スヌーピーは1950年から50年近くにわたり、アメリカのマンガ家チャールズ・M・シュルツが描き続けた「ピーナッツ」に登場するキャラクター。日本では1967年に谷川俊太郎による翻訳で、「ピーナッツ・ブックス」として鶴書房から初めて単行本化された。その復刻版「SNOOPY BOOKS 55周年記念復刻版 全86巻」が1987年に角川書店から発売。今では入手困難となった同アイテムが復刻され、2月下旬に復刊ドットコムより刊行される。
これを記念し、コミックナタリーでは大のスヌーピー好きを公言する林原めぐみにインタビューを実施。「ピーナッツ」との出会いから始まり、成長してから一度距離を置いてしまった理由、そして再びチャールズ・M・シュルツの世界に戻ってきたきっかけなどを語ってもらった。最後には林原のコメント付きで、私物のスヌーピーグッズを紹介するのでお見逃しなく。
取材・文 / 西村萌 撮影 / 新妻和久
スヌーピー好きに悪い人はいないなって
──まずは「ピーナッツ」や、スヌーピーとの出会いから教えていただけますか?
幼稚園児のとき、鶴書房から刊行された「PEANUTS BOOKS」シリーズの「そっと、おやすみ スヌーピー」を読んだのが始まりです。兄が持っていたものなのか、家に1冊だけコロンと置いてあって。当時はチャーリー・ブラウンたちのセリフで小難しいのはロクに読めないし、和訳の隣にある英語なんてもちろん目に入っていなかったんですけど。よく覚えてるのが、スヌーピーが健康のために犬小屋の屋根の上で体操をするんだけど、最後にヘトヘトになっちゃって、「(体操は)体に悪いかもね」っていうオチのエピソード。そういうスヌーピーとウッドストックの面白おかしいやり取りが大好きで、寝る前に母親と一緒に読んでゲラゲラ笑うというのがお決まりでした。それから、少し大きくなると近所の本屋さんに行って、できるだけスヌーピーがたくさん登場するものを探して。月に1、2冊ほど買ってもらって、徐々に増やしていきましたね。
──そこから林原さんのスヌーピーグッズ収集が始まったんですね。
はい。でもそのときに自分で買っていた本は、あるとき引越しですべて手放してしまって。実は今日持参した鶴書房の「PEANUTS BOOKS」全巻セットは、「スレイヤーズ」という作品をやっていたときに共演していた山崎たくみくんにもらったものなんです。彼もスヌーピーが好きで、私が小さい頃に鶴書房の本を集めてたことを話したら「うちの実家に全巻あるよ」って。それで「すごいねえ! 私も歯抜けで持ってたけど、なかなか全巻持ってる人はいないよ!」なんて言ったら、ものすごく気軽に「え? あげるよ」って。
──なんて優しい!
「僕の実家で眠ってるよりも、本当に欲しい人のところに行くほうが絶対に本も幸せだから」って言ってくれて……もう、なんていい人なの!と(笑)。これほどのこと、どうお礼したらいいんだろうって悩んだんですけど、当時G-SHOCKが流行っていたので、たくみくんに似合いそうなデザインを選んで「きっと、こんなんじゃ足りないけど」って渡したんです。そしたら「うれしい! ありがとう!」って笑顔で受け取ってくれて。そのとき、スヌーピー好きに悪い人はいないなって思いました(笑)。
私だったらシュローダーは好きでいられない
──では、林原さんお気に入りのキャラクターを教えてください。
やーん!(笑) 迷うけど、スヌーピーとウッドストックですね。
──どんなところがお好きなんですか?
なんだろう、この2人の関係性ですかね。雨が降ったとき、スヌーピーが何も言わずに耳を横にピッて広げて、足元にいるウッドストックが濡れないようにしてあげるとか。友達のような、親分と子分のような、ちょっと特別な関係。
──いつも自由奔放なスヌーピーですけど、ウッドストックのことは割と気にかけてあげてるイメージがあります。
ウッドストックのセリフってすべて「`````」で表現されていて、言葉にならない言葉でしゃべってるんですよね。いわば、読み手がどうとでも取れるような隙間が作られてるというか。でもきっと、スヌーピーはウッドストックが話してることを誰よりも正しく理解してる。スヌーピーもフキダシの形が人間のキャラクターとは違うのを見ると、実際に言葉をしゃべっているわけではないはずなんです。そんなふうだけど、スヌーピーとウッドストックはお互い通じ合ってるんだろうなって思います。
──なるほど。ほかに好きなキャラクターは?
スヌーピーの兄弟たちも好きです。1991年に公開された「スヌーピー誕生」という短編アニメがあるんですけど、その中でマーブルとオラフがミッキーマウスに電話するシーンがあったのが面白くって。「彼(ミッキーマウス)は忙しいからね」みたいなことを言いながら(笑)。
──へえ! そんなエピソードが(笑)。では、ご自身に似ているキャラクターを挙げるとしたら誰でしょうか。
実は私、あまり知られてないんですけどVHSで展開されている「スヌーピー&チャーリー・ブラウン」というアニメでマーシーの声をやったことがあるんです。だから似てるというか、マーシーの目線は体験したかなあ。
──マーシーはペパーミント パティを慕い、真面目で優秀だけど、ときにトンチンカンなことをしてしまうという女の子ですよね。
はい。割とシニカルで、ペパーミント パティを尊敬しながらも、ときどき嗜めるみたいな。私との共通点というと、物事をすごく客観的に捉えているところ。たぶん林原めぐみを好きな人とか、林原めぐみの人となりが出る仕事を見てきた人には、はっちゃけたお姉さんというイメージで「ルーシーじゃないの?」とか言われると思うんです。でもルーシーって実はすごい乙女なんですよ。私だったら、あそこまで自分に振り向かない男の子のことは好きでいられない(笑)。シュローダーがおもちゃのピアノを弾いてるところに行って、「今日はどんな気分?」って尋ねたり、「私のために何か弾いて」とお願いしたりとか、絶対にできないです。
──あはは(笑)。そこがルーシーの憎めないところですよね。チャーリー・ブラウンのことは振り回しっぱなしだけど、大好きなシュローダーの前では恋する女の子。
そう、だから私のことを表すとすると「もうちょっと行動的なマーシー」かな(笑)。
スヌーピーを離れた時期があったんです
──小さい頃は読み飛ばしていたページもあったとおっしゃってましたけど、「ピーナッツ」って大人になってから読むと印象がまた変わりますよね。
そう。私も一度、少し苦しくなってスヌーピーを離れた時期があったんです。あんなに楽しくてかわいいと思っていたスヌーピーが、実は哲学的で、悲哀のお話なんだってことを別の本を読んで知って。彼らの夢や片思いはどれも実ることがないとか、スヌーピーが変装する撃墜王も世界大戦からきているとか。その事実がわかったのは高校のときかな? もうちょっと経ってからかな。そのときは「いいのいいの。私は犬のスヌーピーが好きなだけで、そんな難しいことは考えたくない」っていう気持ちだったんですけど、家にはスヌーピーの本は相変わらずあるし、スヌーピータウンショップが横浜にできたら買い物に行ったりはするという状況で。でもだんだんグッズを追いかけてるだけの自分が、エセでもないんですけど、なんかなあと思えてきて、20歳くらいのとき、改めてスヌーピーを読み直したんです。そこで、谷川俊太郎さんの訳の素敵さに気が付いて。
──それが舞い戻るきっかけになったと。
きっかけのひとつです。例えば「GOOD GREAF(これは驚いた)」は「やれやれ」、「WHATEVER(なんでも)」は「何はともあれ」というふうに訳されていらっしゃるんですよね。英語だと的確すぎちゃうんですけど、谷川さんの訳ですごく柔らかくしてくれているんだなということに感動して。そこから拝借して、私が歌手活動を始めて2枚目に出したアルバムのタイトルは「WHATEVER」にさせてもらったんです。その頃は声優が歌うってことがまだ世の中に全然浸透してなくて、「何やってんの、声優が」みたいな目線もあったと思うんです。だから「“何はともあれ”手にとってください」という思いを込めて。
──林原さんの人生の節々に、スヌーピーの影響があるんですね。
そうそう(笑)。ずいぶん大人になってからは、「ピーナッツ」のキャラクターたちは悲哀な人生を送っていながら、みんな“諦めてない”ということも見えてきました。チャーリー・ブラウンは野球がちっとも上手くならなかったり、ペパーミント パティは勉強ができなかったり、ルーシーはシュローダーにあしらわれる。チャーリー・ブラウンはルーシーが押さえてるフットボールを蹴ろうとして、いつもイタズラにひっかかってすっ転んでしまう。そういうお決まりの展開を繰り返していったからこそ、これほど続いた作品になったし、それを長年読んでいた私にとっても手放せないものになっていったというか。
──谷川俊太郎さんが「スヌーピーのひみつ A to Z」という本の中で、「永久に年をとらない登場人物たちが、毎日毎日似たような喜怒哀楽を繰り返しながら生きているのを見ていると、言語や文化の違いを超えて、それがまさに私たちの生活そのものだと感じます」と書かれていて。まさに今、林原さんがおっしゃられたのと同じようなことだなと思いました。
“スヌーピーをわかってる人”って自分で言っていいのかわかんないですけど、やっぱり長く関わってくると見えるものって繋がるんですね。スヌーピーの魅力ってある特定の面白いエピソードとかじゃなく、繰り返し繰り返しの中に出てくるクスッだったりショボンだったり、キラリだったり、なんですよね。大きな事件が起きるわけではないからこそ、まるで自分の生活の一部のように思えて欠かせないものになっていくんだと思います。
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小さい頃から手放せない、我が家の“主”