コミックナタリー PowerPush - 梅内創太「四弦のエレジー」
音大出身のルーキーが放つ音楽サスペンス 音が“視える”兄弟のオリジナル楽曲も公開
ここまでやる気のない生徒も珍しいのでは
──梅内先生は高校から音楽高校に入学されて、音楽大学のピアノ科を出られているとのことですが……。音楽の道を志された理由はどのようなものだったんでしょう。
いや、全然志してないんです。ピアノは3歳からやってるんですが、小学校、中学校とあんまり学校になじめなくて。私の行った音楽高校が自由な校風で知られていたので、そっちのほうが合ってるんじゃないかということで入学しました。
──そういう方って結構いらっしゃるものなんですか?
まあ、イレギュラーなほうだとは思います。ここまでやる気のない生徒も珍しかったんじゃないかと(笑)。
──(笑)不真面目な学生だった?
実技だけはやらなきゃいけないな、と思ってちゃんと練習してました。でも座学の講義は全然聞いてなくて……今思うと、真面目に受けておけばよかったって後悔してます。
──いちばんピアノを練習されていたのはいつごろですか?
黄金期は高3の終わりの頃です。
──あ、大学時代ではない。
そうですね。私が行っていた学校は高校・大学とエスカレーター式だったんですが、その卒業試験のときにドビュッシーを弾いたんです。そのとき初めて自分で「こいつは面白いぞ」と思えたので、ものすごく練習しました。
──「四弦のエレジー」も、兄弟がドビュッシーに会いにフランスへ行くことから始まる物語ですが、やはり先生もお好きなんでしょうか。
ええ。彼以前の作曲家って、和音を型みたいなものにはめて作ってるんですけど、ドビュッシーあたりからそれをわざと崩す動きがあって。そういう、正でも負でもない音の響きが好きだったんですよね。
──逆にそのほかの作曲家の曲は、あまり面白いと思わなかった?
クラシック音楽を練習していると、どうしても他人が作った曲を演奏することになるじゃないですか。それが小さい頃から嫌だったんです。自分で作るほうがどうしても好きで。
──演奏者ではなく、ご自身が作曲家という道はなかったんでしょうか。
あ、小学校のときはやってました。今日、当時の楽譜を持って来たんですけど……。
──おお、すごい。この曲、当時小学生だった梅内先生が全部作られたんですか?
そうですね。小学生のときにヤマハ音楽教室に通っていたんですが、そこでオリジナル曲のコンクールがあって。最後まで残って、TV番組で弾いたりもしました。それが小学校3・4年生ぐらいかな。5年生のときに、クソ生意気にもスランプになりまして(笑)。
──でもこれだけ作れたのに、作曲科ではなくピアノ科に行かれたんですね。
作曲をやると和声を学ばなきゃいけないんですが、それが嫌で。曲の中に正しいものと間違っているものがあるというのが許せなかった。進路を選ぶ頃は尖っていたというか、それを学んでから打ち破るのがカッコいい、ということに気付かなかったんですよね。
レッスンも20分に短縮
──マンガはいつごろから描かれていたんですか?
真面目に描き始めたのは20歳ぐらいじゃないかと思います。それより前は……マンガと呼べるのかな、あれは。
──それ以前も描いてはいたと。
授業中に交換マンガ描いたりはしていました。でも、ろくに描いてないくせにマンガ家になるんだって思い込んでた(笑)。
──じゃあ音大に入学されて学んでいたときにはもう、自分の進路について心に決めていたものがあったんですね。
そうですね。実技の先生も私が音楽方面に絶対行かないっていうのがわかってからは、1回のレッスンに45分かけてくれてたのが20分ぐらいになりました(笑)。でもそういう先生だったのも、運がよかったなと思います。
──それでゲッサンに持ち込みを。
最初は青年誌の賞に応募していました。そこで当時、ビッグコミックスピリッツの編集者だった今の担当さんに出会って、ゲッサン創刊の際に「一緒にやろう」と声をかけていただいた感じです。
──卒業後の進路については本当に迷われなかった?
そうですね。ちょうどマンガの賞をいただいて、卒業と同時ぐらいにアシスタント先が決まったので……。迷う前に、なんとかなってしまいましたね(笑)。
次のページ » 音楽なんて描きたくなかった
梅内創太(ウメウチソウタ)
11月23日生まれ。神奈川県出身。血液型O型。音大を卒業後、漫画の道へ進むことを決意。2009年6月に第1回ゲッサン新人賞佳作受賞。2010年6月に第66回新人コミック大賞入選。2010年9月に「ヴァラドラ」でプロデビュー。その後も読切に加え「Bloody Rose」「ドン・バルバッツァの息子達」という2作を短期集中連載し、「四弦のエレジー」で本格連載デビュー。