「S.Flight 内藤泰弘作品集」|処女作と「血界戦線」の共通項の多さに「嘘だろ!?」初期短編集をきっかけに振り返る、自身の原点

内藤泰弘「S.Flight 内藤泰弘作品集」がKADOKAWAのハルタコミックスより発売された。「S.Flight」は2012年に「コミティア100」に合わせて上梓され、今では入手困難となっていた同人誌。1989年に内藤が初めて描いたマンガ「サンディと迷いの森の仲間たち」、1994年にスーパージャンプα(集英社)で掲載された「Call xxxx」など、同書に収められた彼の初期短編からは、世界で愛されるマンガ家・内藤泰弘の原点と、約30年間変わらぬその魅力を見て取ることができる。

コミックナタリーでは「S.Flight 内藤泰弘作品集」の発売に合わせ、内藤にインタビューを実施。「サンディと迷いの森の仲間たち」が描かれるまでを中心に、思春期に影響を受けた作品や同人時代の思い出、これまでの連載作や「血界戦線」シリーズの今後までを、たっぷり語ってもらった。

取材・文 / 鈴木俊介

内藤泰弘インタビュー

“初めての二次創作がシュルツ”って、カッコよくない?

2012年にコミティア100を記念して制作された、同人版の「S.Flight」。

──同人時代の作品を中心に収録した「S.Flight 内藤泰弘作品集」。今回商業出版されるにあたって、改めて読み直されたご感想は?

いやあ、とにかく「サンディ」に驚きましたね。「俺、こんなにやってることが変わってないのか?」とゾッとしました。限定された空間に、特に挨拶もなく設定をばらまいて、いろいろな種族が共存する中で物語を展開していく。それって完全に“今やってるやつ”(笑)。「血界戦線」と使ってる筋肉がまったく同じなんです。

──「サンディと迷いの森の仲間たち」は今から約30年前に、内藤さんが初めて発表された作品ですが、主人公の地質学者・パトスは「血界戦線」のレオと同じ糸目キャラですね。

「サンディと迷いの森の仲間たち」より、主人公・パトスの登場シーン。

そうなんですよ、「嘘だろ!?」って思いました。回し車に乗っているハムスターみたいなもので、30年必死に走り続けても同じところにいるんです(笑)。絵が拙いのはあきらめますけど、ここまで構成要素が被っていると看過できないですよね。しまったなあと思っています。

──内藤さんご自身も驚かれたように、「サンディ」の頃にはマンガ家・内藤泰弘の骨組みが、ほぼできあがっているように思われます。今回のインタビューではそんな内藤さんの原点に迫りたいと思うのですが、子供の頃はどんなお子さんだったんでしょうか。

どちらかというと、ボールで遊ぶより、砂場の隅っこで本を読んでいるほうが好きな子供だったらしいです。今もガチガチのインドア派ですけど、昔からそうだったんですね(笑)。幼稚園の頃にはもう、紙にマンガを描いていました。スヌーピーの二次創作。たぶん幼稚園の蔵書に「PEANUTS」があって、それを読んでいたんじゃないかな。“初めての二次創作が(チャールズ・モンロー・)シュルツ”って、ちょっとカッコよくないですか?

──確かに(笑)。

「サンディと迷いの森の仲間たち」より。さまざまな種族が暮らす森の中で、パトスは“人型”の少女・サンディと出会う。

もちろん「PEANUTS」のシニカルさとかはまったくわかってなくて、なんとなく「このライン好きだな」とか思ってたんでしょうね。最初にマンガの単行本を買ってもらったのは5、6歳の頃で、赤塚不二夫先生の「天才バカボン」でした。曙出版というところから出ている、ちょっと大判の選り抜き版だったと思います。あまりマンガを買ってもらえるような家庭ではなかったんですけど、たぶん旅行中とかに黙らせておくために(笑)、買い与えてくれたんでしょうね。「バカボン」はアニメもよく見てたし、絵もそらで描けるくらい好きでした。

──「あまりマンガを買ってもらえなかった」というのは、普段はご両親が厳しくて……ということでしょうか。

いえいえ、なんとなく遠慮してしまって、ワガママが言えずにいた子供だったんです。自分から何か交渉したような覚えもまったくないですね。明らかにその反動で、大人になってからオモチャを買い漁ってしまっているんですけど(笑)。

子供の頃から「マンガ家になろう」と思ったことがない

──自分で好きなマンガを買ったりするようになったのは?

小学校2、3年生くらいでしょうか。「宇宙戦艦ヤマト」で空前の松本零士ブームが来て、限られた小遣いから松本零士先生の単行本を買ったのが始まりですね。その頃にはペンとインクも手に入れて、先生の劣化版みたいなイラストを描いていたかな。描いたからといって誰に見せるでもなく、自分でニヤッとしていましたね(笑)。

──最初に衝撃を受けたのは松本零士さんだったと。

「サンディと迷いの森の仲間たち」より。今は亡き“じーちゃん”と森に迷い込んで以来、10年間もここで暮らしてきたというサンディに、パトスは一緒に都へ帰る選択肢を提示する。 「サンディと迷いの森の仲間たち」より。サンディが森を出ていくかもしれないと聞き、戸惑う森の仲間たち。

そうですね。でも、あの頃はみんなそうでしたよ。順番で言うと、その次は僕が小6のときに登場された高橋留美子先生。あの頃はサンデー系の作家さんがすごく面白くて、「アオイホノオ」の燃くんじゃないですけど、増刊サンデーの作家さんにぐっときていました。中2で大友克洋先生のマンガにガーンとなり、同じくニューウェーブ系で高野文子先生とかにも影響を受けつつ、大友先生からフランスの作家・メビウスを知るんですよ。ていうか、僕らの世代、男でマンガ描いてたひねくれ者は、全員大友克洋の影響下という時代でした(笑)。マンガではほかに……全然関係ないところで、内田美奈子先生の影響を受けていると思います。

──確かに、内藤さんのマンガからは、線のタッチやモノローグの入れ方など、少女マンガっぽい雰囲気も感じます。

一時期、別冊少女コミック(小学館)を買ってたんです。吉田秋生先生の特集をマンガ専門誌で読んで、好きになって。吉田先生が載ってるからと別冊少女コミックを買ったら、そこで渡辺多恵子先生が「ファミリー!」を連載されてたんですよ。かわいいし、読んじゃうじゃないですか(笑)。そのあたり読みたさに、「男なのに恥ずかしい……」と思いつつも、買っていましたね。

──マンガ以外だとどんなものがお好きでしたか?

僕はやっぱり映画で、「スター・ウォーズ」と「バック・トゥ・ザ・フューチャー」3作は外せないですね。1980年代のSF映画はひと通り観ていて、もちろん「未知との遭遇」も「E.T.」もよかったですけど、「バック・トゥ・ザ・フューチャー」は本当に好きです。あんなによくできている娯楽はないですよ。あと、小説だったら菊地秀行先生とか、夢枕獏先生とか。平井和正先生の「ウルフガイ」「死霊狩り(ゾンビ・ハンター)」とかも好きでしたね。筒井康隆先生に至っては全集を買ってもらって、持っていました。

「サンディと迷いの森の仲間たち」より。ある日、サンディが森の暴れん坊・ブライエンにさらわれてしまう。

──内藤さんというと、無類のフィギュア好きというイメージもありますが……。

うーん。でも、個人的にはマンガや映画ほど年季の入った趣味じゃないです。昔のフィギュアは出来のいいものが少なかったんですよ。僕、マンガ家にならずに一度就職を経験しているんですけど、社内旅行でグアムに連れて行ってもらったことがあって。そのときにグアムのスーパーで買ったバットマンのフィギュアが、僕のタガを外してしまったんです(笑)。日本に帰ってきてから並行輸入品を買える店を見つけて、べらぼうな値段のフィギュアを買っていましたね。

──なるほど、フィギュアは自由に使えるお金ができてからの趣味なんですね。就職なされたということですが、最初からマンガ家を目指していたわけではないんですか?

なんというか、あまりものを考えていなかったんですね(笑)。小さい頃から「将来マンガ家になろう!」と思ったことがなくて、もっと自然に、子供が大人になるように、いつか自分はマンガ家になるもんだろうと思ってたんです。それ以外の道はないというか。でも、ものを考えてないんで、なんの戦略もなく就職してしまって。

「サンディと迷いの森の仲間たち」より。パトスはサンディを助けようと、在りし日に“じーちゃん”が作った飛行機に乗り込むが……。

──「サンディ」を執筆されたのは、就職されるよりも前ですよね。マンガはずっと描き続けてたんでしょうか。

そうですね。高校時代は非公式の漫研に誘ってもらって、そこの冊子に4ページとか8ページのマンガを載せたり。大学は法政大学に通っていたんですが、ミニコミ出版研究会というサークルで、「法政野郎くん」という学生の不満を綴ったマンガを描いたりしていました。とはいえ、しっかりとストーリーのある、50ページ近いものを完成させたのは「サンディ」が初めてでしたね。

いいマンガを読めば、いいマンガの文法がわかる

──では読み切りの短編としても、「サンディ」が初めての作品だったわけですね。同人誌として販売しようと思ったのには、何か理由があったんですか?

描き始めたのは大学2年の後半くらいでしたけど、特にきっかけとかはなかったと思いますね。当時COMIC BOX(ふゅーじょんぷろだくと)とか、ぱふ(雑草社)を読んでいると、同人誌のコーナーにコミティアの案内が載っていて、そういう世界があることは知ってたんです。ただ「いつかこれに出よう」と思っていたというよりは、出るもんなんだろうなと思っていた。

──出版社に持ち込みに行くとかではなくて、最初から同人誌即売会で発表しようと。

当時はそうでしたね。持ち込みに行くって感覚はなかったです。

──作品を拝読して、初めて描いたマンガとは思えないほど構成がしっかりしていることに驚いたのですが。

そうですか? 僕はいいマンガをたくさん読んでましたからね(笑)。いいマンガを読めば、いいマンガの文法が入ってくる。そのおかげだと思います。当時は同じ絵を何回も描くのが嫌で、ネームすら切ってなかったんですよ。単純に前から描いていって、この展開だるいかなと思ったら盛り上げて。そんなやり方をしてたからか、ペン入れまでしておきながらボツにした原稿というのが、後から相当数出てきて……。見つけたときに「えっ、何これ俺の絵じゃん!」と思ったくらい、描き直したことすら忘れてたんですけど(笑)、「サンディ」なんか30枚くらい描いたところでやめて一からやり直してるんです。ボツ原稿を読んでみると、話の筋は今と同じなのに、確かになんかつまんないんですよね。

──面白いマンガを見極める眼力が養われてたんですね。「サンディ」は500部用意したところ、お父さんに「こんなにお前のマンガが売れるものか!」と言われ口論になったそうですが……。

同人誌版「サンディと迷いの森の仲間たち」の表紙。

その件はいまだに納得していません(笑)。とはいえ、そもそもこういうイベント自体参加したことがありませんでしたし、他の人がどのくらい刷っているのか知らなかったんです。だけど、きっと500人くらいはこの本を欲しがってくれるんじゃないかなって思って。初めての即売会はMGMでしたが、その日持っていった100冊は全部売れましたね。コミティアの中村(公彦)さんともご挨拶させていただいて、そういう今後への繋がりも生まれた日でした。……あっ、そういえば「サンディ」は、その後Little boy(ふゅーじょんぷろだくと)に掲載されましたね。堤抄子先生の読み切りと一緒に載ったのを覚えています。記憶のフタが開いたのか、今話をしていたら急に思い出しました。僕、ずっと「Call xxxx」が商業デビュー作だと言ってきましたけど、たぶん「サンディ」ですね(笑)。

内藤泰弘「S.Flight 内藤泰弘作品集」
発売中 / KADOKAWA
内藤泰弘「S.Flight 内藤泰弘作品集」

コミックス 691円

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Kindle版 640円

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収録作品
  • 「サンディと迷いの森の仲間たち」
  • 「僕等の頭上に彼の場所」
  • 「Christmas Heart」
  • 「Call xxxx」
  • 「Christmas Heart Again」
  • 「Satellite Lovers」

内藤泰弘が同人時代に発表した作品を中心に収録した初期短編集。2012年に「コミティア100」を記念して上梓され、長らく入手困難となっていた同人誌を商業単行本化したものとなる。1989年に発表された内藤初めての同人誌「サンディと迷いの森の仲間たち」や、1992年に発表され、その後スーパージャンプα(集英社)に掲載された「Call xxxx」など、全6編が収められた。

内藤泰弘(ナイトウヤスヒロ)
内藤泰弘
1967年4月8日神奈川県横浜市生まれ。同人誌で発表した「サンディと迷いの森の仲間たち」が、1990年、Little boy(ふゅーじょんぷろだくと)に再録され、商業デビュー。代表作にアニメ化、映画化された「トライガン」「トライガン・マキシマム」。またジャンプスクエア、ジャンプSQ.19(ともに集英社)にて連載された「血界戦線」も、2015年と2017年にアニメ化を果たした。現在はジャンプSQ.CROWN(集英社)にて、同作の新シリーズ「血界戦線 Back 2 Back」を連載中。アメリカンコミックおよびフィギュアのフリークとしても知られ、自身もフィギュア製作ブランドを主宰している。