「あら、あたしが変なの、かしら?」──これは単語・文体・発音などに表れる女性特有の言い回し「女性言葉」「女性語」「女ことば」と呼ばれるものの典型例。今や日常会話ではほとんど使われなくなったが、小説や映画における女性のセリフ、映画・ドラマの日本語字幕などで多用されてきた歴史がある。特に外国人女性の発言を女性言葉に翻訳する傾向は強く、時代、人種、国籍、年齢の違いを問わず、女性の発言は「女らしさ」「丁寧さ」「あいまいさ」などを強調する女性言葉に翻訳されてきた。
しかし近年、字幕翻訳の世界では「女性のキャラクターだから」という単純な理由でむやみに女性言葉が使われることは減ってきているという。映画ナタリーでは現役で活躍する字幕翻訳者の2人、字幕の大半に女性言葉がないとして話題になった「
取材・
字幕翻訳者としてのキャリア
──まずお二人のキャリアの始まりから教えてください。どのようにして字幕翻訳を手がけるようになったのでしょうか。
チオキ真理 駆け出しの頃から数えると、ちょうど20年くらいになると思います。映画の字幕翻訳者に憧れていたんですが、翻訳学校に入る前に、もう1回英語力を磨いたほうがいいと思って1年間アメリカに行きました。戻ってきてから、翻訳学校に2年ほど通って。そのときの先生の下訳をしたり、先輩の紹介でトライアルを受けたりして、少しずつ仕事が広がっていきました。
高内朝子 私は特に字幕翻訳者を目指していたわけではなくて。美術や本、映画、音楽となんでもかんでも好きで、何か裏方の仕事ができればいいなと思っていました。大学を卒業してから、最初にちゃんと就職したのが字幕の日本語版制作会社だったんです。軽い気持ちで入ったら性に合っていたのか長続きして。最初の5年くらいは、翻訳の誤字脱字や誤訳をチェックする仕事をしてました。それから社員のまま社内専属で翻訳をやらせてもらえるようになり、独立した形です。
──では、高内さんは翻訳学校に通ってないんですね。
高内 そうなんです。字幕のあれこれはすべて会社の先輩から教わりました。あとは人の翻訳にたくさん触れていると、なんとなく「いい字幕」がつかめてくる。誤訳ではないけど、感情が入ってなくてつまらないとか。人によってジャンルの得手不得手も見えてきて。そうすると字幕の直すべき部分もだんだんとわかってきて、とても勉強になりました。
──今、高内さんがおっしゃった内容は、チオキさんが翻訳学校で習ったことに近いんでしょうか。
チオキ 翻訳学校は本当にゼロから翻訳のルールを学ぶので、高内さんが新人の頃に教わった内容と近いものはあるかもしれません。ただ、翻訳学校は自分が翻訳したものを先生に直してもらうので立場が逆ですね。学校は翻訳を提出してチェックしてもらって勉強。高内さんは人の翻訳をチェックしながら勉強していくってことですもんね。
──なるほど。ちなみに最初に字幕を手がけた映画は覚えていますか?
チオキ なんでしたかね……。最初は映画祭で上映されるドキュメンタリー作品だったと思います。
──いわゆるハリウッドの大作を手がけるのは花形だったりするのでしょうか。
チオキ 翻訳者の中には、専門性の高い「ナショナル ジオグラフィック」のドキュメンタリーを突き詰める方もいれば、単館系の映画館にかかるような作品が好きな方もいる。皆さん目指すところはさまざまだと思います。
高内 私が最初に字幕を担当させてもらったのは、DVDの特典映像ですね。映画はNHKの衛星放送で放送される作品を最初にやらせてもらった記憶があります。すみません、タイトルがぱっと出なくて。
チオキ 私も特典映像の翻訳はたくさんやりました。
高内 そこで信頼を獲得してから、長編の依頼をいただく流れでした。最近は作る会社も減ってしまいましたが、コメンタリーの翻訳はたくさんやりましたね。本編と違って台本がないから、みんな適当にしゃべるんですよ(笑)。言葉が途中で切れていたり、言い直したり、文法も間違っていたり。調べものもすごい量ですし、泥臭く乗り切ってなんとか形にする感じでした。
チオキ 特典で思い出したんですけど、自分のキャリアのベースになったと思っているのがドラマの「CSI:」シリーズで。「CSI:マイアミ」が始まるときに、まだ全然駆け出しだったのに参加させていただけたんです。「なんで新人の私を?」と理由を尋ねたら「特典の翻訳でもちゃんと調べものをしてるし『CSI:』のような専門性の高い作品も頼めると思った」と言っていただいたのは、印象に残ってます。
女性言葉は無意識に多用しない
──大前提の質問になってしまうんですが、そもそも英語の構文や単語において、女性しか使わない、女性のほうが多く使うなど言葉自体に性差が存在するということはあるのでしょうか。
チオキ ゼロとは言い切れないですが、日本語と比べてそこまで強い性差を感じることは多くないと思います。
高内 英語はそこまでハッキリと差が出ないですよね。
──では文字だけ読んでも女性がしゃべったか、男性がしゃべったかはわからないことが多い?
チオキ そうですね。普通はわからないことのほうが多い。
高内 ただ男性がよく使う表現、女性がよく使う表現はあると思います。あまりにも下品な言葉使いが多いと男性かも……?と思ってしまうことはありますね。
──女性言葉は、どんな特徴を持ったキャラクターに使われることが多いのでしょうか? 勝手に高貴な立場にいる女性や主婦、母親といったイメージを持っているのですが。
チオキ 私は女性言葉を「どういうキャラクターに使う」ということはあまり考えたことなくて、逆に「こういう人には使わない」に意識が向いています。例えば元気のいいキャラクターや若者には使わないで字幕を付けていきます。女言葉はある程度ベースにあるので、外したときの効果を考えることのほうが多いですね。
高内 確かにそうかもしれません。10年前と比べても、無意識に多用することは減っています。ただ、女言葉を避けるために語尾を削ると、セリフが味気なくなる問題もありますよね。字幕はただしゃべった情報を伝えるわけではなくて、例えばフィクションの場合だと「~するわ」としたほうが、余韻や情緒が生きてくる場合もある。多用はしないですが、しゃべっているときの口調や雰囲気、表情、全体の中でキャラクターがどういう立ち位置にいるか考えたうえで女性言葉にしています。
──なるほど。
高内 例えば主婦だからといって必ず使うわけではもちろんなくて、やっぱりしゃべる相手、例えば子供に対しては「~だわ」じゃなくて「~だよ」と話すこともある。舞台が現代じゃなくて昔だと若い女の子でも女言葉を使ったほうがいいなと思うことはあります。今に置き換えたら絶対「ブックスマート 卒業前夜のパーティーデビュー」(2019年)のような仲のいい女の子同士のやり取りなんだけど、例えば19世紀イギリスの上流階級の子女だとちょっと使いにくい。そのときは口調以外のところで、キャラクターによっては意志の強さなどを肉付けしています。
チオキ 語尾だけじゃなくて全体の問題ですよね。
──チオキさんが担当された「ブラックパンサー」(2018年)は、公開当時「女性の登場人物の日本語字幕の大半に、いわゆる女性語がない」というのが朝日新聞でも取り上げられ話題となっていました。また高内さんが担当された「ブックスマート」もあらためて鑑賞したんですが、ほとんど使われてないですね。
高内 実は「ブックスマート」のような高校生がいっぱい出てくる作品は女性言葉を避けやすいんです。若い子が多いとリアルな会話を求められるし、基本的に「日本語だとしたらこの人はこう言ってるな」と自分で感じたまま訳すことが多い。だから、自然とくだけた口調になるんですよね。
チオキ わかります。なんとなくキャラクターのセリフが日本語に変換されて聞こえてくる。
高内 決して女性言葉を避けるぞって思っていたわけじゃなくて。チオキさんの「ブラックパンサー」のシュリ(※)ちゃんもきっとそうですよね。
※主人公ティ・チャラの妹でワカンダの王女。
──シュリは女性言葉が使われることの多い王女という立場のキャラクターですが、字幕は「~わ」ではなく「~よ」となってました。
チオキ やっぱり、そういった語尾が彼女には合っていると思います。
──高内さんも「キャプテン・マーベル」を担当されてますね。
高内 MCUの作品では、女性初の単独ヒーロー映画。自然と女性言葉は少なくなってますね。ここ数年は女性を主体性がある生身の人間として描く作品が増えているので、その流れも大きいです。主体的なヒロインが増えてくれば字幕も自ずと変わるし、受け入れる土壌もできてくる。
“女性言葉を利用する”
──例えば19世紀アメリカが舞台の「
高内 細かくは思い出せませんが、観て違和感がなかったので自然な感じだったと思います。主人公のジョーなら、シーンによっては女言葉なしでいけそうな気もしますね。
チオキ あのお話であれば4姉妹のキャラを意識しますよね、長女はしっとりした感じ、ジョーや末っ子は元気な感じ、と。
高内 字幕もそれぞれの個性を出したいってなりますよね。「ブックスマート」は高校生同士で女性言葉を使わない代わりに、担任の先生や母親のセリフには使ってるんです。そこで使い分けないと、話者の区別が付きにくい。別の作品ですが、同じような若い子のおしゃべりのシーンで相手を「あなたはね」と呼び合うシーンがあったんです。それを配給会社の若いスタッフさんから「『あなた』じゃないほうが自然になると思います」と指摘をいただいて。女性言葉も語尾だけの問題ではないな、とそのとき気付きました。
チオキ それは「あなた」の代わりに何を使ったんですか?
高内 確か相手の名前を呼ぶ形にしました。
チオキ それは私もすごい考えていて。日常だと普通は「あなた」って話しかけないで名前で話しかけるじゃないですか。
高内 日本はそうですよね。でも観ている側からしたら、そこまで登場人物の名前を覚えていない可能性もある。
チオキ 名前で呼んでしまうと、これは今映っている人なのか? それとも別にところにいる人なのか?がわからないんですよね。「あなた」と言ったほうがはっきりするところがある。
高内 「ブックスマート」では「あんた」とか「そっちは」も使ってます。でも、それはあの2人のようなラフな関係性だからできたこと。普通に使ってしまうと、キャラクターが乱暴に見えすぎてしまうから難しいです。日本の話し言葉では「彼」「彼女」も使わないですが、字幕だと使うことも多いですね。
チオキ 「あんた」という言葉は、大人が、特に大人の女性が使うとより乱暴に見えてしまうというのもあります。
高内 そうですよね。若い子に比べると、大人の女性のほうがいろいろと言葉を崩しにくい。特に40代、50代の女性の口調は悩みますよね。
チオキ この前、日本のとあるドラマを観ていて、綾瀬はるかさんがかわいらしく「それはダメだよ」と注意するセリフがありました。例えば綾瀬さんが話す「それはダメだよ」と、字幕で読む「それはダメだよ」では受ける印象が違う。字幕だとかわいさや優しさより、もっとカジュアルな指摘という印象が強くなる。綾瀬さんが話す「それはダメだよ」のセリフを、あえて字幕にするなら「それはダメよ」になると思っていて。
──なるほど。あえて女性言葉にして、表情や声色から受けるやわらかい印象を字幕に落とし込む場合もあり得るということでしょうか。
高内 字幕は文字で読むものなので、日本の観客が翻訳文学やマンガなどに慣れているという前提もあります。誤訳ではないけどニュアンスを間違えると観客が一斉に「お?」と違和感に直感的に気付いて、ストーリーに集中できなくなってしまう。あえて女言葉にして、セリフのニュアンスに寄せるケースもありますね。以前、ドラマ「ハウス・オブ・カード 野望の階段」を担当したんですが、主人公の妻が野心家で夫を立てながらも、自分もどんどん野望の階段を上っていくキャラクターでした。英語なので女言葉を使っているわけじゃないですけど、公の場でスピーチするときは戦略的にソフトな言葉を選んで“夫を支える妻”としてしゃべっている感じで。観た人にはどこまで伝わったかわからないですけど、武器として女言葉を使っている印象を受けたので、そういう意識で訳していました。
──そこを翻訳者の方が察知できず女性言葉にしていなかったとしたら、日本の観客の印象はだいぶ変わりますね。
高内 そうですね。翻訳者は雰囲気を察知するのがとても大事で。字幕は読むものであると同時に、映像と一緒に観るもの。英語ですごくやさしく「No」と言ってるときに、字幕が「ダメよ」ではなく「ダメだよ」だったとしても優しい雰囲気で受け取れる場合もあります。
チオキ 翻訳者が察する部分では、クライアントの意見を聞いて「私はこう感じたけど」と話し合いになることもありますね。たくさん作品を観ている方々だから、担当者1人だけじゃなくて、いろんな人の意見を聞くと勉強になることが多い。
高内 そうそう。世に出る前に制作会社や配給会社の方が複数人で観てくださる。やっぱり最初の観客だから、意見を聞くと納得することも多いですね。
柳井政和@小説、技術書、ゲーム、ソフト @ruten
この問題、難しいよなあと毎回思う。→ 女性言葉と字幕翻訳の現在──洋画の最前線で働く現役翻訳者が対談 - 映画ナタリー https://t.co/hEIbKjtRLS