モーニング×コミックナタリー
コミックナタリー Power Push - 谷口ジロー フランス芸術文化勲章受章記念インタビュー
文学性で内外に人気のマエストロが語る 新作「ふらり。」ライフワーク化計画
「ふらり。」は週刊で描いてたわけじゃないんです
──確かに最初のうちは、僕も読んでいてきょとんとしていました。なにしろ名前もわからない主人公が、鳥の目線になったり猫の目線になったりしながら江戸を眺めてるだけで。
ははは。
──ところがだんだんヒントが集まってきて、どうやらこの男は伊能忠敬なんだと確信するに至る。このときのパッと霧が晴れたような印象は鮮やかでした。それに、歴史上の偉人を、誰であるか一度も明示しないまま終わらせてしまう語り口は、すごく新しいと思いました。偉人だからこそできるというか。
ありがとうございます。そう言われると、次も描きたいって気持ちになってきますね。
──わあ、次回作が用意されてるんですか?
用意というか、またこんな感じでできるなら、今度は誰々をモチーフにやってみたいって提示してるところなんです。できるかどうかは、編集部の判断だと思います(笑)。
──また江戸時代を舞台に?
いや、明治でやってみたいと思っています。できたら江戸、明治、大正、昭和ぐらいまで、時代時代の誰かに、その時々の東京の地図の上を歩かせてみたいな、と。
──今度は明治の街並みを、明治の偉人が歩き回るということですか。すごい。興奮してきました。ちなみに誰を題材になさるのか教えていただけたりは……。
ははは、それは3年後のお楽しみということで。
──ですよね(笑)。というか、え、3年後ですか? 来月連載スタートとかではなくて?
「ふらり。」は、あれは週刊で描いてたわけじゃないんですよ(笑)。描きためてから掲載してもらったんです。でないと私のペースじゃ、できません。
──描きためたというのは、どの程度まで。
おしまいまで。
──えええ?!
2年くらいかかったのかな。だから次回作が載るまでには、またあと2、3年、お待ちください(笑)。
確かに背景には思い入れを持っていますね
──最後まで描き終えてからの連載だったんですね。まああれだけのトーンワークで緻密に書き込まれた背景を見ると、それは2年かかるのもむべなるかな、というか。
うーん、他の人がどう考えてるかわからないけど、私は背景がただの記号じゃ不満なんです。背景もキャラクターとして描かなくちゃいけないんじゃないかって、ずっと感じてましたね。
──背景もキャラクターとして描く、というのはどういうことでしょうか。
ちょっといまタイトルが出てこないけど、ある映画で、ずっと引きで人物はほんの小さくしか映っていない、そのすごいロングの景色で何か、キャラクターの心象を表現してるみたいなシーンがあったんですよね。それを観たとき「これ、マンガでできないのかな」って。
──景色からムードとか気持ちが伝わるような表現を。
たとえば画面の真ん中を地平線がこう横切ってるカットがあったとして、地平線が次に上に動くか下に動くかで、観る人の感情が変わってくるんですよ。そういうことに興味があったから、確かに背景には思い入れを持ってますね。
──ジロー先生はバンド・デシネ(フランスのマンガ。以下B.D.)からの影響を明言されていますけれど、B.D.も背景は細かいものが多いですよね。
B.D.はね、絵を飛ばして描かないっていうかな、あまり省略をしないんです。日本のマンガって、コマとコマの間に、抜いた絵のコマをもうひとつ挟んだりするんだけど、そういうのはやらない。ひとコマごとの絵を大事にして描いてるって感じるんです。ただ、日本の読者にはそれが読みにくく映ってる部分もあって、だから私の作品は国内であまり売れないのかもしれない。
──いやいや(笑)。今回の叙勲式でも、ミッテラン文化・通信大臣が「和洋折衷な絵柄なのでフランス人にも親しみがある」っておっしゃっていましたね。
それは多少あるかも知れないですね。私はヨーロッパの読者のために描いてるわけじゃなくて日本の読者のために描いてるから、コマ割りなんかも日本の読者を意識して描いてるんです。けど、ヨーロッパの人が見るとB.D.っぽいとか言われたりします。
──ヨーロッパの人にとって読み慣れた感じがあるのかもしれないですね。
70年代後半にB.D.を見つけた頃、夢中で読んだり模写したりしていたので、恐らく自分の無意識に少しずつ貯まっていた影響が、日本のマンガを描くときにも出てたのかもしれないですね。でも正直、自分ではよくわからないな。
1957年に創設された、フランス共和国文化省より与えられる勲章。芸術や文学の分野において功績をあげた人物や、フランス文化に貢献した人物が叙勲の対象となる。等級はシュヴァリエ(騎士)、オフィシエ(将校)、コマンドゥール(騎士団長)の3段階。過去には大友克洋や北野武も叙勲されている。
あらすじ
主人公は隠居した男。男は今日も江戸の町でゆっくり、しっかり歩を進め、ふらりと優雅に散策する。あるときは鳶の視線を借りて雲間から、あるときは猫の目線で軒先を。遠くに霞む富士の山麓や一面に広がる上野の桜、四季折々の江戸を縦横から眺める男の視界が、繊細かつ緻密な筆致によって描き出される。やがてドラマは動き出し、男は淡々と歩幅を保ちながら歩みを重ねていくのだった。
谷口ジロー(たにぐちじろー)
1947年鳥取県生まれ。1971年週刊ヤングコミック(双葉社)にて「嗄れた部屋」でデビュー。デビュー当初は谷口じろう名義での活動を中心としていた。「犬を飼う」「歩くひと」などの自然・動物もの、「事件屋稼業」のようなハードボイルド、さらに学術的な「「坊っちゃん」の時代」など作品ジャンルは多岐にわたる。受賞も多く、1992年「犬を飼う」で第37回小学館漫画賞審査員特別賞を、翌年「 「坊っちゃん」の時代 」で第12回日本漫画家協会優秀賞および第2回手塚治虫文化賞マンガ大賞を受賞。1998年には「遥かな町へ」が第3回文化庁メディア芸術祭マンガ部門優秀賞、2002年フランスのアングレーム国際漫画祭最優秀脚本賞。2005年にもアングレーム国際漫画祭にて「神々の山嶺」が最優秀美術賞を受賞している。1994年月刊PANJA(扶桑社)にて連載した「孤独のグルメ」はネット上で再評価され、今や代表作のひとつに。イタリア、フランスなど欧州を中心に海外版も出版された。その後もSPA(扶桑社)にて新作が不定期で発表されている。