異種族を出すのは、人間の性質を際立てやすいから
──では逆に、そうしたシビアな戦いを軸にした物語を描くうえで、舞台設定がファンタジーであること、例えば魔法の存在にはどんな効果があるのでしょうか?
カルロ 魔法があるっていう大きな嘘をつくことで、現実とは違う歴史、違う社会、違う価値観といったものの存在に、説得力が生まれるんです。それが一番大きいですね。
浅井 魔法めいたものを出すのは、個人の能力を増大させるためですね。現実的に人間がいくら力や技術を上げても、1人で1000人を倒すような戦士にはなれない。そこに魔法があると、個人でも何かできるのではないか、と勘違いをさせやすい。そんなものは、爆弾を持ったテロリストか通り魔の妄想ですが。
カルロ あとは“敵”をどう描くかも大事ですよね。敵側の掘り下げをきちんとやらないと、経験値を敵からもらうだけのRPGになっちゃう。
浅井 私も知性なき敵は、障害物としての配置とその駆除にしか見えないので、好きではないですね。弱いものいじめにも見えてしまいます。
カルロ 「され竜」の場合は竜にも竜の事情があるし、竜って言っても、種族が違う人間のようなものですもんね。
浅井 竜という知的生命体を配置することで、人間とは違う知性の体系、違う価値観との対比ができるので。
長月 それで言うと、俺はニドヴォルクがジヴーニャを殺さないってところがすごく好きなんですよ。
──5話で、死に際のニドヴォルクにガユスが「なぜジヴを狙わなかったのか」と尋ねる場面ですね。
長月 普通自分の旦那を殺されたら、相手の恋人を殺して、自分と同じ思いをさせてやる、って考えるじゃないですか。でもニドヴォルクは竜だから、そういう復讐の仕方は考えないんですよ。
浅井 異種族を出すと、我々人間の性質を際立てやすいですね。
長月 しかも不思議と人間の愚かさのほうが際立つんですよね。絶対に異種族のほうが高潔なんですよ(笑)。
カルロ 異種族が悪い奴だと、やっぱりそれをボコボコに倒しましたってだけの話になってしまうから。
──ちょうど原作1巻の終わりにあたるのが5話でしたが、単純に「強い敵を倒した、やった!」という結末ではなくて、ニドヴォルクの切ない心の内が最後に明かされる、ビターな終わり方でしたね。
長月 あれはまだいいほうで、「され竜」はオチが一番ひどくなることが多いんですよ。
カルロ とてもひどい!
浅井 ひどくないですよ、話をきれいに締めている……はず、たぶん、きっと。
カルロ それはきれいに焼け野原ってことですよね(笑)。
長月 主人公2人は生き残りました、ぐらいの(笑)。
カルロ 守りたい女の子は死にました、終わり、とかね。それってハッピーエンドではないですよね。
浅井 ハッピーエンドかバッドエンドかは、本当はみんなどちらでもいいのだと思います。「結末に至るまでの道筋が納得できるものだったかどうか」を、人それぞれ言い換えただけなので。
──おふたりがおっしゃる通り、バッドエンドが多いイメージがありますけど、浅井先生は必ずしもバッドエンドが書きたいわけではないと。
浅井 現実的にありえる道筋を考えた結果、そうなるだけです。つまり参照した現実が悪いということなので、現実のほうの改善を求めます!
「され竜」が悪を肯定したことは1回もない
──「され竜」も「幼女戦記」も「リゼロ」も、主人公が勝利するまでの過程において、理不尽な目にあったり痛い思いをすることが非常に多いですよね。そういった描写を書くのはつらくないですか?
カルロ いや、そういうシーンが必要だから書いてるだけですよね。
長月 うん、ほかのシーンと心境的には変わらないです。逆に、特に力を入れようとかも思ってないですし。
浅井 私は割と力を入れますね。「俺超強い! めっちゃ勝ってる!」という状況は、現実生活ではほとんどないし、その状態でほかの参照項など不要でしょう。となると、現実において「あのマンガの主人公のように耐えて、勇気を出してみるか」「あの映画の主人公みたいに、諦めずに勝つ道を探してみるか」のような一助になれたらいいな、としています。
──読者の役に立ちたいということですか?
浅井 人に気に入られようとしてしまいやすい傾向があるので、読者さんのことは意識的に意識しないようにしています。いるのは、脳内読者ですね。おふたりも自分の中に飼っていると思いますよ? 粗さがしに批判ばっかり言ってくる、鬱陶しい読者(笑)。そいつを納得させるために一生懸命やるしかないです。
長月 自分の中の読者はめっちゃいますね。さっきと矛盾しますけど、「リゼロ」はスバルが死ぬシーンにはすごく力を入れていて。というのも、「リゼロ」は死んで何回もやり直すという話なので、あっさり死んじゃうと「ダメになったら死んでやり直せばいいじゃん」って脳内読者に言われちゃうんですよ。それを言われないように、死ぬときにめちゃくちゃ痛い思いをさせなきゃいけない。
浅井 確かに、あの形式なら軽くない死の描写は必要ですね。
長月 だから“○殺”とか“○死”みたいなのは全部やろうと思ってます。絞殺とか毒殺とか溺死とか……楽しいわけではないですよ!(笑) 必要だからやってるんです。
カルロ ただ、やっぱり戦争ものとか人が死ぬ話を書くときに、どこまで許されてどこから許されないかっていうのは、きちんと線引きをしなきゃいけないですよね。
浅井 当たり前ですが、おふたりはそこらの視点がまっとうですよね。
──フィクションの中の残虐な描写が読者に悪い影響を与える、という主張をする人も世間にはいますよね。
カルロ 正直「ちゃんと勉強してから言ってほしいな」と思うこともあります。読んだものにそこまで影響されるのであれば、どうしてこうも道徳の教科書と違う世の中なんでしょうか。汚いものに蓋をすれば消えてくれますか? 逆だと思いますよ。例えば目の前で難民が武装ゲリラに襲われていたとして、現地の国連PKO部隊が「戦争はよくないので、戦闘地域から(帰るところがある僕たちだけ)帰ります」って世界が理想ですか?
──たとえ残酷であっても、現実から目を背けてはいけないと。
カルロ そもそも「残虐な描写だから」と即座に表現を規制しようとする発想のほうが、よっぽど“健全”とは言い難いし、そういったことを考えずに発言する人のほうが、よっぽど悪い影響を社会に及ぼしていると思います。とは言え、それは読んでいただく読者の方とは関係のない話です。手に取った人に前提知識がまったくなくても楽しんでもらえるように書くっていうのが、僕たちの仕事なんですよね。
浅井 マンガやアニメやライトノベルなどでも、現実の似姿であろうとすると悪を描かないわけにはいきません。ですがほとんどの人は、作品を通じて他人の人生を仮想体験することで、他者への共感性を身につけ、作中の悪を嫌悪するものです。ですから、悪影響を受ける人が仮にいたとしても、それは第一に「悪を肯定している」と受け取る当人の誤読と自己制御の問題で、次に家庭と教育と医療福祉、さらに司法と警察、そして社会全体がどうにかするべき問題です。
カルロ おっしゃる通りです。
浅井 私自身が意図しないことで傷つく人や、もしかしたら悪い影響を受けた人がいるかもしれません。しかし、作品の中で悪を描いても、肯定したことは1回もないつもりです。長月さんも同じでしょうし、カルロさんも政治や社会に気を使う人ですので。
カルロ 長生きの秘訣は健康に気を付けることと、政治に気を付けることですから。
浅井 不思議なことに、全員の結論が真面目になりました。せっかく真面目に不真面目をやってきたのですが。
- テレビアニメ「されど罪人は竜と踊る」
- スタッフ
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原作:浅井ラボ(小学館「ガガガ文庫」刊)
キャラクター原案:宮城、ざいん
総監督:錦織博
監督:花井宏和
シリーズ構成:伊神貴世
キャラクターデザイン:北尾勝、小倉典子
アニメ制作:セブン・アークス・ピクチャーズ
制作:「され竜」製作委員会 - キャスト
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ガユス:島﨑信長
ギギナ:細谷佳正
ジヴーニャ:日笠陽子
ニドヴォルク:甲斐田裕子
モルディーン:土師孝也
レメディウス:杉田智和
ほか
©浅井ラボ・小学館/「され竜」製作委員会
- 「されど罪人は竜と踊る①」
- 2018年6月27日発売 / NBCユニバーサル・エンターテイメントジャパン
-
初回限定盤 [Blu-ray Disc]
10260円 / GNXA-2031
- 「Re:ゼロから始める異世界生活 Memory Snow」
- 2018年10月6日(土)より劇場上映スタート
©長月達平・株式会社KADOKAWA刊/Re:ゼロから始める異世界生活製作委員会
- 浅井ラボ(アサイラボ)
- 2002年に雑誌連載開始。著作は「されど罪人は竜と踊る」「TOY JOY POP」「STRANGE STRANGE」など。
- 長月達平(ナガツキタッペイ)
- 2014年、小説投稿サイト「小説家になろう」に投稿していた「Re:ゼロから始める異世界生活」が書籍化しデビュー。同シリーズは本編16巻、短編3巻、外伝3巻が刊行されている。
- カルロ・ゼン
- 2013年、小説投稿サイト「Arcadia」に投稿していた「幼女戦記」が書籍化しデビュー。主な著作に「銃魔大戦 怠謀連理」「約束の国」「ヤキトリ1 一銭五厘の軌道降下」などがある。「幼女戦記」は2017年にテレビアニメ化され、現在劇場版新作アニメが制作中。