国境を越えて活躍する日本人 第4回 [バックナンバー]
藤本ルナ:「続けていればつらいことも通過点にすぎない」13歳で女優になるため単身アメリカに渡り、挑戦し続ける原動力に迫る
2022年6月10日 19:15 9
女優になる夢を叶えるため13歳でアメリカに渡り、ミュージカル映画「フェーム」のモデルにもなったニューヨークの名門・ラガーディア高校の入学オーディションを突破。卒業後は中国の名門大学・北京電影学院に進学し、「
連載「国境を越えて活躍する日本人」第4回では「
取材・
1カ月後にはアメリカに住んでいました(笑)
──幼少期はバレリーナを目指していたそうですが、女優になろうと思ったきっかけを教えてください。
バレエは今でも時間があればレッスンに通うほど大好きです。その一方、小学6年生のときに、アンジェリーナ・ジョリー主演の「トゥームレイダー」を観て、そのかっこよさにガツンとやられてしまって(笑)。アクションもかっこいいし、彼女の魅力や個性も出ていて。こんなお仕事してみたい!って。小学生の私にとってはすごい衝撃でした。
──その後13歳のときにアメリカに渡られたと聞いて、その行動力に驚きました。
10代前半だからこそできたのかもしれないですね。子供ってやけに無鉄砲で無計画で、衝動で生きているじゃないですか。親がすごかったなと思います。親戚がいたからということもあるかもしれませんが、反対された記憶が一切なくて。「アメリカに行ったら女優もできるし、英語もしゃべれるし、いいことしかない」ってプレゼンしたんですが、両親は「確かにそうだね」って言ってくれたんです。その1カ月後にはアメリカに住んでいました(笑)。それが中学1年生の終わり頃です。
──すごいスピード感ですね。日本で女優を目指すという選択肢はなかったのでしょうか?
当時はとにかくハリウッド映画に影響を受けていて、まずアメリカに行かないと!という気持ちが先立ってしまって(笑)。しっかり調べていればロスを選んでいたと思うんですが、何も考えていなかったのでニューヨークに行ってしまいました。
──すぐにアメリカの生活にはなじめましたか?
それが、まったくで。着いてから、現実に直面してホームシックになりました(笑)。あんなに楽しみで、わくわくしていたのにいざ生活が始まると想像と違うぞって。言葉が通じずに、自分を表現できないのがとにかくもどかしかったです。言いたいことはあるのに、どう伝えたらいいのかわからない。やわらかい態度で、気に入ってもらわないといけないかなと思ってしまったり、自然体でいられないつらさがありました。
──日本に帰ろうとは思わなかったですか?
自分で行きたい!行きたい!って言ったので、さすがに思わなかったですね(笑)。英語ができるようになれば、将来役に立つだろうという意識は強く持っていたので、せめてしゃべれるようになろうと思っていました。
──アメリカの生活が楽しいと思うようになったのはいつ頃ですか?
それが、ないんですよね。幼少期に数年中国で過ごしたあと、日本、アメリカ、中国の順番で住んだのですが、アメリカ時代が正直一番しんどかったです。自分にとって修行のときでした。
──中学高校をアメリカで過ごされたと聞くと、ドラマのような青春を送っていたのではと想像する方も多いと思います。
実は、勉強漬けの日々で、友達と遊ぶ時間が全然なくて(笑)。語学がままならないと、授業の内容に追い付くのも必死で、放課後は宿題をして潰れていました。その後ダンススクールに通うと1日が終わってしまう。土日は土日でビザの都合で語学学校に通う必要があったので、1週間ずっと授業を受けている状態でした。ニューヨークは大人の街なので、21歳以下の子供が入れるような場所も少なかったし、遊んだ記憶がないですね。
──英語で自分を表現できるようになったと感じ始めたのはいつ頃ですか?
正直今でも実感はないんです。13歳からアメリカで本格的に英語を学び始めましたが、吸収率の悪さをすごく感じました。小さい頃に5年ぐらい中国に住んでいて、日本に戻ったあとは、すぐに日本語をしゃべれるようになったんです。それに比べると英語はなかなか吸収できずに、言語ってこんなに学ぶのが難しかったっけ?とショックを受けました。ある程度の年齢になると母語と同じように扱うのは難しいんだなと感じています。
今チャレンジしておかないと将来絶対後悔する
──中学卒業後はロバート・デ・ニーロやティモシー・シャラメなどの出身校として知られるラガーディア高校のダンス科に入学されました。この高校を選ばれた理由はどこにあったんでしょうか?
ニューヨークにはスペシャライズド・ハイスクールと呼ばれる、9つのエリート公立高校があって、ラガーディアはその中で唯一のアート系の学校なんです。進学するなら、やっぱりニューヨークで一番いい高校に行きたいと思って選びました。
──一番いい高校となると、入学するのも大変だと思います。
倍率は高いとは聞いていました。ただ私にとって幸いだったのは、ほかの8つの高校は筆記テストで高得点を出さなければいけないんですが、ラガーディアは実技重視でオーディション方式だったんです。中学3年間の成績を見て、基準に達していればオーディションを受けられる。先生の前でパフォーマンスして合格することができました。
──同じ夢や目標を持って入学してきた同級生から受けた刺激も大きなものだったと思います。
実力にかかわらず自信を持っている同級生の姿には刺激を受けました。学校ではダンス科、演劇科、ボーカル科などそれぞれ専攻があるんですが、数年に1回、学校全体でミュージカルをやるんです。もちろん演劇科の子が有利ではあるんですけど、専攻関係なくオーディションでキャストを選ぶ。日本だとうまく歌えないとオーディションは受けないほうがいいかなという考え方になる人が多いと思うんですが、アメリカでは専攻、実力関係なくみんな受けていて。恥ずかしく感じてもそれは一時のことだし、今チャレンジしておかないと将来絶対後悔すると思って、私もオーディションに参加しました。学校の中の小さな出来事ではあるんですが、一歩踏み出す勇気はそこで学びましたね。謙虚な姿勢もすごく大切だと思うんですが、自分で何かをつかみたいときは、謙虚でいると周りに押されて目につかなくなってしまう。だから恥ずかしがっている場合じゃないです。
演技力どうこうを評価してもらう段階にすらならない
──ラガーディア高校で学ばれたあとは、チェン・カイコー、チャン・イーモウといった監督、ホアン・シャオミン、ヴィッキー・チャオといった俳優など、数多くの映画人を輩出してきた中国の名門大学・北京電影学院に進まれました。
アメリカのあとは中国かよ? おまえ落ち着けって感じですよね(笑)。成長するにつれて、「グリーン・デスティニー」や「レイン・オブ・アサシン」などの中国や香港のアクション映画をよく観るようになったんです。特に影響を受けたのはチャン・ツィイーやミシェル・ヨーです。自分のやりたいアクションは中華圏のほうが盛んに作られていますし、チャンスだと思って北京電影学院への進学を決意しました。
──迷いはなかったですか?
正直、アメリカにいて行き詰まりを感じていたんです。女優をやりたいって来たのに、私はなんでダンス科で踊っているんだろう?って。そもそも気持ちだけで、女優になる方法がよくわかってなかったんですよね(笑)。当時、アメリカではアジア人はマイノリティなので、役をつかむチャンスも少ないですし、どこからチャンスをつかんでいいのかもわからない。アジア人がキャスティングされる映画はアメリカにどれだけあるんだろう? 出演できる可能性はどれぐらいあるんだろうと悩んでいました。だから中国に行くと決めたときには、いろんな悩みが一気に晴れたんです。子供の頃に住んでいて、中国語もゼロからのスタートではなかったのも大きかったです。
──中国に留学後、カルチャーギャップを感じることはありましたか?
なかったですね。ただ、これだけインターネットが発達しているのにもかかわらず日本人女性に対する印象が昭和時代のままだったのはびっくりしました。クラスメイトに「日本の女性って旦那さんが帰ってくるとひざまずくんだよね?」と聞かれて。映画か何かの影響だと思います(笑)。
──入学後に苦労したことは?
中国でも、言語の面で苦戦しました。自分では中国語ができていると思っていても、演技をするとなるとまた別でした。演劇の授業中に先生に「発音の悪さが気になって演技に集中できない」と言われてしまって。演技力どうこうを評価してもらう段階にすらならない。女優を目指しているからこそ、とてもしんどかったですね。
──どうやって乗り越えたんですか?
幸いフィジカルなことだけはクラスで一番だったので、そこでなんとか持ち堪えました(笑)。中国は広いので、いろんな方言があるんです。だから発音を矯正するための専門のクラスがあって、その授業には力を入れていました。そのほかプライベートで発音矯正の先生に習っていました。
──中国の名門映画大学ではどんな授業が行われているのか気になる人も多いと思います。
演劇のクラス、発声、朗読、セリフのクラスがありました。体で表現することも求められるので、剣技やカンフーの基礎、中国の民族舞踏も学んでいました。
──日本で言う一般教養みたいな授業はないんですか?
政治のクラスや英語のクラスはありました。そのほか選択クラスがあって、私は中国神話の授業を選択していました。ただほとんど俳優になるための専門授業で構成されていますね。
──在校中にスターになる人も多くいますよね。
たくさんいますね。大学がある意味事務所のような役割を果たしてくれるんです。役者を探しに、有名な監督やキャスティングディレクターが学校に来たりもします。すべてのクラスを回って生徒に自己紹介させて、それを録画していったり。特に見た目がよかったり、役のイメージに合っている子はキャステイングされて、爆発的に人気が出ることも多々あります。そういう意味では俳優としての一歩を踏み出しやすい環境だと思います。
──そういう環境だからこそ数多くのスターを生み出しているんですね。
年代ごとに卒業生の写真が学校に飾られているんですが、どの年代を見ても必ず1人はスターが出ていますね。
──藤本さんの同級生でも?
モン・ズーイー(孟子義)ってご存知ですか?
──「陳情令」の?
わ、観てるんですね! クラスメイトだと、一番人気が出ているのは彼女ですかね。クラスが3つあったので、ほかのクラスでも有名になった子はいると思うんですが。
──そのほか印象に残っているクラスメイトの方はいますか?
クラスメイトに、すごい体を鍛えている子がいて。最初は、なんでこんなマッチョなんだ!?と思っていたんですが、「イップ・マン」シリーズなどで知られる詠春拳の継承者だったんです。彼との出会いをきっかけに詠春拳を習い始めたのが、最初に触れたアクションっぽいものでした。
──Twitterにアップされていたアクション動画、とてもかっこよかったですが、最初の先生は同級生だったのですね。
大作の中で役をもらえたのは幸運なこと
──大学を卒業されたあとは、どういった経緯でデビューしたんでしょうか?
大学在学中でしたが、デビューは「モンスター・ハント 王の末裔」という作品でした。最初はアクション監督の谷垣健治さんが日本からスタントマンを連れて来るので、通訳として呼ばれていたんです。通訳としては、前年にチャン・イーモウ監督の「
──デビュー作を観たときはどう思いましたか?
絶望的でしたね。こんなに自分って演技できないんだと思って(笑)。もう観たくはないです。デビューできたぞ!というよりは、わーひどい……という思いのほうが強かったです。カットされまくってましたし(笑)。
──出演作の中でお好きな作品は?
演じれば演じるほどリラックスできるようになってきているので、最新作の「Blade of the 47 Ronin(原題)」が今のところのベストパフォーマンスだと思っています。
──キアヌ・リーヴスが主演していた「47RONIN」の続編ですね。
ちょうど先週アフレコをしたばかりですので、近いうちに公開されると思います。
──日本では「昨日より赤く明日より青く- CINEMA FIGHTERS project」の「水のない海」で藤本さんのファンになったという声をSNSでたくさん見かけました。
本当ですか? ジェニがいいと言ってもらえるのは、ユキオ役の小森隼さんと久保茂昭監督のおかげですね。ユキオとジェニは、イメージ的に静と動だと思うんです。“静”って演じるのが難しくて、下手したら感情が見えないぼーっとした人に見えかねない。そこを小森さんがしっかり感情が見えるような演技をしてくださったので、その反応を見てこちらもリアクションできて、とてもやりやすかったです。そういう雰囲気の中で委ねることができました。
──ジェニはとても魅力的でしたが、演じるうえで心がけたことはありますか?
中国人の役なので、中国の友達のことをすごく参考にしました。友達の特徴を詰め合わせた感じです。ただ留学するくらい日本が好きな女性という設定なので、中国で暮らしている中国人とも違う。そのバランスに気を付けて演じました。
海外で仕事をしているという感覚がない
──日本、アメリカ、中国で女優として活動されていますが、違いを感じることはありますか?
日本の現場についてはわからないんですが、中国の場合は作品の規模によって現場の環境は異なりますね。「モンスター・ハント 王の末裔」の場合だと撮影時間は1日12時間、週1回は必ず休むという決まりでした。アメリカだと土日はしっかり休みを取って、撮影は10時間までというのが基本。もちろん押すこともあるんですが、必ず次の撮影まで12時間空けないといけないんです。日本でも中国でも撮影が押したからといって、次の撮影まで12時間空けるのは、なかなか厳しいと思うんです。そこが一番大きな違いを感じた部分ですね。
──映画業界の労働環境については、日本でも議論されています。
役者ももちろんですが、スタッフさんが休めるというのが重要ですよね。役者は自分の出番が終われば休憩時間もありますが、スタッフさんは一日中ずっと働いている。一番大変だと思うんです。そういうことを考えるとアメリカはスタッフさんにとっても働きやすい環境だと感じました。
──海外でお仕事をされていて喜びを感じる瞬間はどんなときですか?
実は、海外で仕事をしているという感覚がないんです。仕事ができるところに自分がいるという感覚で。中国、アメリカ、最近は日本でもお仕事をいただけて、お仕事ができることそのものが喜びですね。
──女優を辞めようと思ったことはないですか?
向いてないなと思ったことは正直あります。中国の作品を観るとわかるように美男美女がすごく多いんです。見た目がとても重要で。私が中国に住んでいたときは、プチ整形が流行っていた時期で、みんな躊躇なく整形していたんです。私も同級生に「もうちょっとここをいじったら、見た目がよくなるよ」とアドバイスされたことがあって。大学に入りたての頃で、何もわかっていないときだったので、「やっぱり女優さんって美人じゃないとダメなんだ……整形しないといけないのかな、そんな勇気ないし」と悩んでいた時期がありました。今は整形しないと仕事ができないなんて思っていないんですが、中国語の発音を注意されて、先生に演技を判断してすらもらえないときだったので、悩みましたね。
──10代から常に新しい環境に挑んできて、つらいこともたくさん乗り越えてきたと思います。その原動力はどこにあるんでしょうか?
1つは自分で言い出したことだということ。もう1つは両親の存在が大きいですね。10代から海外に送り出すと、成長を見守れないですし、お金もかかる。でも私の人生がよりよいものになるのならと送り出してくれました。そんな両親のために、結果を出せるまでがんばりたいですし、恩返ししたいと思っています。
あとは、子供の頃に一度挫折を味わっているというのも大きいと思います。バレリーナになりたかったんですが、誰かから「向いていないよ」と言われてあきらめちゃったんです。小さかったので誰から言われたのかはっきり覚えてはいないんですが、「自分はあきらめた人間、ダメな人間」という意識がどこかにあって。もうそういう自分になりたくないし、挫折感を味わいたくないので、くじけることがあっても突き進むしかないと思っています。続けていればつらいことも通過点になるので。
──これからチャレンジしたいことはありますか?
あえて軸足を置かずに、いろんな国のいろんな作品に呼ばれたいです。とくにハリウッド作品。1作だけ出るならいろんな方ができると思うんです。コンスタントにお仕事するのは難しいことなので、そこは目指したいところですね。そのために演技力を磨き続けることは大前提として、アジア人として求められる英語力、アクションにも磨きをかけていかなければと思っています!
──「Blade of the 47 Ronin」の公開、楽しみにしています!
藤本ルナ (フジモトルナ)
13歳で女優を目指し渡米後、ニューヨークのラガーディア高校ダンス科に入学。卒業後は多くの映画人を輩出してきた中国の名門大学・北京電影学院に本科生として入学を果たした。その後、「モンスター・ハント 王の末裔」でスクリーンデビューを飾り、「淬火」「恩仇結」といった中国映画で主演を務める。日本では「昨日より赤く明日より青く-CINEMA FIGHTERS project-」の「水のない海」や「永遠の1分。」に出演。公開待機作にハリウッドデビュー作となる「Blade of the 47 Ronin(原題)」がある。
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藤本ルナ Luna @lunafujimotooo
ナタリーさんにインタビューしてもらえた!嬉しいぃ〜😆💕読んでね!!! https://t.co/rAqsPEELHI