1本の中国ドラマが日本の視聴者のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。膨大な中国語の情報を限られた文字数の中で翻訳し、物語やキャラクターの魅力、世界観を届ける字幕翻訳者もその1人だ。
映画ナタリーでは「三国志~司馬懿 軍師連盟~」「黒豊と白夕~天下を守る恋人たち~」などを手がけた神部明世と「マイ・サンシャイン~何以笙簫默~」「これから先の恋」などを手がけた三浦美穂の対談をセッティング。前編では長年中国ドラマの翻訳に携わってきた2人に、中国語との出会いや、中国ドラマ人気上昇に伴って起こった変化、忘れられない作品について語ってもらった。また時代劇と現代劇はどっちが大変? 面白い作品は翻訳が捗る?といった質問もぶつけている。
さらに後編では「これから先の恋」「黒豊と白夕」のセリフをピックアップし解説。翻訳の思い出も振り返ってもらった。お楽しみに。
取材・
中国語との出会い
──まずはお二人と中国語との出会いを教えてください。
三浦美穂 出会いは学生のときに観た「ラストエンペラー」です。歴史に翻弄された溥儀の姿と、えも言われぬおどろおどろしい雰囲気とスケールに圧倒されました。大学では史学科に入って、第2外国語で中国語を選択したんです。音楽のように流れる中国語の響きに興味を持ち、自分でもしゃべってみたいなと思って。大学時代一番勉強したのは歴史ではなく中国語です(笑)。そのあと、北京に1年留学しました。
神部明世 私は高校生の頃に中国雑貨が流行っていて、中国のものってかわいいなと思うようになったんです。その後、チベットにも興味が出て、何か関連したものを学べるところはないかなと軽い気持ちで大学の中国語学科に入りました。でも入学後に、自分の選択は間違っていたかなと思い始めまして(笑)。中国語はすごく難しいし、みんな勉強ができるのに全然付いて行けなくて、4年間劣等生だったんです。だから中国語関連の仕事に就くのは無理だなと。
──学生時代はあまり中国語に前向きではなかったんですね。
神部 そうだったんです。でも、番組作りがしたくて入社したNHKで「中国語できるでしょ」と言われて、「中国語会話」という教育番組に配属されることになったんです。入社して4、5年経った頃だったんですが、まさか、そんなことになるとは!という感じで(笑)。中国語は苦手だったんですが、学生時代に香港四天王のブームが来て、レオン・ライ(黎明)のファンだったんです。番組の中で映画やドラマ、音楽を紹介するコーナーをやろうよ!ということになって、そこから楽しくなりました。学校の勉強として学ぶのではない中国語は楽しいんだなと。エンタメの力を感じましたね。
──お二人はどのような経緯で字幕翻訳家の道に進んだのでしょうか?
三浦 北京から帰国したあとに日中関係の団体に就職したんです。でも、生の中国語を吸収したくて、中華系の企業に転職しました。その子会社が中国の番組を放送するCSチャンネルを運営していたんです。それまでは中国の番組をそのまま流していたんですが、視聴者を増やそうと日本語字幕を付けることになりまして。たまたま違うフロアで働いていた私に声が掛かりました。
──翻訳学校に、通われていたわけではないんですね。
三浦 そうなんです。流れに身を任せていたら字幕翻訳者になっていました。最初に携わったのはCSチャンネル「楽楽チャイナ」で放映された「大清風雲」というドラマで。「さらば、わが愛/覇王別姫」のチャン・フォンイー(張豊毅)とか、「紅いコーリャン」のジャン・ウェン(姜文)とかそうそうたるキャストが出ている作品だったんです。そんな大作を字幕のルールさえわかっていない人間が担当するなんて、今ではあり得ないことなんですが、最初に「大清風雲」に携わることができて、字幕翻訳の仕事は面白いなと思いました。翻訳自体はすごく難しかったんですが、ドラマと同じ清の時代をテーマに卒論を書いていたので、身近に感じていたのが奏功したのかもしれません。
神部 私は出産をきっかけに当時勤めていたNHKを辞めたんですが、何か仕事を始めようと考えたときに、番組制作で触れたドラマ翻訳がすごく楽しかったことを思い出したんです。字幕翻訳の仕事なら家でもできるし、トライアルを受けてみたら、運よく、拾っていただいて。ベテランの方との共訳で、ドラマの翻訳をやることになりました。
──三浦さんと同じく、翻訳学校には通われていなかったんですね。
神部 そうなんです。だからルールも本を読んだだけでした。最初のお仕事をもらうまでは早かったんですが、とにかく仕事を始めたばかりの頃は全然ダメで。1本目を納品したら、数日後に半分以上修正されている状態で返ってきたんです。「このままだったら降りてもらいます」と言われてしまって。こんな感じでいいかなと納品したものが、完全にダメだと返ってきた。そこで仕事としてやっていく厳しさを知りました。チェック担当の方が、情報の処理の仕方や表記の仕方など、1つひとつ全部教えてくれて、ぎりぎりつないでくださったから続けられています。すごく気が引き締まりましたし、今も本当に感謝しています。
──当時、指摘を受けたことって覚えていますか?
神部 字幕翻訳の仕事ではセリフやナレーションを字幕ごとに区切ったものをハコと言うんですが、1つのハコにどの情報を入れるかを自分の中できちんと整理しないと伝わらないと言われました。このハコはこの情報、このハコはこの情報を伝えるためのものと1つずつしっかり認識しないとダメだと。なんでもかんでも訳して情報を入れればいいというわけではなく、伝えようとすることが大事だとそこで理解したんです。あとは、悪口がたくさん出てきたんですが、罵り合う場面で「バカ」という言葉ばかりを使ってしまって。バカは多用すると日本ではきつく感じてしまうから、言葉を右から左に置き換えていくだけではダメだと指摘されました。同じ意味合いの罵る言葉でも、日本語と中国語だと受け手の感じ方も違うんだなと。
字幕翻訳の作業工程とは?
──中国ドラマの字幕翻訳のお仕事を受けたあとは、実際どんな工程があるんでしょうか?
神部 まずは映像とスクリプト(セリフを書き起こしたもの)、こういうルールで進めるよという表をクライアントから送ってもらいます。その後は、字幕制作ソフトを使って作業していくんですが、翻訳者の9割8分ぐらいがカンバスさんという会社のSST(Super Subtitling System)というソフトを使っています。SSTに映像を取り込んだら、俳優さんのしゃべり出しから、セリフ終わりに合わせて、映像にIN点とOUT点を打ち込んでタイミングを取って、ハコにしていきます。その作業が終わったら、そのハコに翻訳した字幕を打ち込んでいくんですが、1秒4文字、1つの字幕は6秒以下にするというのが基本的なルールなので、文字数と秒数にあわせて日本語字幕を作っていきます。そのあとは映像と字幕を流しながらレビューして、ブラッシュアップしていきます。
──45分前後のドラマの場合、1話の字幕を制作するのにどれぐらい時間が掛かりますか?
三浦 作品によって変動するんですが、だいたいスポッティングとスクリプト貼りに半日、下訳を作るまでに2日。そのあとは、時間を掛けられるときは2日ぐらい推敲します。4日、5日くらいあるとありがたいですね。
(※編集部注:スポッティングは映像にIN点とOUT点を打ち込んでいく作業)
神部 仲間内では週にドラマ1話のペースだとすごく余裕があるスケジュールだよねと、話しています。でも、皆さん何本か並行していたりもするので、週に2本ぐらいのペースで、月に6話から7話ぐらい翻訳することが多いです。
──翻訳を始める前に、例えば台本を最終話まで読んだり、全話観たりするんですか?
三浦 それができたらいいですよね。でもスケジュール的にかなり厳しい。もちろん全部観てから翻訳している方もいらっしゃるとは思うんですが。
神部 今は作品が日本に入ってくるペースが早いので、全話観てから訳していると追い付かない。ただ翻訳する前に知っておきたい情報はあるので、あらすじを読んだり、このキャラクターは誰とくっつくのか、最終話まで生きているのか、といった大切な部分は事前に把握しておきます。翻訳しながら、戻って調整することもありますね。「バッド・キッズ 隠秘之罪」のようなサスペンスドラマや、伏線が張り巡らされているタイプのものは、どうしても最後まで観ないと訳せないこともあるので、その場合は全部観てから翻訳していくこともあります。
──現代劇と時代劇では、翻訳に掛かる時間も違いますか?
三浦 現代劇のほうが早いですね。サクサク進むことが多い。時代劇の場合は、その時代特有の言葉もありますし、意味がわからない言葉が出てくる頻度も高いんです。それを調べて理解するのに時間が掛かります。
神部 これは日本語と中国語の違いでもあると思うんですが、中国語の場合、史書から引用された言葉や、古い中国語がそのまましゃべり言葉になっている場合もあって。時代劇の翻訳では、まったく意味がわからないセリフを調べてみたら、実は書物の一部分をまるまる引用していたなんてこともあったり。そうなってくると、漢文を勉強して、書き下し文にしていく作業が必要になるんです。ただ現代劇でも裁判の場面とか、警察の捜査シーンで急に詰まっちゃうこともあります。
三浦 専門用語が多くて、苦労する作品もありますよね。現代劇は時代劇に比べると作業スピードは速くなりますが、その代わり早口で情報量が多く、言葉の取捨選択が難しい場合もあります。
神部 開けてみないとわからないですよね。ライトな時代劇の場合はサクサク進む場合もありますし。でも、皇帝がしゃべり出すと途端に難しくなったり。朝議が始まるとやめてくれー!って思うこともあります(笑)。
一同 あはははは(笑)。
神部 担当する話数によっても、難易度に差があって、戦闘ばかりのシーンで構成されている回と戦略を練っている回では全然違う。複数人で共訳する場合は、交互に割り振っていくので、どの回を担当するかによっても作業の時間は変動すると思います。
──現代劇と時代劇だと注意するポイントも違いますか?
神部 クライアントの意向にもよるんですが、現代ドラマの場合は「~だわ」といった女性言葉は使わず、自然なセリフにしてほしいと言われることがあります。ここ数年、女性言葉は使用しないでほしいと言われることは増えています。逆に歴史ドラマの場合は、女性っぽい言い回しを使って、キャラクターにたおやかさを出すこともありますね。あとは、時代劇の場合、漢語は使わず、和語を使ってほしいとオーダーされることが多いです。
──それはどういう理由なんでしょうか?
神部 「情報」とか「愛情」「現実」といった漢語を使うと字幕が今っぽい雰囲気になるんです。時代劇には和語を使うというちょっとねじれた現象が起こっています。
三浦 例えば「報告」という言葉だったら、「便り」とか「知らせ」に言い換えます。同じ意味を持っていても、言葉の選び方で世界観が一気に崩れてしまうので、時代劇を翻訳するときには注意していますね。なかなか難しい部分なんですが。
中国語と日本語では同じ時間で話せることに3倍ぐらいの差がある
──中国ドラマは話数も多いですが、何人かで共訳することが多いですか?
三浦 1人の場合もありますけど、3人前後が多いですね。
神部 そうですね。中国ドラマの人気が高まってきた影響で、最近は本国での放送から日本上陸までがすごく早いんです。2カ月で仕上げなきゃいけないというスケジュールだと、40話を5人でやったりすることもあります。
──共訳する場合、主人公の一人称を僕か俺にするかなど、皆さんで相談しながら世界観を共有するんでしょうか?
神部 基本的には1話を担当する人が大体のことを決めて、それにあわせていくことが多いですね。
三浦 1話の担当になると、オープニングやエンディングの歌詞訳を任せてもらうことも多いので、責任重大ですよね。受け持つとすごく緊張します。もちろん1話の人がすべて決めるというわけではなくて、作業を進める中で、制作会社の方や翻訳者同士で世界観をすり合わせていきます。
神部 複数人で翻訳するときは、例えばAの前で話すときの一人称は俺だけど、Bの前で話すときの一人称は僕だったり、この人には敬語を使って、この人にはタメ口だったりという情報を全部Excelに記入して共有していくんです。大変な作業ではあるんですけど、日本語と中国語の場合は一人称も二人称も数が違うので、それをやらないと統一できない。
──お仕事をする中で、中国語と日本語の違いを感じる場面は多々あると思います。
神部 決められた文字数の中で伝えられる情報量が全然違いますね。中国語だったら短いセリフで伝わることも、日本語だとたくさんしゃべらなきゃいけない。おそらく同じ時間で話せることに、3倍ぐらいの差があると思います。
──確かに、例えば「私はあなたを愛しています」は日本語で15音ですけど、中国語だと「我愛你(wo ai ni)」で4音ですよね。
神部 ドラマのセリフを訳していると、日本人と中国人の物事を考えるスピードも違うんじゃないかなと思うことがあります。中国語の場合、方向補語といった動作を表す言葉も、人間関係を表現する言葉も少ない音で表現できる。だからすごく悔しいときがあるんですよ。このキャラクターはこんなにいいこと言っているのに、字幕では情報を伝えるだけしかできないって。中国語の場合、直訳したら画面が文字だらけになってしまうので、捨てざるを得ないことも多いんです。凝ったセリフだと、もったいないと思うことがあります。韓国語の翻訳者さんとお話ししたときに、韓国語と日本語は、情報量が同じぐらいだと言っていて、面白いなと思いました。
三浦 中国語は足し算の言語、日本語は引き算の言語だと言われることもありますよね。先ほど神部さんもおっしゃってましたが字幕翻訳は基本1秒4文字という決まりがあるので、中国語の膨大な情報量をどれだけわかりやすく、簡潔に、洗練された日本語にしていくかが、難しさであり面白みだと思います。
神部 中国語翻訳には情報を取捨選択して、ぎゅっといいものにする楽しさがありますよね。英語のセリフを訳すときに、直訳で全部入れることができたりすると、それを実感します。もちろん英語翻訳、韓国語翻訳にはそれぞれの難しさや楽しさがあるはず。韓国語は逆に捨てられない難しさもあるのかなと。
思い出深い1本
──お二人はこれまでさまざまな作品の翻訳を手がけてきたと思いますが、その中で印象深いドラマはありますか?
三浦 「みるアジア」で配信されている「白鹿原(はくろくげん)」は思い出深い1本ですね。清朝末期から新中国にかけての、3代にわたる白家と鹿家の恩讐を描いた大河ドラマなんです。映像が素晴らしくて、西安郊外の荒涼とした大地がありありと感じられます。まさに「黄色い大地」(1984年、チェン・カイコー監督のデビュー作)です。翻訳時は毎日映画を鑑賞しているような気分に浸っていました。あとおいしそうな料理がよく登場するのもポイントです(笑)。中国ドラマって土地柄を表現できるからか料理が頻出する作品が多いんですよね。なので、自分で作成している単語リストには料理名がたくさんあります。
── “飯テロ”ドラマもけっこうありますよね。
三浦 あとは、
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──作品として面白いものって、翻訳作業も捗りますか?
三浦 それはありますね。それこそ条件反射的に、自然に日本語が出てくる。「マイ・サンシャイン」はそういう作品だったと記憶しています。
神部 翻訳していて楽しい作品でしたよね。仕事をしながら俳優さんの魅力を発見できるのもこの仕事の楽しみの1つかなと。
三浦 そうですね。新しいスターの誕生を予感したり。
神部 俳優さんの日本に最初に入ってくる作品の翻訳ってすごく楽しいんですよ。最初に訳したの私だよ!って。もちろん1人でやるわけじゃないんですけど(笑)。「晩媚と影~紅きロマンス~」の翻訳をしているときに、
三浦 私はバイ・ジンティン(白敬亭)が出てきたときに、いい役者さんだなと感じました。
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──逆に面白みを感じない作品は翻訳作業も難航することはありますか?
神部 中国ドラマは当局のチェックなどさまざまな理由で、もともとのものから編集されて短くなっていることもあるんです。シーンがカットされたことによって物語をスムーズに理解するのが難しくなっている場合は、視聴者の方が違和感なくストーリーを追えるようにクライアントと相談しながら字幕でできる限り工夫することはありますね。ただそれは翻訳という作業とはまた違った手の入れ方なので、できるだけないには越したことはないと思っています。
──神部さんは、手がけた作品の中で思い出深いものはありますか?
神部 2011年に携わった作品は忘れられないですね。好きな俳優さんがプロデュースして、出演もしている作品だったんです。当時、東日本大震災があって、大きな不安の中で生活していたんですが、そのドラマを翻訳しているときだけは、作品の世界観に入ることができた。仕事をしていて、エンタメの力をものすごく実感したんです。それまでは自分が訳したものを、視聴者に観てもらうという気持ちが強かったんですが、そのときに見る側の気持ちがよくわかったんです。特別な体験でした。あともう1本、とても印象深いのが「三国志~司馬懿 軍師連盟~」です。
──軍師・司馬懿(しばい)の視点から三国時代を描いた作品ですね。
神部 とても難しい作品ではあったんですが、とにかく脚本がものすごく面白い! 翻訳していて、なんでこの人がこんなセリフを言うんだろうという違和感がまったくない作品だったんです。なぜこんなことを?と思ったら、必ず物語の中で拾ってくれる。伏線も張り巡らされているんですが、必ず回収してくれて、翻訳していてとても気持ちがよかったんです。本当に苦労したんですが、達成感、充実感が一番あった作品ですね。Twitterで感想を書いている方も多くて、放送からDVDが発売されるまでの過程で、字幕をよりブラッシュアップできたのも貴重な経験でした。
三浦 SNSで感想を上げてくださるのはすごくありがたいですよね。私は仕事として携わっているのでどうしても一歩引いたところから作品を観ていて、それも大事なことではあるんですが、熱量の高いファンの方がその作品をどう観ているかを知ることも大切だなと思います。
中国ドラマの人気上昇に伴って起きた字幕翻訳の変化
──ここ数年で中国ドラマのファンが増えていると思いますが、お仕事をしていて人気の高まりを実感してきたのはいつ頃ですか?
神部 「お昼12時のシンデレラ」(2014年)がきっかけと言われていますね。休む暇がなくなってきたのは2015年、16年ぐらいからです。正直それまでは、私たちけっこう暇で(笑)。
三浦 そうだったんです(笑)。実は2017年までの一時期、兼業していました。でも神部さんが「今、仕事あるよ!」って声を掛けてくれて。
神部 そうそう。少し前までは、中国で放送されてから日本に来るまで1~2年ぐらい掛かっていたんです。でも今はまだ中国で放送されていない作品も、買い付けが決まっていて、翻訳の予約が入っていることもあります。ありがたい話なんですけど、何カ月も先まで予約が埋まっていて、断るしかない作品もあったり。
三浦 ヤン・ズー(楊紫)とシャオ・ジャン(肖戦)が共演した「これから先の恋」の翻訳を担当したんですが、中国ドラマとは無縁の友達から「anan」に載っているよ!と声を掛けてもらったり。人気が高まっているんだなと実感しましたね。
神部 今まで韓国ドラマを観ていた人が中国ドラマにハマっていたり、ママ友とか子供の友達が観ていたりすると人気が出ているんだなって実感しますね。少し前まではマニアックな趣味だったのがすごく身近なものになってきた実感はあります。
──中国ドラマの人気が上昇することによって、仕事量以外に何か変化はありますか?
神部 人名の表記の仕方は変化してきましたね。昔は視聴者の混乱を避けるために、登場人物の呼び方は統一しなければいけなかったんです。でも、今は時代劇だと姓名以外に字(あざな)があったり、いろんな呼び方があるという文化が定着してきて、字幕にそれを反映することも増えてきました。フルネームで呼ぶときはこんな感情のとき、名前で呼ぶときはこんなときというのが定着してきている。「三国志~司馬懿 軍師連盟~」は、字(あざな)で呼ぶか名前で呼ぶかというのが物語の中でものすごく計算されている作品だったんです。だからできるだけ中国語で呼んでいる通りの、表記にしたいとお願いして字幕を作成しました。統一しないとわかりづらいこともあるので、難しい部分ではあるんですが、可能なかぎり伝わらないことを少なくしていきたいという翻訳者の気持ちからすると、視聴者の方の間で文化が定着してきたことによって、中国の表現をそのまま使えるようになってきたのはありがたいことですね。
(※編集部注:字[あざな]は姓名以外の別名のこと。古代中国では、他人が名[諱]を呼ぶのは失礼だと考えられており、似たような身分の者同士は字で呼び合うのが決まりだった。諸葛亮は諸葛が姓、亮が名、孔明が字となる)
三浦 中国語を理解されている視聴者の方にとっては、音と字幕が異なっていると違和感を覚え、世界に入り込めなくなってしまうということもありますよね。中国ドラマをきっかけに、中国独特の文化が定着してきたり、中国語に興味を持ってもらい原文重視の方向にシフトしたりするのは翻訳者として大歓迎です。
神部 武侠ドラマやファンタジードラマの人名を原音と同じ読み方にするか、日本語読みにするかというのは今すごく変化が来てる時期だと感じます。人名についてはこれからも変わっていくと思いますね。どちらがよいかというのはなかなか判断が難しいですが……原音の名前だからこそ表現できるセリフ遊びもあります。人名を日本語読みにしてしまうとそういった楽しさを生かせないので、残念に感じることもあります。一方で人名を原音読みするドラマの中に、「三国志」の劉備の話題が出てくる場合、「リウベイ」と中国語読みするのではなく、そこは日本語読みの「りゅうび」ですよね。何が正解なのかはすごく悩ましいです。
中国語を好きであり続けることが一番大切
──これから中国語字幕翻訳の道に進みたいという方もいると思いますが、何かアドバイスはありますか?
三浦 まだまだ勉強中で何かを言える立ち場にはないんですけど(笑)、好きであり続けることが一番大切だと思っています。そういう意味でも、エンタメってすごくいい教材だと思いますね。もしエンタメ翻訳に興味を持っておられたら、文法書を読むより、中国ドラマや映画をたくさんご覧になったほうが効果的だと思います。気に入ったセリフを抜き出して、それがどう翻訳されているのか対比させたオリジナルのテキストを作ると、楽しく上達できるんじゃないかと思います。
神部 三浦さんのおっしゃった通りです! あと、フリーランスでお仕事をするうえでは、社会経験とかメールの書き方とか、仕事がしやすい人だと思ってもらうことも大切ですよね。
──翻訳の仕事を辞めたいと思ったことはありますか?
三浦 つらいことやくじけそうなことは日々あるんですけど、辞めたいと思ったことはないですね。フリーランスはオファーがないとお仕事することはできないので、お声を掛けていただける、必要とされる翻訳者でありたいです。精進の毎日ですね。
神部 1回納品してチェックのリストが戻ってくるんですけど、それを開いたときに、ばーっとたくさん書いてあったりすると、閉じて逃げ出したいという気持ちにはなります(笑)。こんなにダメだったかと、力不足を感じるときは凹みますね。あとは一時期、報酬がどんどん下がっていってしまったときがあって、翻訳者仲間で「これだと仕事が続けられない。はがゆいね」と話していたこともありました。今はおかげさまでそういうこともなくなってきています。字幕翻訳はとにかく充実感、達成感のあるお仕事なので、依頼をいただけてありがたいな、楽しいなという気持ちです。
──字幕翻訳者として喜びを感じる瞬間は?
神部 SNSなどで、「このセリフよかった!」と言ってもらえると、本当にありがたいです。自分が携わった作品を楽しんでいただいていることが目に見えてわかるのですごくうれしい。映画翻訳の場合は、劇場に観に行って、笑ってもらいたいところで、笑いが起きたときに伝わったなと思って喜びを感じます。
三浦 私は、悩んで悩んで、会心の訳が思い付いたときに喜びを感じますね。
神部 ビシッとハマると、やっててよかったーって思いますよね。
三浦 そう! 訳が降りてくるんです!
神部 日本語と中国語にまったく齟齬がないなって感じることがときどきあって、聞いた言葉がそのまま日本語になったときはうれしいですね。
神部明世(じんぶあきよ)
東京外国語大学中国語学科卒業後、NHKにディレクターとして入局。「中国語会話」やドキュメンタリー番組などの制作に携わり、2008年よりフリーランスで中国語映像翻訳を始める。2015年、法人化により「合同会社玉兔工作室」を設立した。担当した作品に「三国志~司馬懿 軍師連盟~」「黒豊と白夕~天下を守る恋人たち~」などがある。
三浦美穂(みうらみほ)
日本女子大学文学部史学科卒業。第二外国語で中国語を学び、その後北京に1年留学。帰国後、日中友好協会や中華系企業で社内翻訳に従事。中華系企業在職中に「大清風雲」で字幕翻訳家デビューする。担当した作品に「マイ・サンシャイン~何以笙簫默~」「これから先の恋」などがある。
華ざかり!華流パラダイス @NBChua
#黒豊と白夕、#これから先の恋 の字幕翻訳を担当されたお二方が字幕翻訳について紹介語っています。公開された前編に続き後編も予定されているそうですので、ぜひご覧ください! https://t.co/QBNzW6GbM6