見栄を張ってアニメ業界からさよなら
──安彦さんは「ヴイナス戦記」を最後に一度アニメ業界から離れていらっしゃいますが、いつ頃からアニメ業界を辞めようという気持ちがあったのでしょうか。
アニメ業界を辞めようというのは、かなり前に別な作品でちょっとしくじったときから感じていたんですよね。漠然と、遠からず辞めるだろうなと。ただ「ヴイナス戦記」を最後の作品にしようというのは100%決めていたわけではないんです。「ヴイナス戦記」である程度の興行成績を収めれば、もうワンチャンスくらいあるんじゃないか。もしあったら、そのワンチャンスは興行成績なんて雑念を抱かないで、思いっきりわがままをしよう。人の迷惑にならない程度に好きなことをやって、それでアニメ業界からさよならをしようと、そう思っていたんです。まあ、そんなにうまくはいかないだろうなとも思っていたんだけど(笑)。
──そこで結果が振るわなかった、と。
数字はいまだに聞いていないです。まあ、聞くまでもなかったし。作品の出来不出来じゃなくて、これだけがんばっても結局こうなのかと当時は思いましたね。
──辞めると決めてから、心が揺れることはなかったのですか?
これはもう見栄っ張りみたいなものですけど、「お前さんはこの業界でいらないよ」って言われる前に、「俺のほうから出てってやらあ」って、そういうカッコつけようという気持ちがあったんですよ。「何か仕事ください」ってそんな状態になってまで、この世界で生きていたかねえよって。それで、辞めるタイミングが遅かったら「お前いらないよ」って言われると思ったから、一刻を争うようにすぐに辞めました。その勢いで「ヴイナス戦記」ももう振り返りたくないなと。
やっとできた“普通の作り方”
──「ヴイナス戦記」は安彦さんの立ち上げた九月社というスタジオで制作された作品ですよね。ほかの作品とは思い入れは違うものですか?
やっぱり違いますね。それまでは(アニメーション制作会社の)サンライズなんかと一緒になって、そこのスタッフとして作っていましたから。「この『ヴイナス戦記』の製作者は俺だ」って、そういう思いは強かったです。
──九月社での思い出があれば教えていただけますか?
九月社のスタジオが(東京の)田無にあったんですけど、我が社の財力で借りたスタジオだからそんなに広いところを借りられなくて。まだセルの時代で、機材や資料も多かったから今思い出しても、あそこでよくやれたなって言うぐらい狭かったですね。ただ雰囲気はよかったですよ。周りに余計なものがなくて、口出しもされないし。予算はこれだけだよって渡されて、あとはまるっきり自己管理ですから。ただ予算が全部素通しで見えるぶん、心配は尽きなかったですね。でも数字に強い友人がプロデューサーをやってくれて、“格安”のアメリカロケも仕切ってくれて。とにかく製作管理費を限りなくゼロにできましたから(笑)。
──自社制作で取り組み方や気持ちが変わった部分はありましたか?
そうですね。サンライズと制作をやっていたころは、“会社の壁”がなんだかんだ言ってもあるんですよ。制作を始めるときに人を集めるのでも、サンライズの人脈からっていうふうになりがちで。でもそこを飛び出してやっているから、そういう壁が一切ない。だから神村(幸子)さんっていう姉御肌で顔が広い作画監督が、あちこちに声をかけてくれてね。「あの人やってくれますよ、この人連れてきました」と、それがありがたかったですね。
──「ヴイナス戦記」以前の「クラッシャージョウ」だと監督をやりながら作画監督までご自身で務めてらっしゃいますよね。やはり、他人には任せられないという気持ちもあったのですか?
そういう気持ちもあるにはあったけど、それよりも人がいなかったんですよね。神村さんは「ヴイナス戦記」の前にやった「風と木の詩 SANCTUS -聖なるかな-」っていうアニメで作画監督をお願いしていて、その縁で「ヴイナス戦記」でもスタッフに加わってもらいました。
──「風と木の詩」は竹宮惠子さんのマンガをアニメ化した作品で、そのOVAの監督を安彦さんが務めていらっしゃいました。
そのときに、けっこううまくいった感じがあったんです。「ヴイナス戦記」では、そこにメカ作画監督を絶対立てようというので、いろいろビデオを観漁って、マニアックで面白い仕事しているやつだなと、初対面だったけど佐野(浩敏)くんを口説いて連れてきて。それで、作画監督がいて、メカ作画監督がいて、監督が自分でっていう世間並みの陣容でやっとやれたんですよね。やりたかったんですよ、普通の作り方を。それがやっとできたっていうのはうれしかったですね。
世代交代と若手の波
──この作品の制作には、現在第一線で活躍されている方なども数多く参加されていたと思います。「若手を起用したい」という安彦さんの考えもあったそうですが。
やはり80年代後半っていうのは、大きな世代交代の時期だったんですよね。若い世代の人たちは前向きで意欲的に仕事をしてくれる。それに対して自分の先輩たちを含めた古い世代の人たちは、仕事がとにかくつまらない。だからこれは、僕がどうのこうのじゃなくて、本当に当時の流れだったと思いますね。
──確かにこの時代には、ガイナックス制作で1987年公開の「王立宇宙軍 オネアミスの翼」、1988年公開で大友克洋監督作の「AKIRA」、1989年公開の押井守監督作「機動警察パトレイバー THE MOVIE」などアニメ史に残る錚々たる作品が並んでいます。
だから、そういった作品と張り合うために、ベテランに頼って今までのようなことやってちゃダメだという意識は最初からあったんです。
──当時のアニメ業界に、若いアニメーターや監督の波が来ていることについて、安彦さん自身はどうお考えだったんですか?
その波が来ていること自体は非常にいいことだと思っていました。ただ、それに負けちゃいけないし、それとどうやって自分が拮抗していくかは大変な問題なわけですよ。大げさな言い方をすると、「これは生きるか死ぬかだな」っていう感じがしたんです。
──業界を離れるにあたってはそういう思いもあったのですね。
そうですね。ダメだ、このままじゃ生きていけない、と感じて。そうすると最後の作品になる「ヴイナス戦記」は、僕の中では若い世代に負けたっていう一種の記念碑みたいなものになるわけですから。そんな記念碑なんか残してやるものか、道連れにするんだって、封印にはそういう思いもありました。
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意地になって封印
- 「ヴイナス戦記」
- 2019年7月26日発売 / バンダイナムコアーツ
- 収録内容
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- 本編100分+特典映像3分
特典
- 安彦良和描き下ろし収納BOX
- 特製ブックレット
- 縮刷パンフレット
映像特典
- 特報
- スタッフ
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原作:安彦良和(学研「NORA」掲載)
監督:安彦良和
脚本:笹本祐一・安彦良和
作画監督:神村幸子
メカニック作画監督:佐野浩敏
メカニックデザイン:小林誠・横山宏
キャラクターデザイン:安彦良和
美術監督:小林七郎
撮影監督:玉川芳行
音響監督:千葉耕市
音楽監督:久石譲
制作協力:トライアングルスタッフ
アニメーション制作:九月社
製作:ヴイナス戦記製作委員会
配給:松竹
- キャスト
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ヒロ:植草克秀
マギー:水谷優子
スウ:原えりこ
ミランダ:佐々木優子
ガリー:納谷悟朗
ウィル:大塚芳忠
キャッシー:吉田古奈美(現:吉田小南美)
ロブ:菊池正美
ジャック:梁田淸之
カーツ:池田秀一
ドナー:塩沢兼人
将軍:藤本譲
シムス:玄田哲章
©学研・松竹・バンダイ
- 安彦良和(ヤスヒコヨシカズ)
- 1947年12月9日生まれ。マンガ家、アニメ監督、イラストレーター。TVアニメ「機動戦士ガンダム」のキャラクターデザイン、アニメーションディレクターとして注目を集める。その後「クラッシャージョウ」「巨神ゴーグ」「アリオン」などのアニメ作品でキャラクターデザイン、作画監督、監督を務める。1989年公開の劇場アニメ「ヴイナス戦記」を最後にアニメ業界から身を引き、マンガ家として活躍。2015年には自身がマンガ原作者であるアニメ「機動戦士ガンダム THE ORIGIN」にて25年ぶりにアニメ業界に復帰し、総監督を務めた。