「愛してる」「愛してるわ」「愛してるよ」のニュアンス
──字幕翻訳者のための動画サイト・vShareR SUBがTwitterで行ったアンケート調査では、560票のうち36.6%が「字幕に女性言葉を使わないでほしい」という結果でした。この結果は翻訳者の立場からどう思われました?
高内 今はやっぱり女性言葉って語尾のことに関心が集中してると思うんですけど、ほかにもポイントはいっぱいあって。一番単純な例だと、自立してかっこいい女の人が自分の夫のことを「主人」と呼んでいたら違和感ありますよね。キャラクターでも女性言葉のようなしゃべり口なのに、すごく強くて自立したフェミニストもいる。セリフの語尾だけにとらわれてはダメだなと思ってます。もちろん翻訳者もいろいろ勉強しないといけません。
チオキ あとはゲイのキャラクター、イコール女言葉ではない、とか。
高内 字幕の口調はなるべくキャラクターごとに統一したほうがいいという前提もあるんですが、生活と同じで作品の中でその人の口調が変わってもいいですよね。
──確かに。日常では家族や友人、同僚など相手によって言葉遣いは変わりますね。例えば女性同士の会話、女性と男性の会話では、どちらが女性言葉が出やすいのでしょうか。
チオキ 相手が恋人かどうかは関係してきますね。恋人なら多少、女性言葉になることがあります。普通の男友達ならあんまりないかな。
高内 女同士でも初対面だと「~だよ」とはしゃべらない。2人が仲良くなって関係が変わっていくと、字幕も徐々に変えていくことはよくやりますね。どっちにしても関係性とシーンの状況によると思います。
チオキ 今、思い出したんですが「タイムレス」というドラマで30代中盤の女性が恋人に言う「I love you.」を「愛してる」か「愛してるわ」にするかで迷ったことがありました。時空を超えて離れ離れになってしまう最後の「I love you.」で。そこでは「愛してるわ」にしてます。そういう意味では意識して使っていますね。
高内 確かに「愛してる」だと余韻がやや薄れる感じありますね。
──例えば「愛してる」「愛してるわ」「愛してるよ」では、どうニュアンスが異なるんでしょうか。
チオキ 「愛してるよ」は男女使えるけど、どちらかと言うと男性に使う機会が多いです。女性言葉の「愛しているわ」はちょっとしっとりしたイメージ。「愛してる」は性別関係なく使いますね。「I love you.」を「好き」と訳すこともあります。
高内 恥ずかしくてぶっきらぼうな感じなら「愛してる」がいいですよね。友達から恋人になったみたいな雰囲気なら「愛してるよ」のほうがグッとくる可能性もあるかもしれない。親子だったら「愛してるよ」とか、本当に状況によりますね。
怒りの表現と字幕のリズム
──今回取材の参考になるかと思い、男女が対比的に描かれる「
高内 よく日本語は女性が怒るための言葉が少ないって言いますよね。「やめろ」と言えなくて「やめて」とか「やめてください」になるとか。確かに怒っている女性の口調って難しいんです。本当は「やめて」じゃなくて「やめろ」って言いたいときでも、字幕で文字に出ると実際よりも乱暴に見えてしまうこともある。
チオキ やっぱり結局「やめて」「やめてよ」になっちゃうんです。「やめろ」はなかなか使えない。女性の警察官の役で「手を上げろ」は使ったことがあるので、キャラによっては成立するかもしれないですが、あまり一般的ではないですよね。
高内 そうですね。権威のある立場の女性であれば、使えれば使います。でも普通は「どうしてそうなの?」とかになっちゃうことが多い。現時点だと女性の「やめろ」に違和感を持つ人が多そうですが、将来増えていく可能性はあるかもしれないです。
チオキ 「マリッジ・ストーリー」のそのシーンで女性言葉が出てきたのは、字幕のリズム作りのためという側面もあると思います。例えば「私は朝起きた、ごはんを食べた、着替えた、学校へ行った」では単調なので、女性言葉を使って「朝起きた、そしてごはんを食べたの。それから着替えてね」とすると字幕にリズムが生まれる。
高内 確かに1人で長いセリフを話す場合に使うことはありますね。字幕の特性として語尾の繰り返しは避ける。だから過去の話をしているときもずっと過去形じゃなくて、たまに現在形を入れてリズムを作って単調になるのを避けます。語尾が同じだと読んでいて飽きてしまうんですよね。
チオキ 新人の頃はチェッカーさんに「同じ語尾は3つまで」と言われてました。それは新人もよく扱う翻訳会社だったので、一定のルールを決めておいたほうがやりやすいからだったんですが。例えばナレーションで情景描写が続く際も「~だ」で終わる字幕を続けるのは最大でも3つまで。適宜「~なのだ」などを挟みリズムを付けます。女性言葉の「よ / わ」などは2つ続けることも避けますね。
高内 3のリズムは昔からありますよね。これは永遠に続くのではないかと(笑)。
この先の字幕翻訳
──今回お話を聞いて女性言葉をめぐる状況だけでも翻訳者の方々が細心の注意を払って、いい字幕を生み出そうとしていることがわかりました。
チオキ 50年ほど前の作品を観ていて、その時代の現代劇で「~ですわよ」という字幕がありました。ちょっと上流な女性の雰囲気を出すための女性言葉なんですが、きっと当時は普通に受け入れられていた。でも時代が変わって、古い映画だとしても「~ですわよ」は必要以上に気取って見えますよね。時代に合わせて認識が変われば字幕も変わっていくし、変わっていかないといけないなと思います。
高内 10年前の自分の翻訳は、今の感覚から見るとあまり深く考えずに女言葉を使っているものが多いと思います。でも普通に社会で暮らしていると自分の意識も周りの意識も変わる。ちょっと前まで女言葉を減らした翻訳を出しても、制作会社や配給元に違和感を感じる人が多いと「ちょっと直しましょうか」となってました。でも最近は直されること自体が減ってきた。現時点でのベストをみんな手探りですね。
チオキ この数年感じているのは、男女の区別がない第三の性の人たちを指すときの難しさですね。三人称複数ではなく単数の代名詞である「They」を「彼ら」と訳すのはやっぱり気になる。まだ自分では経験してないんですが「あの人」と訳すのがいいのかなと、ほかの人の担当作品を観ながら思っています。
高内 女性言葉ではないんですが、こういうときに反省とともに思い出すことがあって。日本語は一人称の種類がたくさんあるので、特に男性の字幕では「僕」か「俺」で悩むことが多いんです。すべて訳し終わってから、一人称だけ修正することもある。以前、ダウン症の青年が主人公の「
──プロレス好きのダウン症の青年が施設から脱走して漁師と旅に出る映画ですね。
高内 最初は迷わず主人公の一人称を「僕」にしていました。でもギリギリで彼はプロレスラーを目指す熱い魂の持ち主で、絶対に「俺」と言いたがる人だと突然気付いて。普段なら迷わず「俺」を選ぶようなキャラクターなのに、「ダウン症だから」という無意識のバイアスがありました。今は女性言葉が注目されていますが、ほかにも気を付けることはたくさんあってアップデートしないといけないと思った出来事です。
チオキ真理(チオキマリ)
一度就職したのち、1年アメリカへ。帰国後、社会人として働きながら翻訳学校に通う。下積みを経て、現在は劇場公開作品、配信・Blu-ray / DVDの字幕・吹替翻訳を手がける。近年の主な担当作品は「メッセージ」「
高内朝子(タカウチアサコ)
日本語字幕の制作会社に勤務し、実地で翻訳を学ぶ。2002年、DVDの特典映像などからキャリアをスタートさせた。近年の主な担当作品は「20センチュリー・ウーマン」「ブリグズビー・ベア」「
柳井政和@小説、技術書、ゲーム、ソフト @ruten
この問題、難しいよなあと毎回思う。→ 女性言葉と字幕翻訳の現在──洋画の最前線で働く現役翻訳者が対談 - 映画ナタリー https://t.co/hEIbKjtRLS