豊田四郎

トヨダシロウ

1924年、松竹蒲田撮影所に入社。監督として開花したのは、東京発声に移った1937年、「若い人」を作ってから。以後、文芸作品で力量を発揮し、特に「夫婦善哉」(1955)は、傑作である。