ちば兄弟が築き上げた、“カケアミの文化”と“ロングの美学”
──具体的に城倉先生は、あきお先生の作風のポイントはどこにあると思われますか?
城倉 わかりやすいところだと、画面構成ですよね。一見シンプルに見えますけど、実は細かな部分まで気を配らないと、“ちばあきお風”にはならないんです。全体に白っぽいかなと思って、「ここも白くしておこう」「あっちも白いままでいこう」とやると、もう全然違う雰囲気になってしまう。反対に描き込みすぎて、真っ黒になってしまっても違う。両者のバランスを調整するのがけっこう大変な作業なんです。
ちば 「2」を読んでると、夜の場面も割と出てきますねえ。
城倉 夜の描き方についてはもちろん、てつや先生のマネも入っています。
ちば え、そうなの?
城倉 てつや先生とあきお先生と言えば、やっぱり“カケアミ(※註1)の文化”ですから。僕はそこが心から大好きなんです。例えば第5話のトビラで、谷口くんが夜の商店街を走っているシーンを描いたんですけど、途中でおふたりの作品をなんべんも読み返して、描き方を確認しました。カケアミとベタの配分で、光と影の緩やかなグラデーションを表現するというのが、世に言う“ちば調”。このカケアミの使い方って、最近は誰もやらないですよね。
ちば スクリーントーンを貼ったり、デジタル処理を施したり、今はいろんな方法がありますからね。
城倉 てつや先生たちの描く夜の商店街というのは、町全体が決して明るくないんですよ。お店の中だけが光っていて、暗い道路のほうへ明かりが漏れてくるという。昭和の商店街に漂っていた雰囲気ですよ。僕はずっと「のたり松太郎」や「おれは鉄兵」「あしたのジョー」などを読みながら、そうした表現に憧れていたので、「プレイボール2」の中で思いっきりマネしているところです。
ちば 私もあきおも下町が舞台の作品ばかりだから。背景も含めて、手描きのほうが味が出ていいんです。
城倉 もう1つ、何と言っても“ロング(※註2)の美学”ですよね。引いた構図の中で、キャラクターの位置関係を徹底的にわかりやすく伝えていく。連続したロングの構図こそがおふたりの最大の特徴だと、僕は常々思ってきました。アップを多用したほうが、正直ラクなんですよ。細かくロングを入れて、1人ひとりを描きこんでいく作業が、どれほど根気のいるものか。あらためて思い知らされているところです。
ちば 私自身はねえ、何だろう……クセというかね。特別に「自分はこういうロングを大事にしているんだ」という意識はないんですよ。ただ、いつも「読者がスーッとお話の中に入っていけるように」「迷わずに読み進められるように」と考えながら描いてますから、結果的に城倉さんがおっしゃってくれるような、わかりやすい構図になっているのかもしれませんね。
(※註1)短い均一な直線を一定の間隔で引き、絵に濃淡をつける手法。
(※註2)引いた構図で絵を描くこと。
試合中にファウルとタイムを多用するのが、ちばあきお流
──「プレイボール」らしい“野球マンガ表現”という点に関して、城倉先生が気にかけているところはありますか?
城倉 球場をデフォルメして選手を大きめに描くというのは、完全にあきお先生を意識した表現ですね。野球シーンを写真で撮ったままのような比率で描いてしまうと、球場の中にいる選手というのは異様に小さくなっちゃうんですよ。それではマンガとしての面白さが伝わらないので、内野手も外野手もわざと大きく描いています。
ちば 野球のダイヤモンドをマンガで描くとね、ベースも自然と大きくなるんですよ。ベースとベースの距離をリアルに描くと、ものスゴくだだっ広い絵になっちゃうから。
城倉 あとプレイのテンポで言うと、あきお先生は試合の始まる前後から1回の表裏までをゆっくり、じっくりと時間をかけて描くんですけど、代わりに中盤以降をスポーンと飛ばしてしまう傾向があるんですよ。
ちば フフフ、確かに。
城倉 それが快感……というわけじゃないんですけど、実は「プレイボール2」だけでなく、僕のほかの作品でも、よくマネさせてもらっています。反対にマネするのが難しいなと感じるのは、ファウルとタイムの多用ですね。あきお先生は本気でファウルをいっぱい描くし、タイムをたくさん取るんですよ。
ちば そうだねえ(笑)。
城倉 僕自身は、試合展開に関係のないファウルやストーリーの伏線にならないタイムなどは、ページ数を食ってしまうような気がして、なかなか描けないんです。でも、それがあきお先生の“間”だと言われたら、その通りなんですよね。僕は野球のワンプレイにもう少し意味付けがあるべきだと思いますけど、あきお先生はそれよりも、子供が自分たちで試行錯誤する姿を描きたかったのかな、と今は感じています。
今日は、ソファの隣にあきおが座っている感じがした
──ちば先生が、城倉先生の「プレイボール2」に今後、期待されることはなんでしょう?
ちば 私はもう完全に、城倉さんへお任せしてますから。1人の読者として、楽しみに読ませてもらうだけですよ。ただね、あきおの作品は谷口だったり丸井だったりイガラシだったり、いろんなタイプのキャラクターが出てくるでしょう。彼らが彼らなりのクセを持ったまま、どう成長していくのかなあと。そこはワクワクしながら注目しているところです。
城倉 はい、ええ(笑)。
ちば さっきファウルをたくさん打つという話が出ましたけど、たった1球のファウルの飛び方でね、1人の人間の考え方や生き様がふと変わることもあるんですよ。そういった内面の部分についても、これからきっと描かれていくんじゃないかなあと……。
城倉 そこまで描けたら、本当にすごいんですけどね。
ちば 城倉さんはその可能性を持っているから、私は言っているの。って、あんまりプレッシャーをかけちゃいけないんだけど……城倉さんはそれだけの力と実績を持った人だし、何より子供の頃にあきおの作品を読んでくれたときの気持ちを、今もそのまま持っていらっしゃる人だから。これからも楽しみながら描いてほしいなあと、私は期待しているんですよ。
城倉 僕にとって一番恥ずかしいことは、てつや先生に見られているということなんです。でもそこはある段階から「開き直らなきゃいけない」と思うようになって。冷静になって考えればね、あきお先生の続きを描くなんて、やっちゃいけないことかもしれない。でも一方で、読みたいと思ってくれる人も世の中にはいっぱいいるわけで……僕がある程度、鈍感力みたいなものを発揮しなければ、その人たちに作品が届かないかもしれないなと。
ちば そうですよ。マンガを好きでいてくれる人たちがね、「昔、ちばあきおという人間がいたんだ」「その作品を城倉先生が新しい革袋に入れて、新しいお酒に発酵させてくれているんだ」っていうね、そんなふうに喜んでくれたら、私もとてもうれしいですよ。今日はね、あきおが僕の隣にいて、ソファへ一緒に座っている感じがしますよ。あきおもとっても喜んでいると思う。本当にありがとう。
城倉 ああいや、とんでもない……がんばります。
ちば がんばるっていうんじゃなくてね、これからもあきおを味わって、楽しんで描いてください。
城倉 はい、ありがとうございます。
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- 1963年長野県生まれ。1989年に週刊ビッグコミックスピリッツ(小学館)にて「男と女のおかしなストーリー」でデビュー。デビュー時から野球を題材にすることが多く、同年ミスターマガジン(講談社)にて「かんとく」、1995年に週刊少年サンデー(小学館)にて「砂漠の野球部」、2003年には週刊少年マガジン(講談社)にて「おれはキャプテン」など数々のヒット作を生み出している。一方で人間の暗い心理を浮き彫りにするような作品も手がけ、2002年にビッグコミックスピリッツで連載した「ティーンズブルース」では、ホストクラブにはまって転落していく女子高生を描き読者を驚かせた。また森高夕次(もりたかゆうじ)名義で原作も担当し、アニメ化が決定している「グラゼニ」をはじめ、「おさなづま」「ショー☆バン」「ストライプブルー」「トンネル抜けたら三宅坂」などバラエティ豊かな作品を発表している。現在の連載作に「プレイボール2」「モーニングを作った漫画たち」「グラゼニ~東京ドーム編~」「あしたのジロー」など。
- ちばてつや
- 1939年1月11日東京都生まれ満州育ち。本名は千葉徹弥。1956年、単行本作品「復讐のせむし男」でデビュー。1961年に週刊少年マガジン(講談社)にて、原作に福本和也を迎え「ちかいの魔球」を連載開始。翌年少女クラブにて「1.2.3と4.5.ロク」を連載し第3回講談社児童まんが賞を受賞、1965年に週刊少年マガジンで連載した「ハリスの旋風」は翌年アニメ化された。 1968年、同誌にて高森朝雄とタッグを組み、ボクシングを題材にした「あしたのジョー」を連載。ライバルである力石徹が作中で死んだ際には、実際に葬儀が行われるほどの社会現象を巻き起こした。同作は1970年と1980年にアニメ化、1970年と2011年に実写映画化、1980年とその翌年にアニメ映画化がなされた。1973年、週刊少年マガジンにて「おれは鉄兵」、ビッグコミック(小学館)には「のたり松太郎」を連載。2作ともヒット作となり、「おれは鉄兵」は1976年に第7回講談社出版文化賞を受賞、「のたり松太郎」は翌年第6回日本漫画家協会特別賞および1978年第23回小学館漫画賞を受賞した。1981年、週刊少年マガジンにて「あした天気になあれ」を連載する。2001年に文部科学大臣賞を受賞、2002年には紫綬褒章を授与された。現在はビッグコミックにて「ひねもすのたり日記」を連載中。