティとしての役割を担う劇場もある。
本コラムでは全国各地の劇場を訪ね、各映画館それぞれの魅力を紹介。今回は福岡県でもっとも古い歴史を持つ小倉昭和館を訪ねた。“北九州の台所”として知られる旦過市場一帯を襲った2022年8月の大規模火災により、劇場が全焼してから1年4カ月。多くの映画人・ファンの支援により“奇跡の復活”を遂げ、本日12月19日にグランドオープンした。
映画ナタリーでは、プレオープンを迎えた12月8日に取材を実施。再開を心待ちにしていた観客の声やオープニングセレモニーの様子を伝える。また、館主の樋口智巳に劇場のこれまでとこれからについて話を聞いた。
取材・
再開を迎えた小倉昭和館、開映の2時間半前から並ぶ客も
12月8日の朝10時、劇場前にはすでに行列ができていた。この日一番乗りだった客は「9時に来ました!」と張り切っている。プレオープンの8日と9日は、各日抽選で100名が招待され、11時30分から「
劇場いっぱいの観客に迎えられた館主の樋口智巳は、顔見知りの客に「座り心地はどう?」と問いかけ、久々の再会を喜ぶ。オープニングセレモニーが始まり、彼女が「去年の8月10日の火災から1年4カ月。復活いたしました。皆様のおかげでございます。本当にありがとうございます!」と挨拶すると、客席からは拍手が起こった。続けて樋口は「街の小さな小さな映画館が、すべてを失いました。その中でこうやって立ち上がり、短期間でこれだけのものができるのは、1万7000筆を超える署名、その方々が私の背中を押してくださったからです」と感謝を述べる。
小倉昭和館は1939年に創業。戦時中から戦後にかけて、樋口の祖父にあたる初代館主・樋口勇が築き上げ、2代目館主の父・昭正が映画全盛期から斜陽化の時代にさまざまな工夫を凝らしながら劇場を守り続けてきた。2012年から3代目館主を担う樋口は「この街の方々は新しいもの好きです。だけど古いものもちゃんと守ってくださっている。だからこそ昭和館があるのだと思います」と話す。火災で倒れ、がれきの中に埋もれていたネオン看板は、以前から親交のあった北九州市出身のリリー・フランキーの助言によって、新しい劇場の受付横にも残されている。新旧のネオン看板について、樋口は「あれだけの火災の中で残って、また輝く。それは何より私の励みですが、皆様の励みにもしていただければ幸いでございます。これから先もずっと、火災の前の83年に負けないように、歳を重ねていきたいと思います。皆様の映画館です」と語った。
新しい劇場には、最新のデジタル映写機と、再建が決まる前から声を掛けてくれていたという映像機器会社・モノリス寄贈の35mmフィルム映写機を導入。スクリーンは1つで、座席数は134席と、以前より規模を縮小した。座席には小倉昭和館に縁のある映画人の名前が刺繍されており、「今日は青山真治監督の席を目掛けて来ました!」と話す客も。また、映画監督・平山秀幸の名前が入った席に座り「初めて一言セリフをもらったのが平山監督だったんです」と語るのは、映画好きで、地元で撮影される作品のエキストラによく参加しているという女性だ。彼女は「ニュー・シネマ・パラダイス」の上映について「再開にふさわしい作品で、涙がボロボロ出ました」と感慨深げに話し、「今までのように、いろんな監督や俳優がざっくばらんにお話ししてくださる小さな劇場ならではのイベントを、これからもやってほしい」と期待を込める。北九州・八幡西区から駆け付けた夫婦は「高倉健の作品もまた観たいね。『あなたへ』とかもよかったもんね」と笑顔を見せた。
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小倉昭和館 @showakan
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こんな素敵なコラムでご紹介頂いていました!