「荒野に獣 慟哭す」「闇狩り師 キマイラ天龍変」と、夢枕獏の小説を題材にした力作を発表してきた伊藤勢。彼が次なるコミカライズの題材に選んだのは、夢枕の大ヒット小説「陰陽師」の、シリーズ屈指の人気エピソード「瀧夜叉姫」だった。
コミックナタリーでは、KADOKAWAのWebマンガサイト・COMIC Huで連載されている「瀧夜叉姫 陰陽師絵草子」の単行本1巻発売に合わせて、夢枕と伊藤にインタビューする機会を得た。連載が始まった経緯から、原作小説の魅力、伊藤が描く「瀧夜叉姫」の見どころ……。親交の深い2人は、終始和やかな雰囲気で取材に応じてくれたが、夢枕の「映像化があるかも」「今、ものすごいことが起きている」という言葉には、本作に対する静かな興奮がにじむ。また伊藤の「描きがいがある」「自分がやれるすべてを注ぎ込んでいる」といった言葉からは、作品への確かな手応えが感じられた。
取材・文 / 島田一志 撮影 / ヨシダヤスシ
天徳4年(西暦960年)春。京では「盗らずの盗人」「妊婦の連続殺人」といった奇妙な事件が続いていた。そんな中、天文得業生・安倍晴明と、その友人で醍醐天皇の孫である源博雅は、とある仕事の依頼を受ける。それは京を揺るがす災厄の前触れだった。
- 安倍晴明(あべのはるあき)
後世、“あべのせいめい”として知られる陰陽師。現在の身分は、陰陽寮の学生にあたる天文得業生。
- 源博雅(みなもとのひろまさ)
晴明の友人。醍醐天皇の皇孫であり、管弦の名手として知られる。
- 賀茂保憲(かものやすのり)
陰陽師としての晴明の兄弟子で、現在は陰陽頭として晴明の上司にあたる。高名な陰陽師・賀茂忠行(かものただゆき)の長男。
- 蘆屋道満(あしやどうまん)
播磨国出身の民間の陰陽師・方術師。
- 平貞盛(たいらのさだもり) / 常平太(じょうへいた)
鎮守府将軍。「常平太」とは「常陸平氏の嫡男(太郎)」を意味する通称。顔にできた瘡(かさ)のため、仮面をつけている。
- 藤原秀郷(ふじわらのひでさと) / 俵藤太(たわらのとうた)
若き頃より武勇の高さで名を知られる武人。「俵藤太」とは「田原郷(=俵)の藤原氏の嫡男(太郎)」を意味する通称。
- 盗らずの盗人
天徳4年の京を騒がす、正体不明、目的不明の謎の盗賊集団。
「瀧夜叉姫」はベーシックな夢枕獏作品
──今日は、現在COMIC Huにて「瀧夜叉姫 陰陽師絵草子」を連載中の伊藤勢先生と、原作者の夢枕獏先生にお越しいただきました。単行本1巻が発売され、ますます勢いに乗っている同作ですが、まずは今回のコミカライズの企画が実現したいきさつを教えていただけますか。
伊藤勢 1つ大きな仕事を終えて、「さて、次は何をしようかな?」とぼんやり考えていたら、ふと「瀧夜叉姫」のことを思い出したんですよ。実はこれ、前々からマンガにしたいなと考えていた作品でして。それでさっそく、獏先生に「『瀧夜叉姫』をマンガにしてみたいんですが、いかがでしょうか?」と、やるのを前提で(笑)、直接プレゼンしたんです。我ながら大胆な話だと思いますが、その段階ではまだ掲載誌も何も決まっていませんでした。
夢枕獏 伊藤さんはこれまでも何度か僕の小説をとてもいい形でマンガにしてくれていましたから、特に反対する理由もありませんし、ほぼ即決で「いいよ」と。ただ、おっしゃるように、どこで連載するのかまでは決まってないというお話だったので、余計なお世話かもしれないけど、そこから先は僕のほうで動きました。もしかしたらこのマンガ化をきっかけに映像化があるかもしれないと考えたとき、それならばその手のメディアミックスに強いKADOKAWAさんがいいんじゃなかろうかと。それで、うちの事務所の人間を通じてKADOKAWAさんに相談してみたら、ありがたいことに快諾してもらえました。でも、「陰陽師」シリーズにもいろいろとネタはあるわけじゃない? その中でなぜ、「瀧夜叉姫」を描きたいと思ったんですか?
伊藤 ちょっと誤解を招くような言い方になっちゃうかもしれませんが、「これは『陰陽師』じゃない」と思ったんです(笑)。たぶん意図的なものだと思いますけど、シリーズのほかの作品とは少し違うノリで書かれているでしょう? 夢枕獏作品の平熱に近いというか。その辺りに「マンガにできる自由さ」みたいなものを感じたんです。
夢枕 確かに、シリーズのほかの作品は基本的に短編だということもあるけど、あえて熱量は抑え気味に書いています。でも、この「瀧夜叉姫」については、ふだん僕が書いている伝奇アクションのノリを全開にして書いてますからね。マンガっぽいと言えばマンガっぽいと言えるかもしれない。
伊藤 それともう1つ。基本的に「陰陽師」シリーズは、時代背景やキャラクターの家族構成などをあいまいに書いてるじゃないですか。もちろんそのあいまいさがいいわけですが。でも、この「瀧夜叉姫」については、はっきりと出てくる重要なエピソードがいつ起きたことなのか、史実としてわかっている。歴史上の人物も何人も出てくる。それについても面白いというか、描きがいがある、と思いました。
夢枕 一応、「陰陽師」シリーズの物語は、時代で言えば天徳4年をイメージしてはいるんだけどね。ただ当時の安倍晴明は、僕が小説で書いているような権力を持った陰陽師ではなかったはずです。それと、これはちょっとずるい考え方なのかもしれないけど、「前後10年以内に起きた事件は、すべて天徳4年の出来事」というふうに設定しているんです(笑)。
伊藤 それはとてもいい考え方ですね(笑)。
夢枕 小説なんだから、面白ければいいだろうと(笑)。
伊藤 「瀧夜叉姫」に話を戻しますと、この作品で描かれているのは獏先生の創作、すなわちファンタジーであると同時に、日本史の流れが大きく変わっていった頃に起きた“史実”でもあるわけで。本来の「陰陽師」シリーズは、言わば“個人の話”として読ませる幻想小説なんですけど、この「瀧夜叉姫」だけは、国家のあり方みたいな部分にまで切り込んでいるように僕には思えました。それと同時に、いや、それゆえにと言うべきか、“リアルな晴明像”や“リアルな(源)博雅像”というものが浮かびあがってくるんですよ。
夢枕獏が源博雅で、伊藤勢が安倍晴明?
夢枕 というと?
伊藤 繰り返しになりますが、「瀧夜叉姫」という作品にはかなり具体的な事件や人物が書かれているものですから、「そう言えば博雅って本来は皇族で、とても偉い人なんだよな」ということを改めて思い出させてくれるんです。一方の晴明は晴明で、見ようによっては(蘆屋)道満と同じ穴のムジナというか、むしろ道満よりもアナーキーなやつだな、とか(笑)。いずれにしても、長い間、獏先生が小説を書いてきたことで、読者の中で育まれている“晴明・博雅コンビ”のイメージというものがあると思いますが、せっかくマンガにするのならそれをまずはリセットしたい、とも思いました。
夢枕 博雅もそうだけれど、晴明のほうはより伊藤さんのマンガのキャラになってると思うよ。今おっしゃられたような、蘆屋道満と紙一重、みたいなアナーキーさもよく出てると思うし。
伊藤 晴明が“向こう側”に行ってしまいそうになっても、博雅がブレーキをかけてくれてるからいいんでしょうね。
夢枕 博雅がいるから晴明は“人間”でいられるんですよ。
伊藤 本当にそう思います。「瀧夜叉姫」の晴明は特にアナーキーな男ですから。博雅が彼を“こちら側”につなぎ止めてくれていることで、彼は“人であること”をやめずにいられている。今の段階ではネタバレになるからあまり詳しくは話せませんけど、博雅の笛を、2人の関係性を象徴するようなものにできればいいなと思いながら描いています。
夢枕 あと博雅は、ベタなたとえになっちゃうけど、ホームズに対するワトスンみたいな存在というかね。超然とした天才に対して、横でいちいち驚いたりツッコんだりしてくれる人がいてくれないと、物語を進めづらいというのもあります。“普通の感覚”というものがないと、読者は感情移入してくれませんから。いずれにしても、伊藤さんが今描いてくれている2人のキャラについては、読者の評判もいいんじゃない?
伊藤 ええ、そうらしいですね。これまでにも獏先生の小説をマンガにさせていただいたことが何度かありますが、正直、毎回、「ここまでキャラを変えちゃったら、原作のファンは怒るだろうな……」と思いながら描いていたんですよ。でもなぜか、どの作品のキャラも好意的に受け止められました。とは言え、さすがに今回の「瀧夜叉姫」は怒られるだろうと思っていたんですけど、相変わらず面白がってくれているみたいで(笑)。ありがたいと言うか、さすが獏先生のファンは度量が大きいな、と改めて思いましたね。
夢枕 いや、それは伊藤さんが描いているキャラの魅力あっての評価ですよ。
伊藤 どうですかね。そう言えば……博雅と言えば、僕から見たら獏先生は博雅なんですよ。
夢枕 そうなんだ(笑)。
伊藤 晴明というのは、ひとことで言えば理屈屋でしょう? 対する博雅は直感ですべてがわかってしまう人。だから美しい景色を見て感動していても、横で晴明が理屈をこねていろいろ解説してしまうと、「いい気分が台無しになった」とか言って怒っちゃう(笑)。で、僕は晴明のように、獏先生が文章で書かれている幻想的な世界を、「これはこういうことですよね」とマンガの形で解き明かしたいんです。「お前が絵(マンガ)にすると、いい気分がどこかにいってしまいそうだ」と、博雅……つまり獏先生に怒られないか、いつもドキドキしてますけどね(笑)。
夢枕 毎回普通に楽しく読ませてもらっているだけですから、安心してください(笑)。というか、本人を目の前にして言うのはなんだけど、もしかしたらこれ、伊藤さんの現時点での最高傑作になるんじゃない? とにかくそれくらいすべてのキャラが立っている。小説もそうだけど、マンガは特に“キャラ立て”が重要な表現ジャンルだからね。これだけ個性的な人物が何人も出てきて、その全員のキャラを立たせるというのは至難の業ですよ。主役の2人もいいけど、脇役だと俵藤太がダントツでいいよね。
伊藤 それはうれしいなあ。俵藤太は描いていて僕も楽しいです。実は僕、マンガ家として致命的な欠点を抱えていまして……。それは、“悩めるキャラ”を描けないという(笑)。悩んだり傷ついたりするキャラが昔からなぜか苦手なんですよ。でも、藤太はまったく悩んだりしないし、ひたすら気持ちのいい豪傑ですから、すごく動かしやすいんですよね。
夢枕 蘆屋道満はどう? 描くのは難しい?
伊藤 難しいとも言えますし、どういうふうに描いてもいい自由なキャラだから、楽だとも言えますね。なんにせよ、ああいう物語をかき乱す奴がいたほうが、断然作品世界を広げやすいというのはあります。
夢枕 確かに話作りに行き詰まっても、道満を出すと必ず物語が動き出すんだよね。“かき乱す”というのは、“物語が展開する”ということだから。彼は作家にとって、非常に便利な存在です。
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伊藤さん、さらに画力が向上してません?