伊藤さん、さらに画力が向上してません?
夢枕 以前、一緒に仕事をしていた頃から、伊藤さんはとにかく絵がうまい人だとは思っていたけど、最近さらに画力が向上していませんか? 本作でも、大蛇だとか百足(ムカデ)だとかが生々しく描かれているのを見たら、その1枚の絵の力だけでファンタジーの世界が成立しているのがよくわかる。これは小説とはまったく違う表現の仕方だから、悔しくもあり、うれしくもあるというね。「荒野に獣 慟哭す」をマンガにしてもらったときも思ったけど、出てくる生き物が、本当にそういう動きをしそうで。その生々しさというかリアリズムは、伊藤さんの並外れた画力あってのものなんだと思います。見えないものを見えるようにする、あるいは、動かないはずの絵を動いているように見せるっていうのは、マンガの醍醐味の1つですから。
伊藤 そこまで言っていただけて恐縮なんですけど、僕はもともとは演劇志望の人間でして、“画作り”をしたいのであって、絵そのものを描きたいわけじゃないんです。だから画力については自信もないし、それほどこだわりもない。確かに、生物の動きをじっと観察したり、蛇の鱗なんかをちまちまと描く作業は嫌いじゃないんですけどね(笑)。
夢枕 画作りと絵を描くことは違うものなの?
伊藤 うまく言えないんですけど、要するに、“お客さん=読者”に何を訴えられるかを常に考えているんです。そのための演出を僕はしたいのであって、絵を描くこと自体よりも、“伝えたいこと”を考えたり、それを見たお客さんの顔を想像したりすることのほうが楽しいんです。でも、その頭の中にあるイメージを伝えるには、やはりある程度の画力というものは必要ではありますよね。いやあ、なんだかうまく言えなくてすみません。
夢枕 いや、なんとなくはわかるよ。
──夢枕先生は、はじめて伊藤先生が描いた晴明と博雅のビジュアルをご覧になったとき、どう思われましたか?
夢枕 「お、こうきたか」というのが半分で、「なるほどね」というのが半分でした。「こうきたか」の部分で言えば、短編の「陰陽師」ではなかなか描くことのできなかった、2人のやり取りみたいなものまでが想像できちゃったんですよ。もっと言えば、僕がこれまで切り込んでなかった2人の姿が見えた。だから早くこの、まだラフな線の連なりでしかない晴明と博雅が、マンガのキャラになって、実際にコマの中で語り合うところを見たいと思いました。ちなみに僕は、伊藤さん以外のマンガ家にもあまり細かい注文はつけません。原作者がいろいろ口出しすると、マイナスのプレッシャーにしかならない気がして。
伊藤 それはありがたい限りです(笑)。
平安の都を舞台に、剣と魔法のファンタジーをやりたかった
夢枕 原作の「瀧夜叉姫」を書く前に、僕もかなりいろんなことを取材したからわかるんだけど、伊藤さんはそれよりもさらに深く調べている。僕が「ここは適当でいいか」と思ってスルーしたような部分まで、ちゃんと専門的な資料に当たって調べていますから。その姿勢には、同じ作家として感服しました。
伊藤 いやあ、もちろん自分なりに多少は調べましたけど、おそらく、取材については(夢枕の「陰陽師」をコミカライズしている)岡野玲子さんのほうがすごいんじゃないかと思います。
夢枕 岡野さんはまた、伊藤さんとは取材の凝り方が違うんだよ。例えば、「平安時代の建物の屋根の裏はどうなっているのか」とかね、こだわる部分が伊藤さんとはまた別の方を向いています。伊藤さんはどちらかと言えば歴史的な事件の真相とか、晴明なら晴明、博雅なら博雅が本当はどういう人物だったのかとか、こだわるのはそのへんでしょう?
伊藤 まあそうですね。あまりいばって言うようなことじゃないですけど、建物の描写なんかは、僕はでたらめですから(笑)。
夢枕 でたらめってことはないと思うけど(笑)、岡野さんは可能な限り、当時の資料を集めてからでないと絵にできないみたいなんですよ。その執念みたいなものが生み出す“説得力”というのは、確かにありますね。
伊藤 僕も、今回のコミカライズが最初に「陰陽師」をビジュアル化するという仕事だったら、そこまでこだわるべきだったかもしれませんけど、すでに岡野さんのマンガをはじめとして、映画やドラマなどさまざまな形でビジュアル化されている作品だから、そのへんは自己流でいいかなと。むしろ、自分なりの平安の都を舞台にした剣と魔法のファンタジーをやりたかったので、作品世界を構築する建物なんかはどんどん自分で作っちゃおうと思っています。場合によっては西洋風のイメージなども取り入れたりして。
夢枕 それでいいんだよ。ほかの作家と同じことをやっても意味がないからね。
伊藤 そう言えば、滋賀県の読者の方が、「勢多の大橋はこんな人外魔境じゃない」ってネットで書いてるのを見ましたよ(笑)。でも、「ごめん、三上山はもっと魔境にしてるんだ」って(笑)。
夢枕 実際の三上山は、僕も初めて見たとき、少しがっかりしました。どうやったらこの長閑(のどか)な山の風景から、大百足が棲んでいるようなおどろおどろしいイメージが生まれるんだろうっていう。でもそういう伝承は、ないよりもあったほうが、同じファンタジーを描くにしても、嘘にリアリティを持たせることができるんだよね。
伊藤 同感です。まったくのゼロから何かを生み出すのはかえって難しいものがありますから。いずれにせよ、ある程度は史実や伝承を踏まえつつも、このマンガ版の「瀧夜叉姫」では、歌舞伎とヒロイックファンタジーを合わせたような独自の世界観が作れればいいなと思っています。
今、ものすごいことが起きている
夢枕 さっきマンガ家にはあまり細かい注文を出さないって言ったけど、僕は常々、自分の作品をほかの人に託す場合、原作は“素材”くらいに考えてくれればいいんじゃないかなと思っています。素材はあくまでも素材だから、自由にいじってくれればいい。もちろん、自分の作品はかわいいものですから、どなたにお願いするのかについてまでは責任を持って考えますが、いったん頼んだ以上はその人の才能を信じて、あとは読者として客観的に楽しみたいものですね。
伊藤 僕のほうとしても、すでに獏先生が書かれている完成された小説があるわけだから、それをそのままマンガにしたって意味はないと考えています。やはりマンガならではの見せ方や広がりを持たせないと。
夢枕 おかげで、従来の僕の読者以外にも「陰陽師」の世界が広がっていると思いますよ。
伊藤 だったらうれしいですけどね。さっき画作りの話をしたときにも言いましたけど、やっぱり多くの人たちに伝えたいんですよ。「こんなすごい小説があるぞ!」ってね。そういう意味では、コミカライズの仕事というのは、翻訳家のそれと似ている部分があるかもしれません。翻訳家というのは、「アメリカの人たちが面白がっているこの物語を、日本語に訳してもっと広めたい!」と思いながら、仕事をしているわけでしょう? だからもし僕のマンガを読んで面白いと思ってくれた方の中で、まだ獏先生の小説を読んでいない方がいたら、ぜひ原作も読んでほしいと思います。
──それでは最後に、コミックナタリーの読者に向けて、本作の見どころについてお話しいただけますか。
伊藤 強いて言えば……全部、かな(笑)。やっぱりマンガ家としては、すべての場面、すべてのセリフに思い入れがあるものですから。現時点での自分がやれるすべてを注ぎ込んでいるつもりですので、ぜひお手に取ってください。
夢枕 繰り返しになりますが、このマンガにおける僕の立ち位置は“素材の提供者”ですから、基本的には伊藤さんにすべてをお任せして、毎回読者として楽しんでいるんです。逆に言えば、原作者でありながら作品を客観的に見られているってことなんですけど、なんか今、ものすごいことが起きてるんだな、ということだけはわかる。(ゲラをパラパラと捲りながら)これでもマンガは人一倍読んでいるほうなんだけど、小説をコミカライズするといっても、なかなかこううまくはいかないと思うんですよ。いずれにしても、読者の皆さんは僕が書いた原作のイメージにとらわれずに、“伊藤勢の安倍晴明”を楽しんでいただけたら幸いです。
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