映画と働く 第13回 [バックナンバー]
一般社団法人Japanese Film Project理事:近藤香南子「問題を可視化することがJFPの目的」
調査、発表を通じて映画業界の労働環境改善に取り組む
2022年8月10日 21:00 5
1本の映画が作られ、観客のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。
第13回では、Japanese Film Project(JFP)で理事を務める近藤香南子に取材を実施した。JFPは、日本映画業界の「ジェンダーギャップ・労働環境・若手人材不足」を検証し、課題解決するために調査および提言を行う非営利型の一般社団法人。近藤は助監督として映画の制作現場で働いていた経験を生かし、現在JFPメンバーの一員として活動している。セカンドキャリアとして、新たなフィールドで映画業界を支える近藤。彼女がこれまで歩んできた道のりと、その情熱に迫った。
取材・
映画の制作現場では、アンモラルなことが会社のようには解決できない
──映画に興味を持ったきっかけを教えてください。
これといったきっかけは覚えていないんですけど、親が映画好きだったこともあって、よく映画を観る家庭で育ちました。小学校の卒業式では、将来の夢を発表するスライドで「人の心に残る映画を作りたい」と書いていましたね。中学、高校とミニシアター漬けの子供でした。
──映画が好きで、仕事にしたいと思ったのですね。
高校を卒業したらそのまま東京に出て、映画を作るつもりでした。早稲田大学は映画監督がたくさん輩出されていましたし、調べるとたくさん映画サークルがあるということがわかったので、「ここに行けばなんとかなるだろう」と思い進学しました。授業は映画史や映像関係のメディア論、映像社会学なども充実していましたね。大学で勉強したことが、今役に立っているなと思います。映画サークルに入ると、現場に行っている先輩がいっぱいいて。美術系の仕事は手伝いやすい部門なので、頼み込んで学生時代は美術・装飾の現場に出ていました。
──なるほど。当時から、現場の労働環境に疑問を感じることはあったのでしょうか?
卒業して、自分で生計を立てていく段階で、まず賃金が安すぎることに直面しました。でも、忙しすぎてお金を使う時間がない。遊ぶ時間も、友達と会う時間も、映画やコンサートに行く時間もないし、服もジーパンに黒い服ばかり。なので生活はできていました。それでも、雪山での撮影だったらウェアを買わないといけないとか、そういうことを考えると「これはなかなか厳しいな」と。年金なども支払う余裕がなく、貯蓄もできず、将来のことを考えると不安がありました。それに、例えば6月に撮影、5月はその準備と言われたら、丸々2カ月間休みはありません。私は半年くらい仕事をしたら、その後1カ月休んで映画館や居酒屋でアルバイトをしていました。しようと思えば仕事はありましたが、映画監督になりたかったので、自分で脚本を書く時間に充てていましたね。
──それはかなりハードな環境ですね。辞めたいと思ったこともありましたか?
いや……助監督の仕事自体は楽しかったんです。私は体も丈夫だったし、精神的にもタフなほうでした。いじめやセクハラもありましたが。サード助監督をしていた現場で上司に、撮影中に「好きだ」と言われたことがあって、「彼氏がいるので無理です」と断ると、次の日から仕事を放棄して「お前が全部やれ」と。そのときはチーフから注意をしてもらって、監督にも「○○さんが全部仕事やれと言うんですよ! やりますけど!」と言って、ムカつくから全部やりました。そんなことがあったので、次の現場からは、聞かれていなくても最初に「彼氏がいます」と言うようにしていました。そうやって身を守りました。女性スタッフは、彼氏がいなくても薬指に指輪をする人もいました。化粧をしていくと、からかわれたりするようなこともありました。撮影期間中はプライベートがないし、寝不足だし、疲れていて、クローズドなスタッフ間での「いじり」「からかい」「うわさ話」などが頻発してしまうことがあります。人事部があるわけでもなく、注意する人もおらず、映画の制作現場はこのようなアンモラルなことが、会社のようには解決できない場所でした。
「私は黒沢清にはなれない」と思った
──近藤さんは2010年に、妊娠をきっかけに現場を離れましたね。
ちょうど20代後半に差し掛かってセカンド助監督になる頃は、子供や結婚を考えずに監督になることに邁進していくのかどうか、微妙な時期でした。自分で自主映画を撮ってTAMA NEW WAVEで入賞もしたんですが、「私は
──子育て中に、映画の現場に戻りたいという気持ちはありましたか?
1人目が生まれてから、間もなく2人目も出産し、しばらくは毎日必死で、現場に戻りたい気持ちもありませんでした。夫は仕事が軌道に乗って来て現場が続き、家にあまりいなかったのでほとんどワンオペ育児でしたね。映画の現場は抜けたけど、夫は映画業界で仕事をしているから、彼を支えることが映画を支えることになると一生懸命考えて。かろうじてそこが映画とのつながり。「彼が仕事に専念できるようにするのがいいんだ」と思って育児をしていました。
──ちょうど10年後の2020年から現在まで、
それまでも、空いてる時間で助監督応援の仕事をしていました。在宅でできるリサーチや、劇中に出てくる新聞記事の原稿を書くようなアルバイトです。末っ子が3歳になって、育児が少し落ち着いたので、こうした仕事を増やしていこうかなと思っていたとき、友人でスクリプターの田口良子さんに「佐藤信介さんのところでマネージャーを探してるよ」と紹介されて。第一線で活躍されている監督の会社で、面白そうだなと思いました。現在、撮影監督の河津太郎さん、脚本家の倉光泰子さんらのマネージャー業務を担当しています。スケジュール調整や、ギャラ交渉の際に不当にギャラを下げられることを防ぐなど、重要な仕事です。
JFPは真っ当な攻め方をしている
──その翌年にJFPに加入されています。どのような点に共感されたのでしょうか?
アングルピクチャーズに入る前から、同世代のスタッフたちが「妊娠して現場を続けられない」「妊活したい」「助監督としてやっていけるか」とキャリアの壁に当たっているのを見聞きしました。映画制作の仕事は明らかにギャラが低いし、労働環境もよくない。「NPOを立ち上げて助監督の派遣会社を作れないかな?」と考えたりもしました。でもNPOの立ち上げ方の本を読んで、「1人じゃ無理だ!」と(笑)。アングルピクチャーズでも、現場スタッフにもマネージャーが入ることで労働環境の底上げにつながると考えられていたので、共感して入社しました。ただ、自分が担当している数人のスタッフのギャラ交渉だけでは、映画業界全体の改善にはならないと感じたんですね。その頃にJFPのシンポジウム(※注)がありました。シンポジウムを見たときに、すごく「真っ当な攻め方をしている」と思って。これまで、同じ議題を話し合っているグループはありましたが、クローズドで参加しづらいなと思っていました。JFPは「データを調査して、発表します。夏にできたばかりです!」という感じだったので、「始まったばかりで、裏方としてきちんと回す人がいないと大変だろうな」と思いました。だったら私が事務的なこととかをやりますよ、と思って。「現場経験も生かせるし、必要だったら入れてください」とメールを送りました。
──JFPで担当した業務を教えてください。最初は裏方として加入されたのですね。
はい、JFPで、量の調査だけでなく質的調査として映画の制作現場で働く女性スタッフへのインタビューを行うことになって。まだ現場に知り合いがいるので、声をかけたらすぐに人が集まって、スムーズにインタビューができました。インタビューしたらすごい量になって、これは私が書いたほうがいいということに。やってみたらうまくまとめられました。助監督時代の「調べて、まとめて、提案する」という仕事内容が役に立ったし、子育てで身に付いたマルチタスク能力が生きました。また、ちょうどJFPが一般社団法人化した頃に、映画業界の性加害の問題が出たんです。私は報道に出ていた方の現場で仕事した経験もあり、怒り心頭になって。JFPとしてこのままにはできないと、メンバー間で相談して素早く声明を出しました。スキャンダルとして扱われてはいけない問題だと考えたからです。そこから、社会の映画業界への関心が高まり、JFPも注目されやすくなって、取材などもすごく増えました。
──性加害報道によって映画業界への注目度が高まってから、近藤さんのJFPでの活動のモチベーションも変わりましたか?
モチベーションは最初から変わりません。自分が現場に戻るよりも、こういう形で外圧をかけるやり方のほうが、映画業界の労働環境改善につながるんじゃないかと思っているからです。映画の現場は、すごく楽しい仕事です。単純な仕事の楽しさで言ったら、今でも戻りたい気持ちがないわけではない。映画は形としても、人の心にも残る素晴らしい仕事です。だからこそ、もう少しみんなが、労働に見合ったお金をもらえるようになって、仕事とプライベートが両立できるようになっていけば、いい人材が残って、よりクリエイティブな環境で仕事ができます。よい発想のもとにいい映画が生まれると思うし、そうなってほしいです。
JFPが船に開いた穴を修理する
──7月に行われた記者会見で、近藤さんが「前向きな視点から、変化を起こそうと立ち上がってくれる人が増えることを望んでいます」とおっしゃっていたことが印象的でした。
JFPの活動を通じて、日の当たるところに問題を出すことはできてきていると思っています。今まではSNSだけでしたが、最近は雑誌が特集を組んでくれたり、一般の映画ファンが見えるところに問題が表れてきた。まだここはスタートです。問題を可視化するのがJFPの目的。コツコツ調査、発表を続けていきます。
──近藤さんにとってJFPとは?という問いに対して「船を修理する工具」とご記入いただきました。
映画制作が大きな船だとしたら、沈みかかってるんですよ。現場にいた頃、「もうこんなの破綻してるじゃん」「なんでこの状態で映画作っちゃうの?」とよく話していました。それでも自分たちが楽しいからやってしまう。「この船はもう沈む」「私たちが乗ってる船は穴だらけで、いつかすべてが壊れるんだ」とわかっていても、みんな船から降りないで一生懸命手漕ぎで漕いでいるので、ギリギリ沈まない。だからJFPが船に開いた穴をトントン修理する工具になりますよという意味です。いい船にして、このあとも楽しく航海が続けていけたらと思っています。まあ、大元の映画会社の改革が起こって、いいエンジンに取り替えてもらえたら、ぐんぐん進むんだけどな……と思いますが。
──近藤さんはセカンドキャリアで、アングルピクチャーズ、JFPの一員として映画業界を支えています。新たな分野で映画に関わることをどうお考えですか?
まだ育児もあり、現場には出られない。もし労働環境が改善されたとしても、難しい部分が多いです。とはいえ、面白い映画ができるために何かやりたい。JFPがやっていることは、ほかがやっていなかったことでもあるので、今意義があることをやれているなと思います。自分がこの活動、調査を丁寧にやっていくことで、よい映画が増える。今の若い監督が才能を伸ばせるようになることが、一番の目標です。今年40歳になるので、人生折り返しじゃないですけど、ライフワークとして労働環境改善に取り組んでいきたいです。
──映画に関わりたいと思っていても、さまざまな事情であきらめた方はたくさんいると思います。最後に、その方々にメッセージをお願いします。
私が助監督のときに苦労したこと、大学で勉強したことや育児の経験は、今すごく役に立っています。どんな仕事でも、無駄には絶対にならないと思う。ブランクがあったり、職種が違っても、生かせることはあるので、恐れずにやってみると意外となんとかなると思います。現場で働いてる人でも、映画業界にいるとほかの仕事ができないと言う方もいるんですけど、離れてみるとそこまで特殊な仕事ではないです。それに、映画にまつわる仕事ってたくさんありますし、今後日本版CNC(※)ができたとしたら、そういうところで働くのも楽しそうですよね。
※編集部注:1946年に設立されたフランスのCNC(国立映画映像センター)は、文化省の管轄下で映画分野への継続的な支援を行う機関。日本では「映画監督有志の会」が、6月1日に「日本版CNC(セーエヌセー)設立を求める会」(通称:action4cinema)を立ち上げた。
近藤香南子
1982年生まれ、福岡県出身。早稲田大学第二文学部を卒業後、助監督として「
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