1本の映画が作られ、観客のもとに届けられる過程には、監督やキャストだけでなくさまざまな業種のプロフェッショナルが関わっている。連載コラム「映画と働く」では、映画業界で働く人に話を聞き、その仕事に懸ける思いやこだわりを紐解いていく。
初回となる今回は、「
取材・
いい映画を作るためにはいい脚本が必要
──向井さんのルーツを知るために、学生時代のお話からお伺いしたいと思います。
中学の頃はバスケットボール部でした。でも、早生まれだから、体力的に周りに追いつけない。いじめられっ子で、よく映画を観ていましたね。高校になると友達にも恵まれました。補欠でしたけど、ハンドボール部でインターハイにも行きました。
──その後は、大阪芸術大学に進学されました。
実家が床屋で、自分も美容師になるのかな?って漠然と思っていたんです。でも、親に向いていないと反対された。進路を決めなければならなくなって、映画が好きだったので、映画関係の専門学校に行こうと思いました。周りは体育会系で一緒に映画を観てくれる友達もいなかったし、共通の話ができる仲間が欲しかったんです。
──最初は専門学校に行くつもりだったんですね。
調べるうちに大学もあることを知ったんです。4年間遊べるなと思って大学を選びました(笑)。
──その時点で、映画業界で働こうと意識されていましたか?
まったく考えていなかったです。でも周りは映画を撮りに大学に来ていた。そのときに初めて、映画って作るものなんだと思ったんです。
──大学ではどんなことを学んでいたのでしょうか?
自主映画を作るのが楽しくて、授業はほぼ出ていなかったんです(笑)。でも、4年生のときに卒業論文か2時間尺の卒業シナリオのどちらかを書かなければいけなくなった。いい機会だし、脚本を真剣に書いてみようと思ったんです。先生もついてくれて、箱書き(※各シーンごとに要点や情報をまとめる作業)から、構成の立て方、キャラクターの作り方を教わりました。先生は「まずお話は書くな、キャラクターだ」と言っていましたね。
──具体的に、どのように指導されたんでしょうか?
キャラクターがどういう経験をしたか、その経験がその人物の性格にどんな影響を与えたか、原稿用紙に書いて来いと言われました。「AとBはどんな関係なんだ? 2人の関係が変化したらどんなことが起こる?」と次々に先生の質問に答えているうちに、お話になっていく。でも今は、これだけでは厳しいと思っています。キャラクターが面白ければ映画は面白くなるとよく言いますが、どんなお話にもそれが当てはまるかと言ったらそうではない。ある人物を描くのと、ある事件を描くのとではシナリオの書き方は異なります。だからテーマとキャラクターはどっちもよーいドンで始めなきゃいけないと思っていますね。
──初めて真剣に脚本と向き合ってみていかがでしたか?
書けば書くほどイメージから離れていく。大失敗したなと思いました。でも、先生が褒めてくれたんです。「俺、書けるのかもしれない」と思わせてくれた。そこからですね、脚本を意識するようになったのは。いい映画を作るためにはいい脚本が必要だなって。
──向井さんは同級生の
「ばかのハコ船」はかなりこだわって脚本を書きました。ただ、実際にターニングポイントになったのは、その次に作った「
──つげ義春のマンガが原作でしたね。
当時は、撮影監督になりたかったんです。だから照明と脚本の二足のわらじで現場に参加しました。それまでは自主映画でしたが、初めての外注仕事で、照明の助手を付けることになった。でも、俺、全然人のことを動かせないんですよ……(苦笑)。なかなか大きな挫折でした。現場に出るということに完全に心が折れちゃった……。
──撮影監督になるためには必然的に現場での下積みが必要になりますよね。
誰かの助手に付いて、5、6年やって、やっと一人前になる世界。それはきついなって。それに、自分はカメラオペレーターも、ライティングもすべてやることを目指していた。でもプロの現場はシステマチックで、カメラマンはカメラマン、照明は照明って分業なんです。加えてフィルムが好きだったので、デジタルになったら面白くないなと。集団行動も苦手で1人で何かやるほうが向いているし、だったら脚本家だと思ったんです。その頃はプロットライターの仕事もしていたので。
──プロットライター(※大まかなあらすじやキャラクター設定を考える人)の経験を積みながら、脚本家を目指している人もいますよね。自主映画でデビューされたイメージが強かったので、向井さんがプロットライターをされていたのは意外でした。
東京の小さな制作会社に仕事をもらって、ホラービデオのプロットとか書いていました。大阪には映画の仕事がほとんどないので、仲間に「ごめん、俺、先に東京行くわ」って言って上京しましたね。「どんてん生活」「ばかのハコ船」「リアリズムの宿」を名刺にして、脚本家としてやってみようかなと。それが26歳のときでした。
──脚本家を志す人の中には、プロットライターの仕事に心が折れて挫折する人も多いと聞きます。
自分も悪徳会社にタダ同然で書かされていましたね(笑)。実力がなかったのも大きいとは思いますが、作品として成立したものはなかった。そのあとに、山下くんが東京にちょくちょく来るようになって、仕事を振ってくれました。
──どんな作品を書いていたのでしょうか?
その頃は制作費300万から700万ぐらいの、ビデオ販売用の企画がけっこうあったんです。エロいシーンを3つ入れればあとは何をやってもいいっていう。何カ月も掛けて書いて、ギャラ5万とか。全然食えなかった(笑)。でも書かせてもらえるだけいいと思っていました。
──脚本家として生計が立てられるようになったのはいつ頃ですか?
「リンダリンダリンダ」が2005年に公開されたあとです。あれも山下くんが誘ってくれた。そこそこヒットして、評価もされました。まとまったギャラが入ってきたのでバイトも辞めましたね。
ほかの人と“浮気”したほうが成長する
──山下監督とタッグを組んできた向井さんですが、徐々にほかの監督ともお仕事をされるようになりましたね。
ずっと一緒にやり続けるのもよくないし、お互いほかの人と“浮気”したほうが成長するよねって話し合いました。でも内心はドキドキしていましたね。俺とやっているときより面白いものになったらどうしよう?って(笑)。向こうも思っていたと思います。まだ若くて、変な嫉妬もあったり。
──実際、同時期にそれぞれ別の方と作った作品が公開されることもありました。
山下くんが「天然コケッコー」を作ったときですね。しかもタッグを組んだのが渡辺あやさんですよ! あの作品がめちゃくちゃ評価された。実際素晴らしい映画だった。一方、俺が書いた作品は興行的にもあまりうまくいかなかった。変な気持ちになりましたね。評論家も「山下はもう向井と組まないほうが大きくなれる」と言い出した。
──そういう評価は目にしていたんですね。
業界の人がわざわざ教えてくれるんですよ(笑)。やっぱり、ショックだった。その後携わった作品もよかったり悪かったり、いい仕事ができなくて酷評されたりで、初めて円形脱毛症になりました。ほかの人が書いた作品を観て「やべえな、こんなの俺には書けない……」って凹んだり。
──ずっと順調にお仕事をされているイメージでした。
仕事はずっといただけていたんですが、失敗を続けていると仕事の質が下がっていく恐怖があった。山下敦弘の本を書いている向井康介ではなく、脚本家の向井康介として知ってもらえるように、代表作を作らなきゃなって。本当にきつかった。そこからようやく抜け出せたのが2016年公開の「聖の青春」です。時間はかかりましたが、やっと自分の代表作と言えるものが書けた。そこからは山下くんの作品も冷静に観られるようになりました。今回はこんなふうに書いたんだ?とか、俺だったらこうするなとか。また自分の好きなもんに逃げてるなとか(笑)。
──「聖の青春」は完成までに7年掛かったと聞きました。
必然的に思い入れも深くなりますよね。監督の森(義隆)くんに引っ張ってもらって、いい本が書けたと思っています。彼はロジカルな人なんで箱書きから、シーン運び、キャラクターの性格の変化、全部理詰めでいくタイプ。一緒に仕事をしてとても勉強になりました。彼には本当に感謝していますね。
──向井さんのように映画、ドラマ問わずさまざまなジャンルの脚本を手がけていらっしゃると、いろんなタイプの監督と仕事をする機会があると思います。
自分が感覚的な人間なんで、理詰めの人と組んだほうが合いますね。森くんだったり、「
──本作りをするうえでは合わないということですが、向井さんにとって山下さんとのお仕事には特別な思いがありますか?
特別ですね。山下くんと彼以外の監督という感じ。生まれが彼とだから、もうそれは仕方ないです(笑)。
──長年脚本を書かれてきて、忘れられないお仕事はありますか?
2011年公開の「マイ・バック・ページ」です。山下くんと撮影の近藤(龍人)くんと大学の同期3人が久々にそろった現場でした。成長したところ見せてやろう!って熱気がありましたね。「リンダリンダリンダ」は偶然ヒットしたけれど、この作品は意識的に狙っていった。予算もそれまでにない大きな規模だったし、妻夫木聡くんと、松山ケンイチくんという2大スターが出てくれることになって、いいものにしようと力が入っていました。毎日現場にも通っていましたね。あれをやって「ああ、俺の青春が終わったんだな……」と思いました。
フリーだと住む部屋も見つけられない(笑)
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